古田中さんは9月18日が誕生日です。
65歳になった月に長年勤められた「映像テクノアカデミア」を卒業し、
翌月の10月2日(日)16時半から「古田中輝夫最終講義」が
映像テクノアカデミアで行われた。
古田中さんから連絡先がわかる同窓生が140人余り。
そのリストを元にTYOの遠藤さんと一緒に
最終講義の連絡を取り始めました。
メールアドレスがわかっている人にはメールを送り、
メールが返って来た人には電話を。
同窓生同士で連絡が回っている組もあったらしく
問い合わせの電話やメールがいち早く来ることもありました。
同窓生たちの情報拡散と
TYOの遠藤さんの頑張りで
たくさんの卒業生たちがこの「最終講義」に集まってくれました。
一番大きな4C教室がほぼ満員になる50数名(定員60名)の聴衆が
古田中さんの講義を真剣に聞きました。
古田中さんは、子ども時代子役俳優として
3本の映画に出ているそうです。芸名は「伊庭輝夫」。
U-TUBEなどでその映画を見ることが出来ると
謝恩会の会場で講師の一人である水原さんに聞きました。
1970年に「日本天然色映画」に入った古田中さんは、
最初制作部でプロダクションマネージャーをやっていたそうです。
それを経て行動経済成長の流れに乗るように
企画演出部に入り、杉山登志さんのアシスタントとして仕事に追われていました。
ある日、杉山さんが会社に出てこないので
心配して赤坂のライオンズマンションに行ったそうです。
そこで杉山さんは首を吊っており、古田中さんは遺体を降ろして
首に食い込んだ紐をほどいたそうです。
杉山さんの社葬が終わって、その後の数日間、
古田中さんは家で飲んだくれて会社に行かなかったそうです。
先輩プロデューサーが見かねて、古田中さんのところにやってきて、
また自宅の近くで二人で飲みました。
その後、古田中さんはディレクターとして独り立ちしました。
最初のチャンスは資生堂宣伝部の中尾さんがやってみないか?
と声をかけてくれた仕事でした。
そのとき古田中さんは躊躇して、最初、お断りしたそうです。
それを聞いた古田中さんの先輩である宮口さんがものすごく怒ったそうです。
いつもは温厚な宮口さんがものすごい剣幕で怒るので驚き、
宮口さんの目の前で中尾さんに電話をしました。
その後、古田中さんは資生堂のキャンペーンなどを手掛けるようになり、
尾崎亜美「春の予感」や世良正則「燃えろいい女」などの
音楽タイアップで有名になったCMを作りました。
資生堂的な洒落たものと「紀文」などに代表される
軽みのあるダジャレなどを生かしたCMとの間を行き来する、
それが古田中さんらしい仕事だなと大いに納得。
やはり人柄が必ず仕事に出るのだと確信しました。
隠していても個性は出ます。
だから無理に個性を主張しなくてもいいのだなと思いました。
1時間の予定だった最終講義は後半かけ足になりながらも
2時間近くの授業となりました。
遠藤さんから花束が贈呈され温かい拍手が教室内を包みました。
その後、古田中さん行きつけの店「八十八」を貸し切って
盛大な謝恩会が開かれました。
30人くらいの予定だった謝恩会が最終的には50数名の参加となりました。
ここで、古田中さんへ向けて各講師の先生からメッセージを頂きました。
萩原さん、石井さん、水原さん、高田さん、中野さん、望月さん。
最後に全員そろって記念写真を撮りました。