-続編- 陰キャラの僕が本気で筋トレして人生を変えた物語 | 長畑遼

中川 晃雄
株式会社GOAL-B CEO
株式会社GOAL-Bの代表取締役社長。月間20万PVの個人ブログを運営し、登録者数12万人のYouTubeチャンネル「AKIOBLOG」を運営。自身が経営する株式会社GOAL-Bで、累計2000人超が受講したキャリアコーチングサービス「キャリスピ」を提供。著書「本気の副業術(西東社)」

-続編- 陰キャラの僕が本気で筋トレして人生を変えた物語

こんにちは。長畑遼です。

早いもので、GOAL-Bに入社してから9ヶ月が経ちました。

このタイミングで、僕の生き様記事の第二弾を書こうと決め、2020年9月以降の僕に起こったことについて書きました。

まだ第一弾の記事を読んでいない方は、下記から読んでいただけると嬉しいです。
(僕の小学校から27歳までの人生について記しているものです。)

陰キャラの僕が本気で筋トレして人生を変えた物語 | 長畑遼

今から書き始める第二弾は、GOAL-B入社より少し前の描写から始まります。

それではどうぞ!

 

⑨コーチングとの出会い 自分が命を懸けて成し遂げたいことは?

初めての転職に成功し、前職よりもやりがいを感じ、役職も与えられ給料も上がった。
アメフトチームの主将も務め、毎朝5時に起きて英会話をして筋トレにも行っていた。
貿易で起業することも決意して毎日勉強していた。

充実した毎日を過ごしながらも、何かが足りない日々が続いた。
自分の人生の目的が何なのかわからなかった。

「自分はいったい人生を通じて何を残したいのか?」

ずっと考えていたが答えが出なかった。

そんなとき、コーチングに出会った。

GOAL-Bのコーチ・山宮健太朗。
彼のYouTubeを見て、本当にやりたいことに向けて突っ走る男の生き様に憧れた

自分の人生を見て「充実」していると感じていたが、彼の人生を見ると、それは「夢中」そのものであった。

この状態になりたい。彼を見ると、今の自分が「きついけどなんとか頑張っている」という状態に感じられた。

彼のコーチングを受けることによって自分の心の奥底と向き合うことができた。
もちろん楽しいことばかりではなかった。
今まで心のどこかで言い訳にしていたこと、引っかかっていたことを見逃せなくなった。
とても苦しかった。

英語を勉強している理由がわからない。
起業したい理由がわからない。
今の仕事が本当に好きなのかわからない。

しかし、コーチと共に自分ととことん本音でに向き合った分、
「自分の人生の目的は何か」「自分が心からしたいことは何か」
を少しずつ抽出することができた。

これまでは「筋トレが好きだからジム経営すること」が心からやりたいことだと感じていた。

しかし、自分の過去と向き合ったとき、筋トレ以上に大事にしていたのは「筋トレを通じて生まれてきた人間関係」だった。

自分が本当にしたいことは「優れた経営者になること」ではなく、「お客様と1対1で対話をしてその人の人生に向き合い、より良くしていくこと」だと初めて気付くことができた。

 

「筋トレ」が自分の外見を変えた。
そこから生まれた「人間関係」が自分の内面を変えた。
そして、自分の大切にしているものがこの2つだと「コーチング」が気付かせてくれた。

 

コーチングを受けて間違いなく1番良かったことは
「本音で自分の人生を生きて良いんだ」ということに気付かせてもらえたこと。

もう自分に嘘はつかない。今度こそ自分が心の底からやりたいことをすると決めた。

 

そして、コーチである健太朗に

「GOAL-Bに入りたいです。」と言った。

勇気を出して、覚悟を決めて言った。

死ぬほど汗だくだった。

今度こそ、心の底からの本音だった。

 

心と身体が変われば人生は変わる。
これからの自分の生き様でそれを証明していく。
GOAL-Bなら、それができる。
GOAL-Bで、俺は輝く。

そう誓って、2020年9月に株式会社GOAL-Bに入社した。

創業からずっと注目してきた、大好きな会社。
10人目の社員として、人生を懸ける覚悟を決めた。

 

2回目の転職もとても苦しいものだった。

会社をやめるときは上司と揉めたし、自分の大切な同僚やお客様を裏切ったような気持ちにもなった。

それでも、自分の人生の主役は自分自身。
自分が本能的にやりたいと信じたことをやる。

期待を裏切った分、BIGな男になる。

コーチングで自分とアツく向きあった自分は、27歳にしてまた一回り強くなったのだった。

 

 

⑩GOAL-B編その1 入社後2週間で事業責任者に就任

 

2020年9月、株式会社GOAL-Bに入社。
ワクワクと不安が入り混じった毎日がスタートした。

 

 

入社後は27年間過ごした関西を出て名古屋へ。
トレーニングジムGOAL-Bのオープンに向けてドタバタの毎日だった。
前職での知見を少しでも活かそうとジム立ち上げに毎日向き合った。楽しい日々だった。

入社から2週間が経ったとき、レッツゴーなぎらが体調を崩し、急遽フィットネス事業責任者を引き継ぐ形になった。

正直不安の方が大きかったが、事業部全体の責任を背負う覚悟を決めた。
マネジメントについてはわからなかったが、とにかくジム立ち上げまでのTo Doリストを綿密に管理し、10月1日のオープンに備えた。

それでも上手くいかないことの方が多かった。苦しかった。

ある日、事業部のMTGで発言した。
「俺が事業責任者である意味ってなんなんやろ?」

共にジム立ち上げをしていた安慶名健吾とマンティ福原には
「ただ安心するから一緒にいてほしい」と言ってもらえた。

AKIOには
「フィットネス事業部メンバーが本音で話せる環境づくりは遼が1番得意なはず。だから任せてる」
と言ってもらえた。

自分はマネジメント能力には長けていないけど、場を和ませるコミュニケーションでチームをまとめる人間なんだと気付くことができた。
これに救われた気がして何度も奮起することができた。

そしてジムは予定通り10月1日に無事オープン。

 

初日の営業が終わったとき、全員で泣きそうな顔で喜び合った。
「仕事って楽しいんやな。」
そう思えたことが心の底から嬉しかった。

そのまま多くの会員さんが入会してくれた。
ジムのフロントで会員さんと話すことは何よりも楽しかった。
そしてオープン初月から黒字化を達成し、波に乗っていた。

 

 

トレーナーの数が足りないと考え、採用活動も開始した。

そして、自分の大学の先輩である久保田甲斐に何度も断られながら何度も説得した末、1月入社として採用することができた。
甲斐さんが入社を志望してnoteを書いてくれたことも、GOAL-B側もそれを受け入れてくれたのも、心の底から嬉しかった。
「人と人を繋ぐ」ということに関して大きな自信があった。

しかし、11月、12月と時が流れ、ジムの勢いは止まっていた。
コロナの影響や冬という季節柄もあり、入会者がどんどん減っていたのだ。

事業責任者として様々な施策を考えて実行するも、あまり上手くいかなかった。
毎週の経営MTGで売上の進捗を報告する時間が、何よりも苦痛だった。
数字という結果は嘘をつかない。「頑張ったけどダメだった」は通用しない。

考えて考えて、事業計画を何度も修正してはやり直す日々。
夜通し考えても答えが出ず、疲労から生産性が落ちる負のループ。
自分は全く売上をつくれていない。でもマネジメントも上手くいっていない。
現場で頑張ってくれているトレーナーやインターンのみんなに申し訳ないという気持ちしかなかった。

その頃は、社会人アメフトチームの活動も全く上手くいっていなかった。
大阪まで帰って臨んだ試合の1プレー目で脱臼して病院に運ばれたときは、自分の情けなさに涙を流した。

社内でも大丈夫かと心配される日々。
心も身体もボロボロだった。

ある日、社長のAKIOから電話がかかってきた。
「遼、責任者よりプレイヤーをやりたいって想いはある?」

このとき、迷いながらも半分本音、半分はギブアップの気持ちでYESと言った。

 

 

こうして事業責任者を退任し、現場の最前線でトレーナーとして活躍することを誓った。
事実上のドロップアウトという形になったが、しばらく抱えていたモヤモヤが吹っ切れた。

入社から4ヶ月後、こうして長畑遼は社内で大きく生まれ変わることとなった。

 

 

⑪GOAL-B編その2 トレーナー・そしてコーチへ

自分は社内で売上に貢献できていない。
かと言ってマネジメントでも成果を上げることはできなかった。

この事実がしばらく自分を苦しめた。
「トレーナーで成果を出すしかない」
自他ともにわかっていた。

パーソナルトレーナーに関しては、資格はもともと所持していて指導は可能であるものの、実戦経験が少ないことが不安だった。
無職期間に知り合い数人に指導したことがあるという程度。

なので、まずは体験会の場に誰よりも多く立ち、指導経験を積むことから始まった。
トレーナーに関するインプットもしつつ、営業やコミュニケーションについても相当な時間をかけて勉強した。
社内の優秀なトレーナー陣のセッションも参考にさせてもらった。

2021年1月。新年を迎え、ジムの大型キャンペーンにより多くの方が体験に訪れてくださった。
毎日のように体験会を担当し、多くの方に入会していただいた。
入会いただけなかったときはその原因を考え抜き、毎回のセッションで出来たこと・出来なかったことをエクセルにまとめた。

自分なりに仮設を立てて実行していくプロセスには何事にも変えがたい楽しみを感じることができた。

次第に入会率は上がっていき、通常会員になるだけではなく自分のパーソナルトレーニングを契約いただける方も増え始めた。
目に見えて結果が出始めた。

 

 

「絶対にこの人たちの身体と心をより良くしよう。」
「俺の関わりで、彼らの人生を変える。」
この想いだけで夢中で関わり続けた。

自分のクライアント様が

ベンチプレスのMAXを30kg更新したとき。
8kgの減量に成功したとき。
「初めて筋トレを楽しいと思った」と言ってくださったとき。
「パワーリフティングの大会に出たい」と言ってくださったとき。
「長畑さんと出会えて良かった」と言ってくださったとき。

自分の心に、今まで感じたことのない喜びが走った。
自分を信じてついてきてくれて、結果を出してくれたことにただただ感謝していた。

「仕事って楽しいんやな。」
再びこの気持ちを味わうことができた。

気付けばトレーナー開始1ヶ月で、自分のクライアントは20名を超えていた。
セッション数も月100回を超えるようになった。

開館から閉館までぶっ通しでセッションしたり、睡眠不足でヘロヘロになる日もあったが、トレーナーの仕事は全く苦にならなかった。

パーソナルトレーナーという職業は、今までのどの職業よりも楽しかった。
自分の天職であると今では胸を張って言える。

たくさんのお客様と出会いと別れを繰り返した。

彼らが人生の中で、少しでも「筋トレが楽しい」と思ってくれたこと。
その場面に少しでも自分が関われたこと。

これらはかけがえのない財産となった。

 

自分が好転することができたきっかけは他にもあった。

年始にコーチングを受けたときに、「スポーツ選手として突き抜けたい」という言葉が自分から出てきた。

とにかくかっこよくなりたい。目立ちたい。そんな想いで溢れていた。

そして、パワーリフティングで日本一になることを誓い、ゼロから鍛え直した。
事業責任者時代は満足にできていなかった筋トレも、明確な目標があるから再び燃えることができた。

 

そして2年ぶりに出た大会では、悔いは残るものの、自己記録を大幅に更新することができた。
同僚の甲斐さんと、そして自分のクライアントさんと共に出場した経験は忘れられない。

(6月からは専門のオンラインコーチをつけて、11月の大会でBIG3合計600kgを達成する予定である。)

 

このように、コーチングを継続的に受けることで、止まっていたものがどんどん動き出している。

 

 

「Mr.Japan 2021」という日本一のイケメンを決めるコンテストにもエントリーした。


 

今までなら、「自分とは無縁だ」と切り離していたもの。それでも挑戦することができた。
(6月現在、セミファイナリストまで進むことができている。もちろん優勝する予定である。)

 

 

また、5月に受けたコーチングでは、舞台俳優としても輝きたいという欲張りな想いも出てきた。

「舞台俳優になる」という目標を決めてしまうことにより、ミュージカルのオーディションに応募する決断ができた。
そして奇跡的に一発で合格した。

このときに改めて気付いた。

「経験なんて関係ない。向いているかどうかなんて関係ない。全ては、挑戦するかどうかで決まる。」

(8月にミュージカルデビュー予定。現在、稽古に大苦戦中…)

 

自分の人生は、このようにコーチングによって大きく動かされてきた。

GOAL-Bへの転職
トレーナーとしての実績
パワーリフティング選手としての復帰
Mr.Japanへの出場
舞台俳優デビュー

コーチングの場で本音中の本音で自分と向き合えていなかったら、自分はこのような現実をつくれていなかった。

だから今度は、自分自身がコーチングを提供すると決めた。

一人でも多くの人が、自分の生きたい人生を生きられるように。

また、過去の自分のように大切なときに後悔してしまう人生を送らないように。

 

これからの長畑遼はトレーナーであり、コーチ。

他人の目を気にして生きてきた自分は、自身と向き合い決断することの怖さは誰よりも理解している。
だからこそ、クライアント様の本音ととことんアツく向き合い、自分の人生を懸けてできること全てを注ぎ込む。

「全ての人に可能性がある」を体現して見せる。

これが長畑遼の新しい挑戦である。

 

 

2021年7月から第3期を迎える株式会社GOAL-Bは、世界一の組織を目指している。

その中で長畑遼は、世界一かっこいい漢になる。

強くてイケメンで歌と演技が上手くて優しくて熱い心の持ち主。

そんな漢の中の漢になってみせる。
何度失敗しても這い上がり、強く熱く、泥臭く生きてみせる。

いつか過去を振り返ったときに「エモい」と思えるような毎日にする。

死ぬほど後悔してきた人生だからこそ、残された人生を全力で生きていく。

 

 

おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございました。
1文字1文字、魂を込めて書きました。

僕がこれまでどのような人生を歩んできたか、少しでも伝わったら嬉しいです。

また、この記事をきっかけに少しでも僕に興味を持っていただけるととても嬉しいです。
そして今後、何らかのご縁があれば幸せに思います。

もしかしたら、今この記事を読んでいるあなたと、何か新しいものをつくっているかもしれない。

 

いつか「この記事を書いて良かった」と思えるように。
今までの自分の過去やトラウマをさらけ出してでも
「本当の自分を知ってもらって良かった」と思えることを信じて書きました。

 

これからも立ち止まることなく進化を続けていきますので、僕の生き様を見ていただけると嬉しいです。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

 
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