犬はイエスマン。端から見れば不愉快。

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このところ、街には犬が溢れている。コロナの間に購入して、ここぞとばかりに連れ出しているのだろう。犬というのは飼い主にはイエスマンなのだろうが、逆に言うと、飼い主以外にはイエスマンではない。イエスマンとはそういうことだ。犬を飼う人が多くなると、「自分には忠実」という部分が共有されて、それを崇拝する愚劣さが輪を広げる恐れがある。イエスマンは特定の相手へのイエスマンであり、第三者から見ればただの下劣な俗物である。飼い主に忠実であっても、端から見れば凶暴な生き物、それが犬である。イエスマンと言っても、お手とかおすわりができるだけで、知的障害者以下の知能であるが、人間と違って口答えもしないから究極のイエスマンと言えるし、擬人化して台詞を勝手につけて、ぬいぐるみとして遊びやすい。たとえば赤の他人の子どもが騒いでいるのであれば、「自分も小さい頃にうるさかったから仕方ない」という納得の仕方はあるが、赤の他人の犬がうるさいのは、納得のしようがない。われわれは犬を引き連れた大名行列に迷惑しており、そろそろ彼らの傍若無人な無軌道に報復する必要があるのかもしれない。擬人化がとても行き届いているので、飼い主が脳内で書き溜めた台詞は愛好家の間で正当化されてしまうが、犬は犬だし所詮はファンタジー、ぬいぐるみとおしゃべりする気味の悪さであり、オタクの頭の中に美少女がいるのと大差ない、犬は決して人語を解さないという現実を理解してもらう必要がある。
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