地球の唯一の自然衛星である「月」は、質量が地球の約81分の1であり、惑星に対する質量の比率が非常に大きいことを特徴としています。次に大きな値は海王星の衛星トリトンの約800分の1であり、地球の月とは比率にして10倍以上の差があります。
このような特徴を持つ月は、他の惑星の衛星とは異なるプロセスで誕生したのではないかと古くから考えられてきました。歴史的には捕獲説や分裂説などが提唱されてきたものの、現在では「ジャイアント・インパクト説」が主流となっています。誕生して間もない地球に、火星ほどの大きさがあった微惑星が衝突し、大量にまき散らされた破片の一部が月になった、という説です。この微惑星は「テイア」と呼ばれています。
ただ、ジャイアント・インパクト説は大筋で合意が取れているものの、細かな部分では未解明の謎が山積しています。
大きな謎の1つは、月と地球があまりにも似すぎているという点です。月の石に含まれる同位体組成 (※) は地球とそっくりであり、月の表面には地球と同じ物質が集中している可能性が高いと考えられます。
※…同じ元素どうしでも原子の重さが異なるものを「同位体」と呼びます。同位体はわずかながらも相転移や化学反応における挙動が異なることから、天体の同位体組成はその天体が形成された環境によって変化すると考えられます。同位体組成が似ている天体同士は、同じような環境で形成されたか、もしくは同じ物質を起源としている可能性が高くなります。
しかし、従来のモデルを用いたジャイアント・インパクト説のコンピューターシミュレーションでは、月の表面に地球と同じ物質が集中する可能性は低く、地球由来の物質とテイア由来の物質が混ざっているはずであることが示されています。
テイアの同位体組成も地球に似ていたのであれば問題ありませんが、偶然似たような組成になる可能性は低いことも、研究によって判明しています。また、月の深部にある岩石は、表面にある岩石とは異なる同位体組成を示すことから、深部ではテイア由来の物質が地球由来の物質と混合した可能性が示されています。これもまた、テイアが偶然地球に似た同位体組成をしていた可能性を否定します。
さらに、月の外形が一旦形成された後に、地球由来の物質が追加で降り積もったとする仮説も立てられましたが、検証の結果、十分な量の物質が月の表面に供給されない問題を解決することができませんでした。
ジャイアント・インパクト説が抱えるこうした問題を背景に、近年有力視されているのが「シネスティア仮説」です。ジャイアント・インパクト説の亜種ともいえるこの仮説では、巨大衝突によって地球から飛び出した破片の円盤が高速で回転した結果、破片が超高温に加熱され、岩石の蒸気の雲であるシネスティア (Synestia) になったと考えられています。
シネスティア仮説では、数十年かけてシネスティアがゆっくりと冷えて固まるにつれて月が生成されると予想しているため、地球と月が似たような元素の比率を持つことを説明できます。しかし、このように高速回転するシネスティアから生成される月の公転面は、実際の月のように地球の赤道とほとんど平行になる可能性が低いこともわかっています。このことは、シネスティア仮説の大きな問題点でした。
ダラム大学のJ. A. Kegerreis氏などの研究チームは、従来よりも高解像度な巨大衝突のシミュレーションを行う過程で、この謎についても説明可能な結果を導き出しました。ポイントは、シミュレーション上の地球やテイアを構成する粒子の数を、最小1万個から最大1億個まで様々な段階でシミュレーションを行ったことです。
これまでの同様の研究では、コンピューターの性能の限界により10万個~100万個の粒子で検証が行われていましたが、「月が形成される」という大筋の結果でさえ失敗することもあるなど、精度があまり良くないという問題を抱えていました。もしも単純にシミュレーションの解像度の問題であるならば、どこかで結果を大きく左右する閾値があると考えられます。
研究チームが粒子の数を変えシミュレーションを繰り返した結果、意外な結果が現れました。1億個の粒子でシミュレーションすると、地球とテイアの衝突で飛び出した物質は、衝突のわずか数時間後には、地球に近い側と遠い側それぞれに塊を形成することがわかったのです。
2つの塊のうち、地球に近い側にある大きいほうの塊は、再び地球に衝突して地球と一体化します。一方で、地球から遠い側にある小さな塊 (月の0.69倍の質量) は、ほとんど円形の軌道で地球の周りを公転する衛星となりました。その近点は約4万5000kmであり、ロシュ限界 (潮汐力によって天体が砕けてしまう距離) の1万9000kmよりも遠くにあります。
このシミュレーションでは、地球と月の表面がそれぞれテイア由来の物質に覆われることで、同位体組成が一致している謎を解決しています。また、巨大衝突の数時間後には月のほとんど全体が形成されていたという点は、数か月から数年かけて形成されていたとする従来の仮説とはまったく異なる結論です。
粒子の数を変えたシミュレーションの結果、粒子の数が約320万個 (10の6.5乗個) を境に、外側の小さな塊が月になる、というシナリオが発生することがわかりました。それ未満の粒子の数では、内側の大きな塊のみが生成され、月形成のシナリオ自体が発生しにくくなりました。これまでのシミュレーションが10万個~100万個の粒子数で行われていたこともあわせて考えれば、ジャイアント・インパクト説のシナリオをうまくシミュレーションできなかったことも説明できます。
よって今回の結果は、シミュレーションの解像度を上げることでジャイアント・インパクト説をより良く説明できる点だけでなく、月の形成が極めて短時間で進行したという新たなシナリオも提示することになります。
また、月が短時間で形成されたということは、衝突時に発生した高熱を保持したままの破片が月の内部に閉じ込められたことを意味します。この高熱は、月の内部を融解させます。これは現在見られる、月内部の物質が地球とテイアの混合物であるという分析結果を説明するだけでなく、月の地殻の厚さが地球を向いている側と反対側で異なることも説明できるかもしれません。
今回のシミュレーション結果が正しいのか、それとも従来のシネスティア仮説などが正しいのかを検証するには、より多くの月の石を分析する必要があります。アメリカ航空宇宙局(NASA)が推進する「アルテミス計画」などで月の石がさらに持ち帰られれば、データ面でのさらなる補強になると期待されます。
Source
- J. A. Kegerreis, et.al. “Immediate Origin of the Moon as a Post-impact Satellite”. (The Astrophysical Journal Letters)
- Frank Tavares. “Collision May Have Formed the Moon in Mere Hours, Simulations Reveal”. (NASA's Ames Research Center)
- NASA's Ames Research Center. “New Supercomputer Simulation Sheds Light on Moon’s Origin”. (YouTube)
- Simon J. Lock & Sarah T. Stewart. “The structure of terrestrial bodies: Impact heating, corotation limits, and synestias”. (JGR Planets)
- Yayaati Chachan & David J. Stevenson. “On the Role of Dissolved Gases in the Atmosphere Retention of Low-mass Low-density Planets”. (The Astrophysical Journal)
- Steven J. Desch & Katharine L. Robinson. “A unified model for hydrogen in the Earth and Moon: No one expects the Theia contribution”. (Geochemistry)
- Elishevah M. M. E. van Kooten, Frédéric Moynier & James M. D. Day. “Evidence for Transient Atmospheres during Eruptive Outgassing on the Moon”. (The Planetary Science Journal)
- Matija Ćuk, et.al. “Tidal Evolution of the Earth–Moon System with a High Initial Obliquity”. (The Planetary Science Journal)
- Robin M. Canup, et.al. “Origin of the Moon”. (arXiv)
文/彩恵りり