一般の考えでは禁足地は何か神聖な物が有るから見てはいけない。入ってはいけない雰囲気とかネットや本などで刷り込みます。実際は入れるところも有るんですがね。でも入らせないようにする為に騙されているだけだと私は断言してきました。その理由は以下を読むと更に理解が進むのでは?と思ったのでこの場所を紹介します。

 

【縄文の森龍良山の太陽信仰】

 龍良山は、対馬独自の天道信仰の聖地として立ち入りが禁じられ、オソロシドコロなどという怖い名前の付いた禁足地と情報が流れています。千古斧の入ったことのない原始の照葉樹林として、国の天然記念物に指定されている。森の平均樹齢は200年で、スダジイ・イスノキなどが他の地域では見ることのできない巨大な姿を見せています。

~以上~

 

この土地の神差は何?

そう日蓮の話でも散々出した【八幡様ですね】八幡様を祀られている場所です。

 

渡海の際は、月延石や鎮懐石と呼ばれる石を陰部に挿入して塞いで腹部にさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。月延石は3つあったとされ、それぞれ長崎県壱岐市の月讀神社、京都市西京区の月読神社、福岡県糸島市の鎮懐石八幡宮に奉納されたと言われている

Nの世界様情報

 神功皇后の腹冷やし石をまつる志良石(しらいし)神社は、現在の対馬市交流センターの敷地内にありました。

現在、何の説明もないまま石だけ移設されてます。

※ご神体を勝手に信仰している庶民もいるだろうにそういう人達に支えられていただろうに何の説明もなく勝手に動かせる人って誰か考えてみて下さい(笑)?Nが前に情報言っていたなぁ、想像から言っていたのかもしれないけど、暗黒の黒帝王様が動かしたんじゃないかと冗談を言っていましたが。この話が真相とも遠からずな話を次回にしてきます。

 もとは福岡県の志賀島周辺で海洋民が信仰していた神で、志賀島~壱岐~対馬あたりが活動圏だったようです。

※つまり古代の海洋民族の(段々東征したとは思うけど)とりあえず福岡に最初に来た宗像家とかを直感的に感じますね。宗像家は三輪山の伝説では卑弥呼の出身家です。

そう考えると色々繋がります。

 

wikipedhia

『日本書紀』には『魏志』と現存しない『晋起居注』から「倭の女王」についての記述が引用されている。『魏志』での倭の女王とは邪馬台国の卑弥呼のことであり、江戸時代までは神功皇后が卑弥呼だと考えられていた。ただし倭の女王の記述はあくまでも引用されているだけであり神功皇后と卑弥呼、台与を同一視する記述はなく、卑弥呼、台与、邪馬台国といった魏国が書き記した名称も『日本書紀』には書かれていない。神功皇后と卑弥呼を同一視させようと意図的な作意があると見る研究者もいる。『魏志』からの引用は現存する『魏志』と相違があり、特に人名・役名に相違が多いため、以下の訳文では現存の『魏志』に基づく人名・役名を示す。

~以上~

 

文章をよく読んでみまししょう。意図的な作為はどちら様でしょうか?

江戸時代までは神功皇后は卑弥呼と考えられていた。だから戦前の教科書にもそう書かれていたと記憶しているおばあちゃんとかがいるわけですよ。

明治の国家神道で軍国主義の天皇さんに権力を集中するためにアマテラスと名乗ったっだけだなので、どのみち人間宣言したのでアマテラスでもなんでもないのです。関係は深いと報道ではありますが有るでしょうね。だって名前を借りたんだからね。

 

日本書紀なんてだいたい縄文時代が、ピラミッドも有るような豊かな文化の事を書き記していしていないような古ぼけた情報な訳ですよ。全くいつまで情報をつぶし続けるんですかね?なんでも神武を被せると酒井氏が指摘していますよ。酒井氏の情報を買い占めたらしいけど、そのせいで結局酒井氏の書いた中味をちゃんと知っている人は見かけないよねネット上だと。それこそが意図的だと思いますがね♪

 

さて次回は石についての面白い記事です♪

 

 

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