北公次さんが無事にジャニーさんに逢えますように | ちゃつみず るーむ

北公次さんが無事にジャニーさんに逢えますように

★自分では思い出したくないことでもありましたがしっかり記録に残していた北さんの告白本とLIVE活動のこと。見つけて読んでくださって疑問に思った方多いことでしょう。記事ヒットの上位にあって知りました。


ジャニー喜多川氏が亡くなった直後にも男性アイドルエンタメの礎を創ったとともに負のことについても話題になり、外国メディアも一部メディアも紹介していました。ジャニー喜多川氏も北さんもすでに亡くなっている。



当時某大学教授が北さんの告白本を題材にネット記事にしていました。またさらにツイッターで北さんが書かされた本を題材にジャニー氏の私生活を批判。


北さん自身がLIVEの最後どんな思いで幕を下ろしていたか、書いたことをどれだけ後悔していたか。そんなことを知りもしないで。


大きい事務所に刃向かえず悔しくてやめたわけではなく、LIVEに集まった同志仲間の裏切り(今の当事者の会代表の某氏と告白本を促した某監督も含む)で幕を下ろしたこと。自分が事務所に対しても後々の後輩たちに対しても最悪で最低な先輩になってしまったこと。


元はシャイで少年ぽくて優しい人だったのに回数をますごとに性格が変わっちゃって見に来たファンをも敵に見えたかもしれません。


あの地獄のようだった最後のライブから数年後フォーリーブスを再結成するまでの道のりも知っています。その苦労も考えないで何をこの教授は書いているんだろうと思うのでした。


少しでも北さんの気持ちが後輩タレントファンの皆さんに伝わることを願いつつ 決して今テレビに映る当事者や第三者委員会側ではない、生前会うことも叶わなかったジャニー氏メリー氏と再会ができることを願いながらここにリライトしたく思います。★





1978年、フォーリーブスを解散しその後不祥事が原因でテレビからも舞台からも姿がなかった北公次さん。


同じくしてジャニーズ事務所はタレントをデビューさせるも中々思うようにいかず頑張っていたものの事務所的に不運が重なって低迷期となります。子供番組のレギュラーをしていたグループもいてその人たちを見てファンになったのが私です。


そして金八先生とたのきん人気で切り抜けて黄金期まっしぐらの1980年を迎えます。



北さんはドラマ 映画に出演するも中々芽が出ません。そしてある本を執筆(後にゴーストライターがいたと自ら告白)しています。


いわゆる暴露本。1988年発売、当時人気アイドルだったグループの名をタイトルにした本はシリーズ5冊で関連本もありました。当時衝撃的でとても売れました。もちろん事務所側は無反応でテレビでタイトルになった当時人気のグループが不買運動の声かけをするほどでした。


本の出版する詳細は当時ある映画監督が自分の手掛けたタレントと、ジャニーズタレントの恋愛報道で話題になりそのジャニーズ側の対応に腹を立てます。


仕返しにゴーストライターを使い、かつての所属看板アイドルタレント北公次さんに、ライブと再デビューを条件としてジャニーズ所属時代とアイドル時代と解散後の活動などを綴った自叙伝を依頼して執筆発行しました。そして第一弾にはチケット引換券があってLIVEを見ることができるのです。


わたしも買って読み、かなりショックを受けました。

そして北公次さんが活動していたそのLIVEも行きました。北さんにというより大好きだった元ジャニーズアイドルを気にしてです。


最初のLIVEは楽しかったのです。本当に気さくで人柄もとっても良かったのです。この人があの 公ちゃん?? と思うくらい腰が低くて。


LIVE内容は自作の新曲あり、ジャニーズ時代の曲もあり、懐かしい洋楽曲のコピーあり。かつてのファンの方にもお会いしたり、友達も増えてライブハウスも関東 愛知 関西まで何回も行きました。300人から400人くらい来ることもあり、写真OKだったのでたくさん撮った。


仲間も増えて後輩にあたる元ジュニアだった子もいて。彼らのジャニーズ時代を綴った関連本も出していますが、後で聞いたらジュニアじゃない子もいたという。このメンバーの中には後にジャニーズタレント事務所研究会とか追っかけマップなど書いている編集長がいます。


先週報道番組で流された北さんのビデオはLIVE復活後1年くらいでしょうか。本格的にジャニーズぶっ潰すとか行って同士を増やしていた頃では。ジャニーズJr.だったという5人組でレコードを出させていました。そのメンバーの1人がかの第三者云々で暴露本を描きまくっていた編集長。


何枚かのレコード(CD)が売れたはいいけれどLIVEの回を重ねるごとに雲行きが怪しくなっていわゆる内部衝突が起こります。外に訴えかけるのに告白人が増えるといろいろな年齢層もあって仲間内でもめごともある。そんなのが垣間見えちゃうとファンも離れていきます。


ただただ音楽を演奏したいというバンドマンも去っていき北さんも2年くらいで突然終わりを告げてまた姿を消します。色々あって金銭的な問題(北さんサイドがジャニーズを倒す軍資金としてファンから金銭を集める、ファン同士での貸し借りなど)もあって嫌気がさしていた私も北さんに嫌悪感しかありませんでした。


そして4冊目の本で ファンから(告白本を読んでの)感想文を綴った内容にジャニーズ当時のことから当時頑張っていると紹介されていた元ジャニーズの中に畠山久さんを見つけます。





私自身HPを開設していた当時フォーリーブスファンの方が再結成を願ってファンHPを開設していて仲良くなりました。LIVEのことも楽しかった部分だけお話しして。有志でフォーリーブス再結成の要望をとあるリクエストサイトに送りました。


私もFLは好きだったので協力しましたがファンの方が送り続けること2年、期間限定で再結成が決まります。2002年フォーリーブスが再結成。そして2003年テレビに登場。それを見届けるように後輩にあたる畠山久さんがガンでこの世を去りました。


テレビで観た北公次さん。その当時LIVEのことを思い出して辛いものがあり正直受け入れることができなくて許せませんでした。あの本で創世記の後輩がバックバンドやバックダンサー、スタッフになって支えた たのきん時代を否定されたようで許せなかったのです。


ここから私のテレビ音楽番組拒否が始まります。ファン投票に協力したのに北さんがいるフォーリーブスが出ると思うとゾッとしたし、ジャニーズのタレントが出る番組も嫌でした。いわゆるフラッシュバックです。テレビドラマや劇団四季や東宝ミュージカルに走りました。


ただ、元々歌や音楽が好きだったからこの番組には出ることはないだろうとNHKのPOPJSMUを流していたと言えましょうが、ちゃんと見ていたら堂本光一くんジュニア時代のKAT-TUNや現役のジャニーズタレントが見られたのに残念です。 ← この番組ゲストアーティストがいたけれどメインはジャニーズの番組だったと後に知りました。


そしてフォーリーブスで青山孝さん、北さんの訃報を知りました。北さんの死後フォーリーブスでいる北さんの姿をLIVEHPなどで見かけました。とても幸せそうで、あの人は最後までフォーリーブスでいたかったと思ったものです。


あれだけどん底でののしってても告白本の復活ライブで散々ジャニーさんやメリーさんにとどまらず、後輩にまで悪態ついても、最後にはフォーリーブスの仲間とファンが支えになっていたのですから。


北さんほどフォーリーブスが大好きだった人はいなかったと思います。ジャニーさんに魅入られてスカウトされて唯一のメンバーですから。



北さんだけではない、他の元ジャニーズアイドルさんも同じ。ジャニーズアイドル時代の自分を捨てきれなかったじゃない。独立するといっても昔の自分を捨てきなかったでしょう。


ジャニーズの看板があったからジャニーズジュニアとしてスタートし、デビューしてタレントさんがある。ファン泣かせなことをすることもありますが、ファン泣かせはジャニーズ事務所側もそうですが元ジュニアや元ジャニーズデビュー組も同じです。









個人のオフィシャルHPに北さんは亡くなる直前メッセージにジャニー喜多川氏、メリー喜多川氏への感謝の言葉を遺しました。そして、ご家族には北公次を死なせないでとおっしゃっていたそうです。


北さんの気持ち思うと今のジャニーズにかかわるすべての人に語り掛けたい何かを感じるのです。

口下手なのにきちんとした文章。短いながら温かいメッセージがそこにありました。

 

告白本第一弾最初のライブでお会いしたあの公ちゃんがそこにいました。


 北公次さん

   青山さん 畠山さん 林さんに逢えましたか?

   眞家さんに逢えましたか。


 ジャニー氏もメリー氏もいかれました。どうか皆さんのサポートで無事会えることを願っています。


関連しておりますが、現役でも地味ながら活動している方たちもいます。


 

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