コラム

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未来にも残すべシ 個人的には超好ミ 初心者でも読めル

「尾崎豊なんてバカじゃないのか」と反抗を冷笑する18歳の君へ

18歳

盗んだバイクで走り出す 行き先も解らないまま 暗い夜の帳の中へ 誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜

尾崎豊のデビューシングル「15の夜」(1983年)は、若者の反抗心をリアルに歌い上げた曲として、かつては絶大な支持を集めていた。多くの青年がその歌詞に共感し、カラオケで誰かが歌えばサビでは皆が合唱するのが常だった。

ところが近年、その尾崎豊の作品世界が若者の心を引きつける求心力が年々弱まってきているという。尾崎の歌詞は、自分らしい生き方を模索する若者の真摯な声であるとして03年から高校の倫理の教科書に載るようになり、精神科医の香山リカ氏も、00年頃から大学の授業で代表曲「卒業」などを聴かせてきた。しかし近年、否定的な感想を述べる学生が目立ってきたのだと彼女は語る。

「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい」という意見に混じって、「容姿にも才能にも恵まれているのに変に反抗して、早く死んだのはバカだ」という声すらあったという。ここまでくると共感どころか全否定だ。

そう綴られた新聞記事にガツンと頭を殴られるような衝撃を受けたことが、忘れがたい記憶として胸に刻まれている。いま改めて検索してみると、07年4月の朝日新聞記事だった。それからさらに9年が経過したのだ。尾崎への若者の反感はいまや、どこまで広がってしまっているのだろう?

バカをやることが格好良く、美しくすらあるのが若さの特権ではなかったのか?

若さとは無軌道なもの。バカをやって痛い目に遭うことをくり返し、そこから人生行路の航海図を自分なりに描きだすことが青春というものなのだと自分は長年信じてきたし、これまでに読んできた古今の青春文学に描かれる若者の姿もおおむねそうしたものだった。

十九歳の地図

十九歳の地図 著者: 中上 健次

出版社:河出書房新社

発行年:2015

十八歳というコラムのお題から真っ先に浮かぶのは、ベタではあるがやはり、中上健次の初期短編集『十八歳、海へ』(77年)だ。今回、それを十数年ぶりに読み返すとともに、やはり初期の短編集『十九歳の地図』(74年――こちらは初読)も通読してみた。

どちらの作品集でも描きだされるのは、まさしく若さゆえの過ちや挫折の数々だ。肥大した自我と実力が釣り合わないことが若者を無謀で無軌道な行為に走らせ、一作ごとに筆者の分身である私小説の主人公はぶざまな傷を負い、じくじくと膿む患部ににじむどす黒い血と、鬱憤晴らしのように放出する精液が混じり合ったような青臭く饐えた臭いを放ちながら、のたうち回る。

『十九歳の地図』の冒頭にある「一番はじめの出来事」では、1946年生まれの中上が故郷の和歌山県新宮で過ごした小学五年生の頃が描かれる。朝鮮人部落に住む白河君への友情と差別心が混じり合った複雑な想い、「山学校」と称して仲間たちと示し合わせて学校をサボり、裏山に秘密基地を築いた日々。その近くの掘っ立て小屋で寝泊まりし、蛇を捕まえて喰らうという「輪三郎」なる半狂人との竹槍での闘い、熊野川河口の砂州に乗り上げた廃船の傾いた船腹めがけて白河君の妹が座り小便をしているのを見かけて幼い秘裂に指でいたずらをしたこと、そして中上を終生苦しめた、12歳年上の兄の自死など、彼の初期作品のテーマがすべて描かれているといってもいい。

続く「十九歳の地図」では、上京して新聞配達をしている主人公が、配達地域で目についた家に夜な夜な公衆電話からいたずら電話をかけ、「隣の雀荘だけどタンメン三つ持ってきて」などと突拍子もないことを言い続けて、噛み合わない相手とのやり取りに愉悦を見いだす。

このいたずら電話のエピソードで思い返されるのが、いましろたかしという漫画家の初単行本である『ハーツ&マインズ 第1巻』(89年)だ。いましろは、平成のつげ義春とも呼ばれ、大都会の底辺で不器用にもがく若者たちの満たされない思いを私小説的に描く作風が非常に魅力的な漫画家だ。

彼の作品には、作者の分身とも、都会で器用に生きられずに空回りばかりしている若者の類型とも言えそうなキャラクター数名が、名前や役柄をその都度変えて何度も登場する。そのひとりに、パンチパーマでひげが濃く、老け顔でいかにも女から敬遠されそうな20代後半の男がいる(上の表紙画像の男である)。その彼がいたずら電話をかけまくる「シークレットライフ」という短篇がとても印象的なのだ。

そのパンチパーマ男は巣鴨にある風呂なしトイレ共同の木賃アパートで暮らし、日払いバイトで糊口をしのいでいる。ワンレングスの髪形にボディコンシャスのワンピースという組み合わせの若い女性が街にあふれていたバブル期の東京でまったく女に縁のない日々を送っていた彼は、電話帳の番号に片っ端から電話をかけ、女性が出るとわいせつな話をもちかけて自慰にふけることを日課としていた。そんなある日、可愛らしい声の女性の困ったようすに彼が興奮を募らせて陰茎をしごきたてていると、電話口からいきなり男の罵詈雑言を浴びせられて(いつの間にか彼氏に代わっていたのだ)目玉が飛び出るほど驚き、すっかり意気消沈するという話だ。

なんとも情けなく、惨めで、救いのない物語だが、妙な生活感とリアリティがあって、当時大学生だった自分は『ビジネスジャンプ』誌でのこの連載を毎号むさぼるように読んだ。ちなみにこのパンチパーマ男が登場する短篇には味わい深いものが多く、同様の設定だが夜な夜なわいせつ電話をかける代わりに革ジャンをまとって繁華街に出かけ、吸い殻を拾ったりホームレスに千円札を手渡したりして「この街は俺が守る」と決め台詞をつぶやくものや、日雇いバイトでボーナスと称して手渡された封筒の中身がビール券だったことに腹を立て、社長が乗る日産シーマを鉄パイプで叩き壊して「ちょっとは遠慮して生きたれや」と捨て台詞を吐くものなどが忘れがたい。

青春文学にはつきものの「小さな犯罪」を、ネット炎上社会でどう扱うのか

以上、中上健次の初期作品と、いましろたかしの短篇漫画を紹介してきたが、この手の青春作品につきものなのが、小さな犯罪で痛い目に遭い、あるいは良心の呵責に苛まれることによって主人公が成長するという構図だ。

そして最初に紹介した尾崎豊の「15の夜」も、歌詞にあるようにバイクを盗み(年齢的に)無免許で走るという話だ。

こうした「小さな犯罪」は誰もが多かれ少なかれ経験するもので、多くの大人が若き日の愚行による罪悪感を胸の底に抱えて生きていたから、昔の自分と同じような若者による小さな犯罪を目の当たりにした時に、みずからの罪滅ぼしも兼ねてという思惑もあって、ある程度の温情をもってその罪に向き合うという流れがかつてはあったはずだ(まあバイク盗難や自動車損壊ともなるとちょっと洒落にならないレベルではあるが)。

要するに、脛に傷をもつ者同士による世代間での温情のバトンタッチが、かつては行われていたということだ。ところが現在、ネットが日常生活の隅々まで普及したことで、こうした構図が失われてしまったように思われてならない。

「バイトテロ」という言葉がある。コンビニの冷凍庫に寝そべった姿をスマホで撮影してSNSに投稿するような行為のことだ。その程度のバカげたことは、自分の世代を含めた昔の若者も間違いなくやってきたし、ある程度の年齢になってから行状を改めることで「若気の至りで」と免罪符にすることができた。

ところが現在では、そうした過ちが一生消えない記録としてネットにさらされ、ふとしたことからすぐに炎上してしまう。若者にはとことん生きづらい世の中になってしまったものだとつくづく思う。

冒頭で紹介した尾崎豊への若者たちの反感も、根はそんなところにあるのではないだろうか。

しかしそれでも、お行儀よく品行方正に人生行路を歩むだけでは、型破りな人材は出てこないと思う。若者はバカをやり、ぶざまな失敗をしなければならないのだ。

かつての中上健次のように、土俗の泥の底に純情の珠がきらめくがごときすごい作品を書く作家が出てくることを今の若者たちに期待してやまない。そんな大作家の卵である18歳の君がやがて華々しくデビューするときが来たなら、君の初短篇集のタイトルは、『バイトテロ、海へ』なんてものではいかがだろうか?


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へっぽこ侍

へっぽこ侍 さん

思春期を大学受験に捧げ、レールをはずれてもがいている者です。 ぼくは一年中塾と勉強部屋に幽閉されていましたが、 塾は女の子がいて、背中がチラリと見える服をみて、 「背中見えてますよ」というか言わないかで瞳のような肌を凝視したり、 紫の傘を忘れた子を追いかけて渡して、それだけでちょっといい気分になったり、 まったく小さな男で30前後で青春をちょっとずつ取り返し始めているありさまです。 しかし、缶詰にタダされていたわけではありませんでした。 引き出しに原稿用紙をいれたり、メモにちっちゃく小説を書いたり、 文章は何十万字も書いたのではないかと思います。 小説も書いてみたらなにかの真似で、がっかりしながらも、 いまだに描かないと気が済まないです。 このコラムは18歳に僕を引き戻して、青春と物書きの情熱を思い出させてくれました。 書籍の電子化、ネットの肥大で本市場は小さくなるばかりと聞きますが、 気の利いた短編でも出したいですね。 売れる理由まで書き手に求める時代で、見どころがあるぐらいでは 本は出せない世界になっているそうですが、 40代までに一冊は、気の利いた書店にポップを作ってもらえるような 短編を書いてみたいです。 また、性経験が早かったことは、自分の中の重りなのですが、 それに似た作品を書いていた、 中上健次の紹介は、だれでも黒歴史はあるんだろうなと思えて、ほっとしました。 ちょっと書いたものを見返して、整理しようと思います。 最後の煽り、ぐっときました。 ありがとうございます。

 

返信 - 2016.12.20 18:43

待兼音二郎

待兼音二郎 さん

へっぽこ侍さま、まさしく青春の1ページのようなコメントをありがとうございます! 自分も大いに触発されました。まずは素晴らしい記事をシミルボンで拝読することを楽しみにしております。

へっぽこ侍

へっぽこ侍さん

できるかなぁ(笑) 散文的?になっちゃうことに気付いてる今日この頃です(^_^;)

2016.12.24 02:58

 

返信 - 2016.12.23 08:36


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