ツイッターの己のアカウントから転記。
インクィアタイムの17編だけでありとあらゆる属性や実存を示唆できるはずは無論ない(短編集も、私も、PZNや他のより周縁化されたクィアを在らせる努力を怠った。明らかに)が
クィアな17編は、その延長線上に多様な命がただ在る可能性を「拒絶しない」まではできてた筈だ
だのになんらかの外部的な要因でーーそれは例えば私自身の、反省されずにほったらかしてある間違った発言や態度などを含めるがーー本書内部において志している「拒絶しない」を覆されることを、私は、拒絶したい
あらゆる属性・命・実存にたいして「拒絶しない」「線引きをしない」「壁を設けない」ということは、徹底しなければ意味がない
何故なら、一旦うっすらとでも設けたら、拒絶や線や壁は恣意性に駆動されてどこまでも大きくなるし縦横無尽に気ままに適当に差別をし、命を踏むから
そも在っちゃダメだから
積極だの消極だのとは些末なことだ
「拒絶/線/壁が、在ることそのもの」が問題なのであって、踏まれた奴にとってはそれがわざとかわざとじゃないかとかそういうのはどうでもいいことだ
イン・クィア・タイムの「はじめに」には、ィン・イーシェン氏からの「読者のうちで、……抑圧されたり…苦しいと感じている多くの人々へ。……ここは安全な空間ーーサンクチュアリです。」とのメッセージが書いてある。
ここに不誠実なことはしたくないっていうか
ここに共感してこの短編集を訳したものである。
このサンクチュアリを、関わった作り手自身が壊すようなことはあってはならないと考えている。
さて、ときに、この本にくっついてしまっている何らかの何某かが、反差別を標榜するに足らぬものであるならば、私はそのクソッタレがなんであれ、例え本の一ページであれ、破り捨てておかれることを願う者である。私がそう願う自由はあるだろ。
いいですか それがカバーであれ帯であれ私の名であれ、おかしいこと書いたいちページであれ、引きちぎってサンクチュアリ足るなら、引きちぎっておいてくれ
お願いだ
そう願うことを表記することは私の権利の範疇にある