展評っぽい物を書こうとは思うが、正直難しい。
第一会場、第二会場の展示を見た人だけが、別日で見に行ける
比較的クローズドな展覧会で
完全予約制で、会場も公開不可という話ですし
展示内容もどこまで書いて良いのか、
展示方法を見ても、キャプション(作家名・作品名)も付いておらず、
匿名っぽい。
「美術作家の〇〇さんも来ていた」というのもあるけど
〇〇さんのプライバシーもあるので、名前を出してさらすのも、
どうかと思う。
2023年9月8日12:00~15:00予約で行ってきました。
一言で言えば、黒瀬陽平さんの生徒さんの展覧会です。
黒瀬さんが個人でやっている画塾の展示です。
一部、藤城嘘さんや黒瀬さんの地元の高知の若手美術家の作品なども入りつつ
黒瀬さんの美術メソッドも公開されていました。
生徒さん自身がテーマとクライテリア(判断基準)を設定して
3作以上絵を描いて、一番良い絵を一つ選ぶ。←第一世代
↓
一番良い絵を一枚残して、別のテーマとクライテリアを設定して
3作以上、絵を描いて、一番良い絵を選ぶ。←第二世代
↓
一番良い絵を一枚残して、別のテーマとクライテリアを設定して
3作以上、絵を描いて、一番良い絵を選ぶ。←第三世代
黒瀬さん曰く26歳(2009年)ぐらいの時に思いついていた。
カオス*ラウンジ宣言の前に成る。
私見で言えば、テーマとクライテリアを画家本人が言語化するので
ステートメントのクオリティは上がるだろう。
画家だけでなく、美術コンテストの選考委員の立場も疑似的に経験するので
選考委員や主催者目線の物の見え方も分かるだろう。
作品としては作家個人の潜在意識や無意識の中にあるトラウマ・わだかまりを
吐露して、意識下に顕在化させることで、治癒するアートセラピー的な方向性が多く
実際、黒瀬さん自身、半年ほど掛けてカウンセリングや精神分析の本を集中して読んで
勉強したと言っていて、なるほどと思う。
実際、第二会場のステートメントにはジークムント・フロイトの「集団心理学と自我分析」、
ギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」、ウィルフレッド・R・ビオン、
という名が出てきて、会場で話しても、
精神科医としての北山修やフェリックス・ガタリの名前が出てくる。
私も、フロイトとフッサールとルドルフ・シュタイナーが
1880年前後、ウィーン大学でフランツ・ブレンターノの授業を聴講していたという話をして
精神分析のフロイトと、現象学・実存主義のフッサールと、オカルト掛かったシュタイナーが
同時期に同じ授業を受けていたのは、面白く無いか?と、ゴシップを振る。
(1873~1881年フロイトはウィーン大学で学ぶ。1879年~シュタイナーはウイーン工科大学に入学、ウィーン大学で聴講。1884年~1886年フッサールはブレンターノを師事)
日本では精神分析やカウンセリングは長らく医学でなく文学の領域に入れられていて
医療保険も下りないし、カウンセラーは理系の医学部でなく、文系の心理学科で、
国家資格も与えられない身分だったのが、
近年、企業に産業カウンセラー、学校にスクールカウンセラーの設置が
義務付けられるように成り、
日本でも法律的に医学扱いに成りつつあります。
カウンセリングで患者が深い内面を吐露するには
カウンセラー側に守秘義務があり、
患者を傷つけないだけの専門的技能があって初めて成立します。
カウンセラー側に悪意があれば、
さらけ出された内面の深い部分を傷つけて自殺に追い込むことも可能です。
それは、外科手術中に外科医が患者をメスで殺すことが可能なのと同じです。
結局、今回の展示が深い内面の吐露であるとして
そこの取り扱いは、私のような素人には難しく、
うかつなコメントも出しにくい。
今回の展示を観に来た某美術作家さんが
「コロナ以降、商業的なギャラリーが増える中、
こういったアウトサイダー・アートの展示も出来るのを見て
勇気をもらいました」と言っていて
その作家さん自身、所属はアカデミシャン系ですが
受賞歴はアウトサイダー系です。
アウトサイダーアートも定義が色々あって
1障害者が作るエイブル・アート
2犯罪者が作る物
3大学などで正規の美術教育を受けていない作家が作る物
その作家さんが、どの意味で言われたのかは分かりませんが
ニュアンスとしては、腑に落ちます。
社会の枠組みの中で真っ当な生活を送る社会人の中にも
深層心理レベルで感じている思いの中に
これを外に出すと、周りに迷惑が掛かるから、蓋をしておこうという
感情はあって、真面目な常識人の中にも、反社会的な感情やトラウマはあって
それを表現として出せば、アウトサイダー的に見える。
村上隆的な絵を高く売るぜという商業でもなく
ゲンロンアートスクール的な観客動員して
ショービジネスを展開するぜ、でもなく
アートセラピー的な方向に行ったかというのと
自身の生徒さんの展覧会をやるのがライフワークという意味で
2010年の「芸大不合格者展」構想から、何も変わってないなとか
カオス*ラウンジ宣言で工学を謳いながら、
ずいぶん文系的な所へ来てないか?とか