第4話 魔導王と召喚術者
『魔導王召喚と、二千年紀における世界破滅の最終理論』
何というか、穏やかではないタイトルである。
まるで終末思想の予言家の著書みたいだ。
普段の俺なら一笑に付してしまっている気がする。
しかし、ここまでで起きた様々な説明不能な事象の連続と、何より、この文字を普通にすらすら俺が読めているという事実が、この石で出来た本に無視できない現実味と迫力を生んでいた。
表紙をめくり……はて、紙じゃなくて石なのだが、「表紙」と言っていいのかな。
にしても、やはり石製だから一頁がやたら重いし、開きにくい。
このサイズの石にしては、妙に軽いような気もするのだが。
それでもこの読み辛さじゃあ、とても流行らないだろうな。石の本は。
ともかく、俺は頁をめくって本の内容を読みはじめた。
文字列は、石に溝のように刻まれている。
『我が人生最後にして究極の召喚術について、ここに記す。 ――リュベウ・ザイレーン』
やはり知らない文字だ。
だが、普通に読める。日本語と同じ感覚でだ。
なるほど、この本の著者の名前は、リュベウ・ザイレーンさんというのか。
ふむ、外国人さんだね。
続く文字に目を移す。
『我が骸と共に眠るこの書を開く者よ。生者がこの石室内に踏み入ったということは、〈破滅の魔導王召喚〉による古き世界の滅びから千年の時が経ち、大岩扉の時限結界装置が解除されたということだろう』
我が骸……ってのは、状況的にあそこで死んでる骨おっさんのことだよな。
つまり、この本の著者のリュベウ・ザイレーンさんって、骨おっさんなのね。
てことは、これ遺言書か?
“大岩扉”という記述で即座に思い浮かぶのは、入り口のあのでかい石の門だ。
おそらくあれのことを言っているのではなかろうか。
時限結界装置ってのが何なのかは知らんが、多分その大岩扉は俺が〈開けゴマ〉の暴発事故で、さっきグチャグチャのグロ画像にしてしまった……。き、期待を裏切ってしまって何かすまん……。
しかし、“破滅の魔導王”?
タイトルにもたしか“魔導王”って書いていたよな。何だろう。
どうも、それがこの人にとっての重要なテーマっぽい感じだが。
『破滅の魔導王とは、世界に滅びをもたらす異界の狂王である。私は生涯をかけた研究により、その召喚理論を確立し、これより実行する』
いやいやいや、破滅の魔導王めっちゃヤバい奴じゃねえかそれ!
骨おっさん何でそんなもの呼ぼうとしてるの!? 馬鹿なの? 死ぬの?
あ、死んでたな……。
とは言え、破滅の魔導王云々と言われても、俺にとって半ば他人事のような話だ。
これは、信じる信じない以前の感想でもある。
多くの人間にとって、終末思想ってのはそういうものだろう。
だって、世界が滅ぶって言われても、一般人にはどうしようもないもんなぁ。
世界が滅ぶらしいからって、予言の段階じゃぁ、べつに仕事や学校を休めるわけでもない。
そういう意味では、台風の方がまだ影響力がある。
俺はそのまま石の頁をめくり続けた。
結局のところ、この本、厚みのある石板を綴り合わせているわけだから、ページ数は少ない。代わりに1枚にびっしり文字が刻みこまれているが、それにしたって分量的にはさしたるものではない。
本の最初のあたりには、リュベウ・ザイレーンが破滅の魔導王召喚による世界の滅亡を決意するにいたった経緯が記述されている。
ちなみにこのザイレーンという人物について、俺はすでに「さん」付けはやめている。
理由は単純、この男はかなりのクソ人物だったからだ……。
こいつ、若い頃に婚約者が政争に巻き込まれて亡くなってしまったらしい。その事には同情するけれど、だからって世界中の人を巻き込んで皆殺しにしようとか考えるか、普通? 頭おかしいだろう。
しかも、才能がありすぎて何でも思うようにできるせいで、逆に世界がつまらなくなった、みたいな事まで平気で書いてある。ふむ、ザイレーン君、キミねぇ。それは別に世界を滅ぼさなくっても、キミがひとりで自殺すれば解決する案件なのではないかな?
他には、そうだな。ことあるごとに、『これはあらかじめ定められた運命だ』と、しつこく書いているのが、少し気にはなるだろうか。狂人の理屈と言ってしまえばそれまでだが、一体何の運命に導かれていたのやら……。
もうひとつ気になるのは、この本、ときどき読めない箇所があるんだよな。
多分これ、魔法の細かい解説部分だと思うんだけど。
一部が文字の羅列に見えるのだ。
わかりやすく言うと『けせぺぺぺぽらにぴぷぷ……&&』みたいに見えるってことだ。
実際はこんな単純な内容ではないのだが。
俺に突如覚醒した謎外国語翻訳機能が、バグっているのだろうか?
――後に判明したことだが、俺のこの言語翻訳能力だけでは、いわゆる魔法の具体的な術式とか、魔法陣の内容なんかを読み解くことはできない。これはどうも、言葉や数字を扱えていても、具体的な数学の知識がなければ、高度な数式を見せられたとき数字と記号の羅列にしか見えないのと同じ状況が起きているらしい。
そもそも、俺がこの言語翻訳能力――これは厳密には言語翻訳能力というよりも、むしろ言語知識の上書きと呼ぶべき性質の物だったのだが――を持っていること自体が、ご都合主義や神様からの俺へのサービスなどではなく、召喚術者リュベウ・ザイレーンによって仕掛けられた残忍な罠の一環にすぎなかったのである。
ただ、俺がその事実を知るのは、随分と先の話になる。
ともあれ、俺にとってこの時点での最大の幸運は、リュベウ・ザイレーンが、おそらく彼にとって秘術中の秘術であろうこの〈破滅の魔導王召喚〉の儀式について、この本の中では、ほとんど概説を述べるにとどめていた、という、この点に尽きる。
もし具体的に術式の解説などを詳細に入れられていたら、俺の読解能力では手も足も出なかっただろう。大部分が読めないヘンテコな書物として、理解を放棄し読書自体を切り上げていた可能性すらあったのだ。
だが結果的に、俺は「大半は理解できる内容をもった書物」として、この石の本を読み進めることができた。
さて、石本の内容は、すでに佳境にさしかかりつつあった。
著者の世界に対する怒りとか恨みみたいな、そういうわりとどうでもいい事に関する叙述は終了し、段々と、異世界の住民である破滅の魔導王を召喚するための具体的な方法論に踏み込みはじめていた。
俺、基本的に読書好きだからな。
恥ずかしながら、何かもう、すでに結構わくわくしながら読んでいる。
『本来、この世のものでない異界人の召喚には、非常に大きな代償が必要となる』
ほう、そういうものなのか。
まぁ大魔王召喚的なやつだろうもんなぁ。ノーリスクとはいかないのだろう。
『私はこの問題を、召喚術者の生命を代償とし、さらに不足する要素を、“先祖返りの血”を生贄として用いることで解決した』
……ん? 生贄だと? なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。
この状況だと、普通に考えれば俺が生贄だよな……。
邪教の生贄ではなく、大魔王召喚の生贄のために拉致されてきた可能性が一気に高まってきたぞ。
でも、先祖返りの血ってなんだろう。
俺の先祖は多分、平和な農民だと思うのだが。
それに召喚術者って、リュベウ・ザイレーン本人のことだよな。
召喚術者の生命が代償ってことは、この召喚術の実行、つまり魔導王を呼ぼうとしたことでリュベウ・ザイレーンは死んじまって、その末路がここに座っている骨おっさんってことか……。
自分まで死ぬとは、かなり
『代償と生贄の理論が完成した段階で、通常、魔導王の召喚の術式としてはすでに形を成していると言える。ここから、破滅の意思を持つ異界の人間を選定召喚することにより、
か、過去にも破滅の魔導王を召喚した人間がいるのか?
ろくでもないな、こいつら。暇なのか……?
『かつて世界の破滅を成すことなく殺害された幾人もの召喚型魔導王は、このように破滅的人格のみを基準に選定召喚され、魔導の使い手としての資質にいささか欠ける者たちであった』
あ、やっぱ倒されてるんだな。
そりゃそうだよな。だって世界滅んでないもの。
『しかし、我が召喚術式の画期的な点は、二段階の降誕過程を踏むことで、これら弱小の魔導王を召喚する危険性を完全に排除できる点にある』
二段階の降臨過程ね。ふむ、なんだろう?
じつはもう俺、かなり楽しくなってきていた。
こういう、いろいろと工夫する過程を知るのは嫌いじゃないんだ。
だが、この本の内容は、俺にとってここからが真の本番だったのだ。
俺は、リュベウ・ザイレーンという男の真意と、自分がここに立っていた事の意味というものを、この時点ではまだ完全に履き違えていた。
その頁に、目を通すまでは。
さらっと読み流しそうになっていた。
本の中であいかわらずリュベウ・ザイレーンによる自説の解説と自慢が続くなか、その一文は不意に俺の目をとらえた。
『――まず、地形と結界により外界と隔絶されたこの土地に、異界より破滅の魔導王の「
終わりとはじまりの……洞穴。
洞穴を通過したいという、強烈な暗示。
俺は一瞬、硬直した。
たらり、と背筋に冷や汗が流れる。
ここで目を覚ました直後の光景が、脳裏に蘇っていた。
最初に目に入ったトンネル。そして、トンネルを見たときの、意味不明な強い衝動。
『「器」は何もわからぬ状態で、ただ衝動の赴くままに「終わりとはじまりの洞穴」を通り抜けようとする。そして、洞穴の内壁には、刻印された
な、なんだ。こ、魂転写……? 何それ……?
だらだらと汗が流れはじめる。
『召喚直後でいまだ魂が定着しきっていない不安定な「器」の記憶と人格を、〈魂転写〉の術式が完全に破壊する。そして、我が記憶を元に作り上げし真なる破滅的人格が「器」の肉体と魂へと転写、人格の上書きが行われるのだ。「終わりとはじまりの洞穴」を通り抜け外界へと降り立ったとき、彼はすでに「器」ではなく、真なる「破滅の魔導王」へと転生している』
…………。
『こうして生まれるのだ! 究極の魔力と破滅の意思をもつ、「歴代最強の魔導王」が!』
ふっざけんなああああああああああああああああああああ!!!
お、おまっ お前なあ! なんじゃそりゃ!?
めちゃくちゃ危なかったんじゃねーかよ俺!!!
うっかりあのトンネルに入ってたら、どうなってたんだよ!? こえーよ!
何なんだ一体! 本当に人の迷惑とか考えろよザイレーン! てか死ねよお前!
あ、もう死んでたな……。
つうか、ここが異世界で、俺が破滅の魔導王なのかよ……。
言われてみれば、大岩扉をぶっ壊したときのグロい魔法とか、もろに大魔王っぽい感じだった……。本のカバーがメントスガイザーした方はまぁ、大魔王っていうよりも大道芸人っぽかったけど……。
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俺は疲れ切った表情で、とぼとぼと大岩扉の洞穴を後にする。
憑り殺されそうになっていたのを知ったときには、正直、リュベウ・ザイレーンの白骨死体をバラバラに蹴り飛ばそうかという衝動に駆られた。だが、まぁ、文字通りの死体蹴りってのは、誇り高き文化人であり紳士の魂を持つ俺としては流石にな……。
俺の紳士道は殺意の衝動を耐え切った。
その後、石の本をもうしばらく読んでみたのだが、それ以上のめぼしい情報はなかった。
この石の本自体も、でかくて重すぎるから持ち出しはかなり厳しい。
頑張ればいけるのかもしれないが、俺は筋力にはそこまで自信がない。
それに、持ち出しても結局、非常に寝辛い石の枕にしかならないような気がする。
洞穴の外に出てみると、すでに日は沈み、あたりはすっかり暗くなっていた。
照明が明るかったので気づかなかったが、けっこう長い時間、本を解読するのに没頭してしまったせいだろう。
はぁ、腹が減ったな。
色々ありすぎた上に、読書をしている間は集中していたから何も感じていなかったが、こうして一旦解放されて空腹を意識すると、とたんに腹が減りはじめた。
そうか。昨日寝ている間にここに来たのだから、丸一日何も食ってないってことだ。
近くに生えている果物でも齧ってみようか。
食糧調達とかそこらへん、破滅の魔導王パワーで何とかならないものか。
……なりそうにないな。
しかし、ここまで来て俺はなお、リュベウ・ザイレーンにより俺が破滅の魔導王として異世界に召喚されてきた、という事実を信じ切れていない。
つまり、まだ俺の中で状況を確信するための要素が足りてないってことだ。
足りていない要素とは何だろう?
俺がなお自分の目で確認していない事柄――
魔法を見た。
さらに実際に使用して、その感触も得ている。
大岩扉を破壊する呪文を唱えたときのあの感覚は、今まで経験したことのないものだ。
そして目覚めたらいつのまにか来ていた、記憶にない、この場所。
知識にない言語の文字を、すらすら読めている事実。
連結された二つの魔法陣。
その片方に立っていた俺と、もう一方に残された召喚術者リュベウ・ザイレーンの死体。
さらには、覚醒直後に感じた、例のトンネルに対しての説明不能の強烈な衝動。
記述のひとつひとつは、俺が現在置かれている状況と見事に符合している。
リュベウ・ザイレーンにとって、破滅の魔導王の器である俺が、人格の上書き――たしか〈魂転写〉だったか――を回避した上に、大岩扉の封印装置をぶっ壊して石室に闖入して来るなんてことは、完全に想定の範囲外だったはずだ。ならば、少なくともあの遺言書じみた本の中で、俺の閲覧に配慮した嘘をついているとは考えにくい。
まだ何かあるのか?
俺が確認していない、何か……。
そこで気付いた。
――そうだ。ここが異世界だという確証が、何ひとつない。
たしかにこの土地は見知らぬ場所だが、実際には、ただ、それだけのことなのだ。
知らない場所だから地球じゃないなんて、そりゃ突飛すぎる推論だ。
さらに、魔法が存在していることは既に確認しているが、そのこと自体はここが異世界たる証明にはならないぞ。地球に魔法が本当にないのかなんて、分からんのだからな。
とにかく、まずここが異世界なのかどうか、それをなんとかして確認しなければ……。
今後の行動の方針を決定するのは、そこからだ。
そう考えながら、決意を込めて、星の煌めく夜空を見上げる。
――そこには美しい満月が、“二つ”浮かんでいた。
……うん。なるほどね。
こうして俺は異世界召喚を全面的に信じた。