杉田水脈議員の問題発言と
統一教会問題の類似性

 筆者の頭に浮かんだのは、今回の第2次岸田改造内閣で総務政務官に任命された杉田水脈衆議院議員のことだ。

 同議員は、かつて性的少数者「LGBT」にカテゴライズされる人について、子供が生まれないので「生産性がない」と言い放った。そのことで、悪い意味で有名になった。今回の政務官人事に対して、LGBTの人々を支援する団体などから、「LGBTを差別するような考えの持ち主を政務官に任ずることは、政府が差別を容認したとのメッセージとして取られかねないので、この人事は撤回してほしい」との声が上がっている。

 ちなみに、杉田議員は政務官就任に際して「性的マイノリティーの人を差別したことは一度もない」と発言している。

 杉田議員のこの問題は、二つの点で憂鬱だ。

 第一に、岸田首相のあまりにお粗末な人事のセンスだ。統一教会と議員の関わりが問題化して、ただでさえポストに就ける人物の資質が問われる今回の組閣人事だ。どう考えても批判や反対の声が出そうな杉田氏を、なぜあえて今回政務官に任命することにしたのかは不思議と言うしかない。危機管理能力が全く無いと思わざるを得ない。

 もう一つ憂鬱なのは、杉田氏の政務官就任に反対する人々が、どうしたら杉田氏を許すのかを想像しにくいことだ。一度失言をしたら一生許されないのか。仮に杉田氏が、かつての自分を批判し、今は考え方を変えたと言ってもダメなのか。

東京五輪・作曲担当の辞退に至った
小山田圭吾氏と比較すると…

 後者の問題については、東京オリンピック・パラリンピックの作曲担当にいったん任命された小山田圭吾氏が、過去に行った障害者いじめを自慢したことがあるという事実を批判されて、辞退に追い込まれたことを思い出す。

 筆者個人の意見を言うと、過去の行為を自己批判して謝罪している小山田氏は「許していいのではないか」と思う。一方、過去の自分の発言を批判も訂正も謝罪もしない杉田氏は「まだ許さない方がいい」と思う。それぞれの判断の根底にあるのは、「いじめは悪いことだ」「LGBTの人たちの人権はそうでない人々と同等に尊重されるべきだ」という平凡な常識に、本人が過去の問題をはっきり悪いと認めているか否かだ。