第15回18年前のその日はどうだった? 岡田監督は47歳、目立った移籍組

松沢憲司
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 あの年、生まれた子どもはもう18歳――。

 プロ野球・阪神タイガースの2005年以来、18年ぶり6度目のリーグ優勝が目前だ。セ・リーグでは1998年が最後のDeNA(当時横浜)に次いで優勝から遠ざかっている。05年はどんな歩みだったのか。

 岡田彰布監督は開幕時点で47歳。03年に18年ぶりのリーグ優勝に導いて勇退した星野仙一監督(故人)の後を受けて就任し、2年目だった。

 4月は中日が首位に立っていたが、この年から始まったセ・パ交流戦が明暗を分けた。21勝13敗2分けで終えた阪神に対し、中日は15勝21敗。ペナント争いの主導権を握った。

 交流戦終盤の6月9日に首位の座を奪ってからは一度も譲らず、9月14日にマジック13を点灯させた。

 優勝決定は同29日。4万8576人が詰めかけた甲子園で巨人を5―1で下した。先発は下柳剛、ウィニングボールをつかんだのは左翼手の金本知憲

 岡田監督は「本当に強いチームをめざしてスタートし、最高のチームになった。宿敵・巨人の前で胴上げができ、最高です」と語った。2位中日にはこの時点で8ゲーム差をつけた。

 この年の阪神は月間の負け越しが一度もなかった。その安定感を支えたのは充実の投手陣だった。

 先発陣は03年の最優秀選手(MVP)、井川慶と日本ハムから移籍3年目の下柳を柱に、福原忍安藤優也大阪ガスからドラフト自由枠で入団した能見篤史らが名を連ねた。下柳はリーグ最多の15勝(3敗)を挙げ、井川が13勝(9敗)、安藤が11勝(5敗)と3人が2桁勝利に達した。

 後ろにはジェフ・ウィリアムス、藤川球児久保田智之による鉄壁の救援陣「JFK」が控えた。先発は六回までを抑えることに注力でき、実際、下柳は史上2人目の規定投球回未満の最多勝投手になった。

 チーム防御率3・24はリーグトップだった。

 攻撃を牽引(けんいん)したのはプロ14年目で4月に37歳になった金本だった。

 広島から移籍3年目のこの年、4番に座り、リーグでは広島・新井貴浩の43本に次ぐ2位の40本塁打を量産した。打率3割2分7厘はリーグ3位、125打点も同2位でMVPに輝いた。

 1番・赤星憲広はリーグ初となる3年連続60盗塁をマークし、主に5番を打った今岡誠(真訪)が29本塁打を放ち、最多打点(147)のタイトルを獲得。広島から移籍1年目のアンディー・シーツ、中日から移籍8年目の捕手・矢野輝弘(燿大)もともに19本塁打と存在感を示した。

 当時はクライマックス・シリーズがなく、日本シリーズではパ・リーグのプレーオフを勝ち抜いたロッテと戦ったが、4連敗した。4試合の合計得点を表す「4―33」は阪神ファンの苦い記憶となっている。

 今のチームに比べると、当時は主力に移籍組が目立つ。だが金本と矢野はその後、監督を務めて礎を築き、安藤、久保田、福原、今岡は今季、コーチとしてチームを支えている。(松沢憲司)

2番は鳥谷、二塁は関本

05年9月29日の阪神の先発

(中)赤星

(遊)鳥谷

(一)シーツ

(左)金本

(三)今岡

(右)スペンサー

(捕)矢野

(二)関本

(投)下柳

03年Vは9月15日

2003年、05年の阪神の優勝

▽03年(140試合制、星野仙一監督)

マジック点灯 7月8日

優勝決定 9月15日(残り12試合)

▽05年(146試合制、岡田彰布監督)

マジック点灯 9月14日

優勝決定 9月29日(残り5試合)

▽23年(143試合制、岡田監督)

マジック点灯 8月16日(最初の点灯日)

優勝決定 ?

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