渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

キャスケット

2023年09月23日 | open



先日、秘密基地でコーヒー飲んで
いたら、二人の若者が2台のカフェ
レーサーに乗ってやってきた。
まだ18才だという。
ロッカーズ系ではないが、ファッ
ションがさらりと決まっていた。
そのうちの一人が、メットを脱い
だらキャスケットを被った。
モデルのような顔立ちなのだが、
その服装や帽子がさまになって
いて絵から抜け出たようだった。
いけてるな~と思った。
そういうのを見るのは心地よい。
くそダサではないからだ。
取ってつけた感もゼロで、完全に
服や帽子を着こなしている。
そして、室内では二人ともきちん
と脱帽していた。
18才なのに弁えてるなーと思った。

世の中、ファッション雑誌などを
見て真似した人たちは、どこか
服を着るのではなく服に着られ
ている感が強く、かなりダサい。
ファッションとは自己主張である
ので、その軸線が無いとどんな
服を着てもダサダサになる。
まず自分の軸線があって、そして
自分自身の選択眼があって、と
いうルートを辿らない着装は、
おのずとダサかったり垢ぬけな
い実態があふれ出たりしてしま
うのだ。

私は帽子マニアだ。
帽子の数は100以上持っている。
ミリタリーベレーに関しては
一応国内でのオーソリティだと
認められているようだ。何たっ
て自衛隊でも私の資料が参考に
されて「将校の心得」という
ベレー着用手法の手引書に引用
された程だし。
それよりも、今世紀に入って
私の公開した専用サイトページ
の「ベレーのかぶり方」がネット
で多くのファッション関係サイト
に引用されていたのが自分でも
驚いた。
それなりに日本人のベレーかぶり
に影響は与えたようだ。
ある軍用ベレー研究者の方(私
などよりもミリベレについては
かなりの識者)などは私のその
解説ページを指して「金字塔」と
まで自己サイトで紹介してくれて
いた。

しかし、帽子好きの私だが、これ
までキャスケットとハンチングの
みは被った事がない。
試し被りをしても、どうもしっくり
こないというかダサさを感じるのだ。
つまり、こなせていない。
帽子だけに限らず、ファッション
はキモというものが必ずあって、
それはとても大切でそこを外すと
くそダサになる。
私の場合、キャスケットとハン
チン
グはこなせてない。
友人でハンチングがとても似合っ
て被りこなしている人がいる。
決まってるな~と見ていて思う。
またキャスケットが好きな友人も
いて、被っているのを見ると、
とても似合っている。違和感なし。

私の父もハンチングを愛用して
いたが、まあ似合ってはいた。
私が被ってみるとどうか。
かみさんが見て即言う。
「にっあわな~い(笑)」と。
まあ、自分でもなんだか何か
変というかダサ被りのように
思えるが、他の人もそう見え
るのだから実際そうなのだろう。
で、キャスケットもハンチング
と同じで、どうにも被りこなせ
ない。これがベレーだと頭髪の
ように違和感なく頭にくっつい
ている必需モノのようにかぶり
こなせ
るのだが・・・。
(ベレーは被るではなく「かぶ
る」
である。これキモ。被るの
ではなくてハメるのだ。片側
流しで。ベレーで浮きは絶対✖)

1980年代前半、週刊読売の
特集記事に
掲載された私


ピンクドラゴンの高橋誠一郎
店長から数年前にキャスケット
はいいよ~と連絡をもらった。
また、誠一郎さんが被りこな
している写真も貰った。
なんだか1920年代の英国ギャ
ングみたいだったよ(笑


ピンクドラゴンの高橋誠一郎
店長は
ごくフツ~にキャスケ
ットを被りこなしている。

これはアパレル関係の仕事だか
らとかではないだろう。
前述した「軸線」が自分の中に
あるからだ。
ミリベレに関しては私の中に
その軸線はあるが、ことキャ
スケットとハンチングについて
は多分ゼロだ。センス無し。
まだ当分は私はミリベレマン
だろう。


そういえば、キャップがまだ
今のように大隆盛ではなかった
1970年代末期~80年代初期に
私はキャップを愛用していた。
オートバイから下りてメット
を脱いだらキャップを被った。
今でこそ誰でもやっているが、
当時、バイク乗りでキャップ
を被る人は殆どいなかった。
コースを走るレーシングライ
ダー以外には。
私は峠でもキャップを被って
いたが、それをするのはごく
一部の人だけだった。空前絶後
のバイクブームの時代でも。
40数年後の今は非常に多くの
二輪の人が帽子を
被る。当たり
前のように。

そして、それがさも昔からの
二輪乗りのファッションである
かのように。
現実の歴史は違うのだ。
バイクから下りてキャップを
被るのはごく一部のライダー
だけだった。
バイク乗り=キャップ被りと
いう今のブームは「作られた
流行」だ。

かつてそれを自分のセオリー
とした人間たち
は流行り廃り
でやっていたので
はない。
こうした事が、ファッションに
おけるいわゆる「軸線」だ。

そうそう。
帽子の大衆化で帽子(特にキャ
ップ)が広まった事によって、
礼儀知らずの日本人男子が
物凄く増えた。
帽子被りの日本人よ。店内で
食事の時とかは脱帽せよ。
いい大人がみっともない。
土足をテーブルに乗っけて
いる程に無作法で礼儀知らず
の行為だ。
そういうニワカが今大発生して
いる。
かつて、戦前も戦後も日本人の
男性は帽子を好んで着用した。
それは通勤時であっても。
肉体労働者も通勤ではスーツ
を着るのが当たり前だった時代、
帽子は男子の嗜みとして誰もが
被った。
そして、人と話す時、あるいは
室内ではきちんと脱帽した。
西欧紳士諸君と全く同じように。
それが当たり前の礼儀だからだ。

今のキャップ被りの男たちは
年齢に関係なくどこでも被って
いる。それがいいと勘違いして
いる。
見てて思う。礼儀も作法も無い
人なのだなぁという以前に
「くそダサ」と。
軸線が無く、流行しているから
と猿真似するとそうなる典型、
という感じで。
つまり、ニセモン大発生。
サムライの真似して刀を股間
に差して喜んでいるようなもの
だ。

帽子は被る。
被るからには脱ぐ。
脱ぐべき時と場所では脱ぐ。
それをしないで常に着帽という
のは大間違いを犯している。
室内着帽が正式であるのは軍帽
着用時の軍人の勤務時のみだ。
ゴルフをやる人は、きちんと
ふまえている。
クラブハウスで着帽のまま食事
などしようものならゴルフ場か
ら叩き出されるからだ。
なので、ゴルフ場のハウスには
ちゃんと帽子掛けが必ずある。
ゴルフはプレーの時のみ着帽す
る。室内では脱帽する。
その習慣はマナーとかの類でも
ない。ごく当たり前の紳士の
行動だからだ。
現代の二輪乗りたちは、無軌道
な無頼の徒を気取るのではない
くせに良市民ぶっていながら
着帽のまま食事したりしている。
物を知らない若年層だけでなく、
いい大人のお父さんやお母さん
たちまでもが。
ライフスタイルがダサすぎる。

 


この記事についてブログを書く
« ホイールベアリングに関する... | トップ |