440話 不本意な評価
南大陸が白下月に入った頃。
北部ではそろそろ寒さを感じる時期ではあるが、ここモルテールンは違った。
比較的温暖である南部の気候とあわせ、更に近年上昇している湿度が原因で寒さとは縁遠い。
温かさを今の時期であっても感じる。むしろ、暑ささえ感じるような今日この頃。日差しの強さがそのまま気温に繋がるいつものモルテールン領。
「ちゅうちゅうたこかいな、ちゅうちゅうたこかいな」
執務机に積み上げられた金貨や銀貨の山。
ざっとみて三百枚は堅かろうその大量の硬貨を、数枚づつ指で引っ張って崩しながら、奇妙な呪文を唱える少年。
ペイストリー=ミル=モルテールン。
御年十三歳の、若き魔法使いである。
モルテールン領領主カセロールの息子であり、次期領主が内定している青銀髪の美少年。
ちゅうちゅうちゅうちゅうと、先ほどから節をつけた鼻歌とあわせて指を動かしている。
「坊、何してるんです?」
ノックもせずに部屋に入ってきた。いや、戻ってきた男が、ペイスのやっている作業を見咎めて声を掛ける。
四十も半ばを過ぎた中年イケオジにして、モルテールン領の大番頭。
従士長のシイツである。
モルテールン領の開拓初期から領主の腹心として仕えた功臣であり、また戦友でもあった。
ペイスのことは生まれる前から可愛がっていて、叔父も同然の間柄。
金貨銀貨の山に対して、また変な散財でも企んでいるのではないかと、疑いの目を向ける。
「チョコレート村の今年度収益を数えてます」
ペイスが行っていたのは、金勘定。
本来であれば会計役の人間が行う雑事なのだが、ペイスは自分で検算するという名目で金貨を数えていたのだ。
チョコレート村と言えば、魔の森とも恐れられる巨大な森の端に設けられた開拓村のこと。
そもそも、モルテールン領の北に位置する巨大な森の開拓を始めたのはペイスであり、全権の責任者でもある。
最終責任者が会計を確認するのは、別に悪いことでは無い。
今は王家麾下の国軍第三大隊が駐屯するとともに、代官として従士が一人常駐している。
モルテールン領の中でも特別な場所であり、殊更投資を行っている場所でもあった。
「しめて、三百二十四レットと、とんで二ロブニですか。出来たばかりの村にしては中々の売り上げです」
「まあ、金貨三百二十枚以上ってんなら悪くねえ売り上げですが……出ていってる分も、まだまだ大きいですぜ? ぶっちゃけ、まだ赤字でさあ」
チョコレート村の現在の主産業は魔の森から算出される産物や、魔物や獣といった害獣の駆除に伴う食肉や毛皮の生産である。
時折、常軌を逸するような美味しい蜂蜜が採れたりもするのだが、現代にも存在しない蜂蜜などというものはお菓子狂いのペイスにとってとても良い研究材料であり、目下のところ禁輸措置の採られた非売品だ。
つまり、魔の森に依存する経済である。
立地として魔の森に隣接しているのだから、魔の森の産物を目玉にするのはおかしなことでは無い。だが、狩猟採取に寄った経済というのは兎角不安定になりがち。
出来うるなら、豊凶作のブレは有れども安定する農業か、或いはより安定した工業辺りを主産業に据えたい。
ペイス達モルテールン上層部は、産業の振興と育成を考えて大規模投資を繰り返している。
そもそも開拓である以上、初期の持ち出しは仕方がない。何もない所に村を作るというのだから、初期投資が掛かるのは仕方の無いこと。
かつての万年赤字体質であった頃ならいざ知らず、赤字だからと今更おたおたするような経済状況にはない。
「赤字ですが、意味のある赤字ですね」
今現在のモルテールン家は、龍の素材の売却益という、馬鹿のように膨大な稼ぎが有ったことから黒字も黒字。前代未聞の、国家収益規模の大儲け中である。
更にその収入の一部は神王国各地に投資されており、今後も継続してある程度大きな収益は見込める。
モルテールン領の経営は、超が付くほどの優良運営で安定し始めた。
故に、一部の事業で多少の赤字を出すことも必要悪。
お金というものは、循環してこそ意味が有るもの。どこか一か所に貯めて置きっぱなしにすれば、そこから動脈硬化が始まって経済が死ぬ。
魔の森の開拓という巨大事業について、今赤字を出すというのは、将来の大きな成果の為の布石であると、ペイスは言う。
「そりゃ分かりますがね。いつまでも赤字垂れ流しっぱなしってのも不味いでしょう」
「それはそうです。いつかは黒字化させなければならないでしょう」
従士長の意見に、ペイスは頷く。
幾ら必要悪と言えども悪は悪。
どこかのタイミングで、黒字転換を図らねばならない。
漫然と赤字を垂れ流すようでは領主として失格。代行としては首になる要素。
意味のある赤字で無ければならず、最低限、将来の見込みぐらいは欲しい所だ。
「黒字にするにゃあ、もう一工夫欲しいところで」
シイツの呟くような言葉に、ペイスははっきり目を輝かせる。
座っていた椅子から飛び上がらんばかりに腰を浮かせた。
「じゃあ!!」
「坊は大人しくしていて下せえ。若いのに考えさせるんで」
だが、ペイスの反応もシイツに抑え込まれる。
従士長に大人しくさせられた少年は、不満を口にした。
「何故です」
「そりゃ、坊だとどうせ菓子のことしか出てこねえからでさぁ」
「不本意な評価です」
シイツは、ペイスの頭の中はお菓子のことしかないという。
事実である。
モルテールン家の人間ならば既に周知の事実、既知の常識であるのだが、なまじお菓子の為に他の部分も結果を出してしまうから質が悪い。
このままチョコレート村のことも任せっきりにしてしまえば、本気でお菓子に染まった、採算度外視赤字塗れの異常事態になりかねないと、シイツは考える。
「妥当な評価だと思ってますんで。それに、若い連中を鍛えるのも大事でしょうが」
「まぁ、それは確かに」
従士長も、勿論ペイスのことは理解している。お菓子馬鹿である点を踏まえても、ペイスは結果を出すだろう。自分の不安など、払拭するぐらいの成果を出して、チョコレート村の運営を黒字にして見せる可能性は高い。お菓子だらけの大赤字運営になる危険など、杞憂かもしれない。
しかし、理解した上でペイスを抑えているのだ。
従士長たるもの、領地全体の一部にのみ拘り、そこだけに焦点をあてた政策を推進するわけにはいかない。
考えるべきは、領地全体のこと。そして、モルテールン家という貴族家にとって、最良の選択を考えること。
今、モルテールン家にとって最も大事なことは何か。
それは、人材育成である。
ペイスに曰く、人は城,人は石垣,人は堀。
優秀な人材を育てることは、モルテールン家にとっては重要な政策だ。
特に、従士長シイツや領主カセロールは四十代も後半。そろそろ五十という年が見えてきている。
十代で結婚や出産をすることが当たり前なこの国においては、十分に高齢と言える年齢だ。
若い者に席を譲り、後進の指導や補佐という形の脇役になっても不思議はない世代。
幸いにして、領主についてはペイスという後継者がいる。スイーツ脳という欠点は有れど成果も出し、功績も大きい。カセロールが引退しても、大丈夫だろうという安心感はある。
問題は、シイツの後継者だ。
今のところ領内の工事一切を取り仕切る、工務担当責任者のグラサージュ辺りが後継者と見込まれているのだが、彼とて若いとは言い難い。
今の若い世代。ペイスと同年代の十代や、或いは二十代ぐらいの連中から、使えそうな幹部を育成しておくことが求められている。
他ならぬペイスが領主になった時。シイツが居なくても、今以上に領地運営が安定しなければ困るのだ。
「領内の産業振興を主導させる。いい経験になるでしょうぜ」
チョコレート村は、全くのゼロから作った開拓村。
産業をゼロから興し、流通網や交通網をゼロから整備し、防備体制や治安維持体制をゼロから作る。
こんな良い教材は滅多にない。
シイツやカセロール達、親の世代がこの三十年苦労してきたことを同じように経験するということだ。
自分たちの経験を伝え、知識を繋ぐためにも、ペイスが出しゃばっては勿体ない。
若い連中に任せ、ペイスはそっと見守るぐらいで良いのではないか。
シイツの言葉に含まれる意味を理解するペイスは、不本意ながら頷くしかない。
「では、彼らにヒントぐらいは良いでしょう?」
「手加減を忘れねえってんなら、良いでしょうよ」
ペイスも、チョコレート村の開拓は成功させたい訳で、あまりに不出来なようなら口を出すと決めている。
後進の指導というのは重要であるが、それでチョコレート村が潰れてしまっては本末転倒だからだ。
「問題が無いのが一番ですが、何かあれば介入しますからね」
「へいへい」
従士長は、自分の仕事が増えないのなら、ペイスのやることには基本的に傍観を貫くと決めた。
「問題といやあ」
「はい?」
「ドロバ家の息子。最近色々とやらかしてるらしいですぜ」
「コアンの息子? マルクが学校で何かやらかしましたか?」
シイツの元には日々色々な報告が集まる。
時折どこかに居なくなる領主代行ではなく、一旦従士長に報告を預ける辺り、モルテールン家の面々は効率的な仕事のやり方というのを分かっている。
面倒なことをいつまでも抱えるのではなく、さっさと偉い人に預けてしまえというやり方。賢いといえば賢いが、狡いといえば狡い。
尚、このやり方は悪い大人たちが後進にこっそり教えている、公然となっている裏技である。
数多く集まる報告には、特にモルテールン家に雇われている訳では無い人間についても報告があった。
重臣クラスの家族の話題などは、スパイがうじゃうじゃいるモルテールン領では繊細に取り扱うべき情報だろう。
「いやいや。弟の方でさぁ。クーの奴が、最近はなかなかヤンチャをしでかしてるってぇ報告が有りやした」
「コアンも頭が痛いでしょうね」
「単身赴任で王都に居るもんで、怖い親父が居ないからと。まあ、寂しさも有るのかもしれませんぜ?」
クインス=ドロバ。
マルカルロ=ドロバの弟であり、コアントロー=ドロバの息子である。
まだまだやんちゃ盛りの年頃であり、ここ最近では往年のルミやマルクのように元気いっぱいで悪戯をしている。
近頃はちゃんと勉強をして大人な振る舞いが出来るようになったマルカルロに比べれば、往年のマルクを思わせるクソガキっぷりだという。
「この間も、魔の森にこっそり行こうとして巡回の連中に捕まりそうになって。逃げだしゃ逃げるで木登りやら隠れるのやらが滅法うまいもんだから捕まえるのにも一苦労って話で。屋根の上を走り回ったと聞いた時ぁ、落ちたらどうすると説教してやりました」
「将来が楽しみですね」
「そう言えるうちが華で」
「得意なことがあるのは良いことです。マルクやルミは石投げが得意でした。あれもなかなか、大人に目玉を食らったものです」
まだ幼い時分の少年が、変に縮こまっていると逆に不気味。
やり過ぎれば叱るのも愛情だが、ほどほどに羽目を外させてやるのも大事なことだと、ペイスは頷く。
ガキの悪さは今更かと、従士長などは呆れること頻りである。
「しかしまあ、悪ガキは悪ガキでも、坊と比べりゃ可愛いもんで」
「不本意な評価ですね。僕はごく普通の模範生ですよ」
どこがどう模範なのかと、シイツはペイスの言葉に半笑いで応えるのだった。
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