第0会場(Web)から第二会場までの3つのステートメントは
チェス/すごろく、コミュニズム/アナーキズム、意識/無意識と
秩序/無秩序、もしくは知識人/非知識人の対比で進んでいたのだが
第三会場のステートメント「魔女の家」には秩序/無秩序の対比が無い。
そこで私が独自に裁判/人民裁判(kangaroo court)という補助線を引いてみる。
日本の通常の裁判において、裁判官は司法試験に合格した法律の専門家であり
論理的思考能力のある知識人である。
人民裁判において、善悪の判断を下すのは、法律の専門家とは限らない。
興奮した群衆であり、敵と見なした物に対し、高まった感情のみが
善悪の判断基準となる。
ステートメントにはベレッツァ・オルシーニ(Bellezza Orsini)の魔女裁判が出てくる。(P36)
魔女の告発は共同体の中の「うわさ」さえあれば成立した。実際の証言でも「皆がうわさしていること」が、告発の真実性の根拠として持ち出されることが多かった。(中略)
つまり、被告がその紋切り型に沿った供述をするよう、あからさまな誘導を繰り返すのである。
ベレッツァもまた、拷問に耐えかねて自白し、彼女の自死によって裁判は終結した。
(P37)
告発されたカミッロの呪殺については明確に関与を否定している。
サバトへの参加や悪魔との契約も認めているが、それは六回の拷問の後であり、苦痛から解放されるために望まれた供述をした可能性が高い。
ベレッツァはおそらく「賢い女」「物知り」などと呼ばれる人々の一員だったのだろう。つまり、薬草やまじないによって医療行為を行う民間の医者、呪術師たちである。
魔女を告発する、うわさ話をする人々はベレッツァのような「賢い女」ではなく、愚かな民衆である。
通常の裁判においては、物的証拠や論理的で整合性のある供述が要求される。
愚かな民衆には、それらを集める能力が無い。薬草やまじないを使った呪術を見て「不安と後悔ばかりがあった」などと感情を吐露する。訴訟において、自分から情報発信し、手の内をさらけ出すのは、愚かなことだ。裁判の期日までに、反論を考える時間、証拠を集める時間を相手に与えてしまう。証拠や情報や証言は、裁判所で当日に発表し、相手に反論を考える時間を与えないのが「賢い女」の基本的な戦略に成る。
客観的な物的証拠を集め、論理的な話術で裁判に勝てば、人々はベレッツァを無罪だと信じるのだろうか。
多くの人々は、法律を学び専門的知識を持った知識人では無い。もっと直感的で動物的だ。
警察官が容疑者を取り調べる時、シロかクロかの第一印象は最初の数秒で決まる。
何月何日の午後二時にカミッロ/Camilloが殺された。容疑者を呼び出して話を聞く。
「この日あなたは、何をしていましたか?」
「日曜日で、休みだったんだけど、いつも通り朝7時に目覚ましが鳴って、止めて、休みだからまだ寝れると思って、二度寝して、起きたら、すげー腹減って、のど乾いてて、水道の水を飲んで、顔洗って、冷蔵庫開けて、食い物無いか探したけど、卵しか無くて、仕方ないからスクランブルエッグでも作って食うか、と思って~」
「二度目、起きたとき、何時でしたか?」
「わかんない。時計みてないから。飯食いに外出たときには太陽が昇っていたから、12時ぐらいじゃない?」
別の容疑者にも聞く。
「この日あなたは、何をしていましたか?」
「午後2時に友人とデパートで待ち合わせの予定があったので、デパートに行きました。
その時に、デパートで友人と撮った写メがこれです」
証拠も何もない第一印象で、どちらを犯人だと思うのか。
教育を受けている知識人は、後者の容疑者にはアリバイがあるから犯人では無いと思う。
高等教育を受けていない一般の人々は、後者の容疑者をあやしいと思う。
何の容疑で取り調べを受けているのか分からない段階で、午後2時のアリバイをピンポイントで出して来たら、取り調べがあることを事前に察知していたということだから、何かおかしいとなる。
そこまで極端では無くても、一般の普通の人に
「この日あなたは、何をしていましたか?」と聞くと
自分が容疑者だとは思わないから、目撃者としての証言が欲しいのだろうなと思って
何の件かは分からないけど、取りあえず、その日の出来事をべらべらしゃべる。
その話の大半は、事件と全く関係の無い話で、中身も要点もない雑談を長々としゃべる。
高等教育を受けた知識人に
「この日あなたは、何をしていましたか?」と聞くと
「弁護士を呼んでくれ。弁護士と会うまで、一切供述しない」と言う。
誘導尋問をする側は、まだ報道されていない、
犯人しか知りえない情報を容疑者の口から引き出そうとします。
でも、法律に詳しい知識人は、そんな尋問には引っかからずに、黙秘を貫きます。
「道を歩いていたら、赤い服着た青年と肩がぶつかって」とか言ったら
偶然、殺人事件の被害者も赤い服を着ていて、
その証言を元に、殺人犯に仕立て上げられるかも知れないから、
余計なことをしゃべらないのは、裁判を戦う上では正しいわけです。
高等教育を受けていない一般の民衆は、
拘束されて尋問されたら、とにかくいっぱいしゃべる。
「あの日の浅草は人が多くて、太陽がカンカン照りで、
すごく蒸し暑い日だったなぁ。
交差点が渋滞で、消防車がサイレン鳴らして通ろうとするけど、
道が空かない。火事?火事が起きているようには見えなかったなぁ。
火も煙も見て無いし。屋台のおっちゃんから、たい焼きを二個買って食ったなぁ」
その日の浅草が晴れてて、湿度と気温が高く、交通渋滞で、
消防車が通って、その位置からは火も煙も見えなかった。
現地にいなければ知りえない情報を知っていて
浅草の消防署に電話して、その日、本当に消防車が、出動したのか聞けば
アリバイは証明されて、さっさと取り調べから解放されるわけです。
犯人でも無いのに、弁護士呼んで黙秘して、裁判の準備して、
裁判に成ると数か月掛かるわけで、面倒臭いのです。
その日のことをしゃべって、さっさと家に帰りたいのです。
頭の良い容疑者が、友人と口裏を合わせて、
午後2時にデパートにいたと証言したとして。
どういうルートでデパートを回って、何を買って、値段がいくらで
フードコートで何を食べたか詳細に語れるのです。
友人と別々の部屋に入れられて、デパートで何をしたか詳細に聞かれても
一切の矛盾が無いよう事前打ち合わせが出来ているわけです。
でも、その時、デパートの外は、どんな感じだった?
天気は?気温は?湿度は?駅前で、道路工事をしていた?していない?
事件と関係の無い余計なことを聞いても、質問には答えません。
午後5時には何をしていた?
友人と外で待ち合わせして、一時間で別れることも無いだろう。
夕食ぐらい一緒に食べたのではないの?
友人と別れて、家に帰る時、
どの交通機関を使って、どういうルートで帰って来たの?
事件と関係の無い余計なことを聞いても、質問には答えません。
午後2時前後のアリバイだけ詳細にあって、事件への関与のみ否定して
それ以外は完全黙秘なのです。
裁判所で裁判官相手に証言するときに、
限られた持ち時間の中で、事件と関係の無い話をする人はバカだ。
事件に関して論理的に的確に答えるのが知識人だ。
人民裁判においては、それが逆転する。
事件への関与のみピンポイントで的確に否定し
それ以外の余計なことを話さないのは
頭の良い犯人の行動だと印象付ける。
人民裁判の中では論理的に話す人より
換喩的に話す人が信用される。
何月何日の浅草の風景を臨場感を持って情景描写できる人は
容疑から外される。
ベレッツァがカミッロを呪殺したのか、私には分からない。
でも、中卒や高卒で警官に成った交番警官にとって
「この人が犯人だ」という第一印象は
事件と関係の無い雑談に応じるか応じないかで決まる。
事件と関係の無い話を雄弁に語る者は、容疑から外れる。
魔女をあぶり出して捕らえる人民裁判においてベレッツァは、
どうなってしまうのだろうか。
しかしこのケースは、事実無根の一般人が犠牲になった多くの魔女裁判とは少し違う。
なぜなら、彼女は告発される前から、自他ともに認める「本当の魔女」だったからだ。
彼女は確かに魔女であり「よいことも悪いこともたくさんしてきた」。
ベレッツァの供述にはステレオタイプな魔女像に加えて、おそらく彼女の独創だと思われる細部の描写がふんだんに盛り込まれている。
つまり、彼女は魔女であったが、審問官たちが思い描くような魔女ではなかった。拷問に屈して魔女であることを認め、様々な悪事を自白させられてなお、その違いだけは決して譲ることなく主張し続けたのである。
私が予想した展開とは別な方向に話は転がって行った。
平凡な私の考える展開とはこのような物だった。
ベレッツァはカミッロに呪術を行った。しかし、審問官が考えるような意味合いでの呪術では無く、カミッロの病を治癒する目的での呪術であり、殺す意図は無かった。
しかし、実際には、呪術の意図では無く、呪術の独創性に重きが置かれている。アーティスティックな、芸術性の高いやり方で呪術を行っていたことを主張している。世間の注目を浴びるサイコキラーが、漫画の中で語る「私はそんな平凡な殺し方はしない。もっと細部にこだわった独創的で芸術的な殺し方をする」という観客を意識したスペクタクルな展開になっている。