犬猫は家族? 犬猫だけ特別扱いか?
杉本彩という人とか、わたしはおかしいと思っているわけだ。犬猫だけ特別というのは杉本彩に限らないが、たまたま愛護界隈で名前がよく出てくるから引き合いに出している。命にランク付けをするのは良くないし、「家族」という概念から命を語るのは極めて危険である。家族の命は重い、家族でない命は軽い、そういう発想は邪悪である。犬猫は家族というのはレトリックというか、つまりヒューマニズムの延長であろうが、やはり、その圏内と圏外の格差があるわけだ。擬人化されやすい犬猫だけ特別で、それ以外の動物は圏外というのでは困る。おそらく、人間の命と動物の命は価値が違うという問題があり、犬猫だけ人間の側に仲間入りさせようというのが「犬猫は家族」という論法なのだが、これは他の動物を軽視しているのである。家庭で生物を飼育したら家族なのかというと、たとえば、われわれは子どもの頃は喜んで昆虫を飼育する。昆虫は家族なのか、というと杉本彩的な価値観ではもちろん違うであろう。なぜ犬猫にはヒューマニズムをお裾分けして、昆虫は対象外なのか。昆虫は擬人化が難しいし、子どもも昆虫の命を大事にしてはいない。生きている昆虫を標本にしたりとか、要するに好奇心である。昆虫は狩りの対象であり、子どもにとっての戦利品なのである。犬猫は戦利品ではないのだろうし、愛玩動物ということになろうが、なぜ犬猫だけ愛玩するのか、という根本的な問題はある。というより、犬猫は狩猟をする動物であり、明らかに「狩る側」である。「狩られる側」の動物ではない。このあたりも、犬猫は人間的であり、だからこそ家族という理由かもしれない。そもそも家族扱いされることのメリットはなんぞやというと、たぶん仇討ち感情の共有による集団安全保障であろうし、恫喝である。これは空想的な報復感情であるから、いちいち取り合うには足らないかもしれないが、ときたまSNSでのリンチなどで具現化してしまうこともある。そろそろ犬猫だけを特別扱いする連中と戦うべき時期なのかもしれない。