ジャニー喜多川氏と文春の民事裁判
【悪魔の証明】
ジャニー喜多川氏が性加害をしたとの裁判結果があるとされ決定事項のように報道されています。
司法に詳しい方々のブログ、Twitter、裁判の内容抜粋の記事によりやっと全体像がみえてきたのでここに並べていきます。
https://ameblo.jp/noripyan3104/entry-12803811656.html 「被告人の不利益、つまり有罪とするには極めて高度な証明が必要」ということです。裁判用語では「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」と言ったりします。 裁判官は、原告被告双方の主張や立証を聞いて「どちらがより真実っぽいか」という観点で判断する、ということです。 ば、それは国民である被告人の人権を、公共の福祉の観点から国家が制限するということです。これは極めて重大なことなので、非常に慎重になるのが当たり前。 判決によって被告人の人権が制限されるわけではありません。だからと言って慎重でなくていいというわけではないですが、刑事裁判に必要な慎重性とは天と地ほどの差があります。 民事裁判では被害者側の損害賠償請求が認められても刑事裁判では無罪、もしくは不起訴に終わり裁判にすらならない、なんてことは珍しくありません。 この事件は物的証拠が皆無。裁判では被害者とされる少年たち、ジャニー氏それぞれの供述のみで「性加害があった」則ち文春の記事に真実性があると判断されました。しかしそれは「より真実っぽいのはどちらか」を判断する民事裁判だったが故。 刑事裁判で有罪と判断されるに足る正確性を有した証明があったわけではありません。
対して民事裁判に求められるのは「高度の蓋然性」です。わかりやすく言うと、民事裁判においては真実は「神のみぞ知る」であり、
つまり、刑事裁判と民事裁判では求められる証明の正確性がかなり異なります。
これは実は当然のことです。刑事裁判とは、国家が国民を裁く裁判。有罪となり刑に服することになれ
一方民事裁判は、当事者だけでは解決できない私人間の争いを解決するために国家が力を貸す、そんな裁判です。紛争の解決を目的としているため
このような刑事裁判と民事裁判のそもそもの性格や目的の違いにより、証明の正確性には差があるわけなのです。
逆に考えれば、民事裁判における裁判所認定を刑事裁判におけるそれと同等に信用するのは、ある意味危険だとも言えます。
「仮にジャニー喜多川氏による性加害が刑事事件化したとしても、証拠不十分で検察が不起訴にする可能性が高いと思う」というのは、私の身内にいるジャニーズ嫌いの元検察官の意見です。
リンク先の方々、引用失礼いたしました。
結論から言うとこの裁判内容からではジャニー喜多川氏の性加害は私はなかったのではないかと思いました。
裁判官に具体的に否定しろと言われたようですが引用元にもあるようにそれは【悪魔の証明】で
ないことを証明するのは至難の業です。
雑誌の記事を読むとジャニー喜多川氏は2審の裁判の法廷でも少年を事実上庇ってしまい「そんな態度は有り得ない」と失笑され少年の証言だけで性加害は否定できないとされてしまいました。
(有り得ないのは裁判官の方だと私は思います。裁判官がどんな人かも参照として載せました)
一番最後に載せた弁護士事務所のサイトにも民事裁判では【悪魔の証明】を要するケースが分かりやすく書いてあります。
現在、再びジャニー喜多川氏に性加害をされたとする人達が名乗りをあげていますが何故か民事訴訟も刑事訴訟もする気はないそうです。
加害者とされるジャニー喜多川氏は4年も前に亡くなっているのですがどうして今になって告発をマスコミ相手にしているのかも不思議です。
告発者の告発内容に矛盾があることを古参のジャニーズファンの方が指摘されていますがそのことはまた時間があればまとめていきたいと思います。
最後にジャニーズのことなど興味がなく潰れても別に構わないという方もおられると思いますが【民事裁判】では【悪魔の証明】を求められることがあることは頭の片隅においておいて損はしないと思います。
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