ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

悪魔の囁き.「旧統一教会を解散せよ」

 第80回ベネチア国際映画祭で8日(日本時間9日)、濱口竜介監督の「悪は存在しない」が国際映画批評家連盟賞を受賞した、という朗報が流れた。当方は同監督の映画の内容はまったく知らないが、そのタイトルが気になった。

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▲ギュスターヴ・ドレによるジョン・ミルトンの「失楽園」の挿絵、「地球へ向かうサタンを描いている」(ウィキぺディアから)

 以下のコラムは映画の内容とは全く関係がないことを先ず断っておく。

 当方は「悪は存在する」と確信しているので、どのような脈絡からにしても「悪は存在しない」といわれれば、「悪は存在する」と叫ばざるを得ないのだ。実際、悪の存在が証明されれば、これまでの未解決な問題や事件の核心が解明できるのだ。逆にいえば、悪の存在を知らない限り、私たちは自身の存在を含め、多くの事が分からず、悪に翻弄されるだけの存在になってしまう、といった懸念を感じるのだ。

 誤解を恐れずに言えば、現代は「神の存在証明」よりも、「悪の存在証明」のほうが数段容易な世界に生きている。戦争は至る所で起き、飢餓、自然災害が広がっている。人生の目的が分からず苦悩している人が多い。

 そのよう中で、多くの人々は「神は存在しない」、「愛の神はいない」と感じ、「神の不在証明」を嘆いたり、怒ったりするが、「戦争や紛争、飢餓の背後には、悪が暗躍している」と喝破し、「悪魔の存在」を指摘する人もいる。世界の現状を「神の不在証明」と受け取るか、「悪の存在証明」と考えるかは人によって異なる。

 米国のサスペンス映画「ユージュアル・サスぺクツ」(1995年作)の最後の場面で俳優ケヴィン・スペイシーが演じたヴァーバル・キントが語る有名な台詞を紹介する(スペイシーはこの役でアカデミー助演男優賞を得ている)。

“The greatest trick the devil ever pulled was convincing the world he did not exist”
(悪魔が演じた最大のトリックは自分(悪魔)が存在しないことを世界に信じさせたことだ)

 それではなぜ悪魔は自身の存在を隠すのか。パパラッチ対策ではない。神が存在しないことを人間に信じさせるために、先ず自分が存在しないことを宣言する必要があるからだ。悪魔が存在していれば、神は何処にか、という問題が湧いてくる。だから悪魔は天地創造の神を否定するためには「自分は存在しない」と言いふらさなければならないのだ。

 私たちは本来、「神の存在証明」より、「悪の存在証明」を優先して取り組むべきだ、という結論になる。過去の多くの哲学者、神学者は前者を優先してきた。ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは「神は死んだ」と語り、神の不在論を展開させたが、悪が存在するか否かについて言及していない。神は「実存在」だが、「悪魔」は架空の作り物というわけだ。悪魔にとってこれほど都合のいい論理はないのだ。「この世の神」悪魔(サタン)は、地上の人間に「自分は存在しない」と信じさせることに成功しているのだ(「悪魔『私は存在しない』」2021年6月23日参考)。

 「悪魔」について書くと、読者の中には笑いだす人が出てくるかもしれない。神について書けば、「神学的な議論」と受け取ってもらえるが、悪魔について書けばオカルト、と罵倒され、狂人扱いされる。現実は、悪魔の業を指摘せずして事例を説明できないケースが増えてきているのだ。

 具体的な話に少し入る。悪魔が総結集して構築してきたのが共産主義思想だ。神を否定し、愛されている者、豊かな者への嫉妬、恨みを駆りたたせ、「労働者の地上天国」という標語を掲げて世界を席巻してきた。共産主義思想の背後に悪魔の存在を嗅ぎ取って「悪魔の思想」と喝破したのが世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の創設者文鮮明師だ。

 共産主義の実態、その正体を暴露する人物、団体、組織があれば「悪魔」は地上での強権を駆使してバッシングする。旧統一教会が創設以来、常に批判され、罵倒されたのは高額献金問題があるからではない。共産主義が間違いであり、その思想がどこから起因するかを明らかにする理論(勝共理論)を提示し、共産主義に戦いを挑んできたからだ。

 悪魔はメディアを総動員して、旧統一教会との戦いを始めた。山上徹也容疑者が昨年7月8日、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口で選挙応援演説中の安倍晋三元首相を射殺したが、悪魔は左派系メディアを総動員して同事件を旧統一教会叩きの機会に利用してきた。その時、焦点を高額献金問題に絞り、共産主義の誤謬を指摘した旧統一教会の思想的理念(統一思想、勝共思想)に対しては恣意的に無視してきた。

 現代の日本社会は、魔女狩りが行われた欧州の中世時代のようだ。ただ、欧州の魔女信仰やそれに関連した魔女狩りには程度の差こそあれキリスト教の影響があったが、日本の場合、共産主義という“偽宗教”が旧統一教会信者への魔女狩りをプッシュしているのだ。同時に、共産党系の反統一教会聖職者や活動家による旧統一教会信者拉致監禁問題を完全に忘れている。

 岸田文雄首相は10月にも旧統一教会の解散命令を請求する予定だという。旧統一教会叩きを主導しているメディア、弁護士、活動家はほとんどが共産党系だ。彼らは、支持率が低迷する岸田政権の弱みを巧みに利用し、旧統一教会の解散命令を強いようとしている。

 繰り返すが、旧統一教会ほど共産主義の実態を知りつくして、戦ってきた団体は日本には存在しない。彼らを失えば、日本は中国共産党政権、北朝鮮らの脅威に一層晒されることになるのだ。まだ、時間はある。悪魔の囁きに乗って、旧統一教会に解散命令を出してはならない。


<参考資料>
 「旧統一教会を誤解している友へ」2022年11月04日
 「岸田首相は拉致監禁被害者と会見を」2022年10月26日
 「安倍元首相銃殺の『事件の核心」は・・」2022年10月17日
 「旧統一教会は何を目指しているのか」2022年8月23日
 「『統一教会』批判を煽る2つの勢力」2022年7月29日 

神の「ユダヤ民族との3つの契約」

 先ず、旧約聖書から「出エジプト記」第21章23~24節を引用する。

 「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない」と記されている。

 次は新約聖書の「マタイによる福音書」第5章38~39節からの引用だ。

 キリストは「目には目を、歯には歯をと命じられたのを、あなたがたは聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う、悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と諭し、善をもって悪に報いるべきだと語っている。

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▲エルサレムの「嘆きの壁」で祈るフランシスコ教皇(2014年5月)=2023年9月7日、バチカンメディアから

 あなたはどちらの聖句が好きですか、といった質問をするつもりはない。前者は旧約聖書の聖句であり、後者は新約聖書の中の話だ。前者は天地創造の創世記から預言書まで39巻から構成された聖典であり、後者はイエス生誕後のイエスの福音と使徒たちの活動に関連したもので、27巻から成り立っている。そして新旧66巻を合わせて「聖書」と呼ばれている。世界のベストセラーと呼ばれる「聖書」の内容は上記のように新旧の間で一見矛盾する内容が記されている箇所が少なくないのだ。

 旧約聖書は聖書暦でイエス生誕前までの4000年の歴史が記述され、新約聖書は2000前のイエス生誕前後の話が中心になっている。新旧聖書の時代背景が異なるから、その内容も多少、相違が出てきても当然だろう。それ以上に、聖書歴6000年を神の一環としたストーリーとして読むべきだ、という判断から、聖書といえば、新旧両聖書を意味するようになって久しい。

 しかし、ここにきて“旧約聖書追放・排斥論”が聞かれ出した。「旧約聖書」排除論の最大の理由は、ビックバーン、インフレーション理論など宇宙の起源を追及する学問が急速に発展する中、旧約聖書の最初の聖典「創世記」に記述されている、神が6日間で世界を創造したという天地創造説と現代の天文学の成果の間で不一致する点がさらに増えてきたなどが挙げられる。

 それだけではない。旧約聖書の神は「妬む神」であり、異教の神々を信じる民を躊躇なく抹殺する。そしてユダヤ民族の選民意識を煽る一方、女性蔑視から少数民族迫害まで、旧約の神は人権と少数民族、女性の権利を擁護する21世紀の社会では絶対受け入れられない、という判断がある。だから「聖書はイエスの言動を記述した新約聖書だけで十分だ」という声が神学者の間で出てきたわけだ。

 ユダヤ民族の歴史が記述された旧約聖書を読み切るためには確かに忍耐が必要だ。その上、内容はインターネット時代の21世紀にはマッチしないものが少なくない。だから、排除しようという考えは一見、合理的な判断だが、聖書が新約聖書だけになり、読みやすくなったとしても、去った信者たちが教会に戻ってくるわけではないだろう。

 問題は深刻だ。聖書から旧約聖書39巻を排除した場合、神の創造目的、失楽園の話を失うことで、聖書の人類救済というテーマは意味を失い、ひいては、救い主イエスの使命は一層、曖昧模糊となってしまう危険性が出てくる(「旧約の『妬む神』を聖書から追放?」2015年5月07日参考)。

 旧約聖書の神の契約をどのように取り扱うべきかで聖書学者、聖職者は頭を悩ましてきた。バチカンニュースは7日、「ユダヤ教:絶えず続く契約」という見出して、新しい契約(新約聖書)がある現在、神の選ばれた民(イスラエル人)との神聖な契約(旧約聖書)をいつまで堅持すべきか」という問題を取り扱っている。聖パウロも「ローマ人への手紙」の中で言及しているテーマだったというのだ。

 近代教皇の中で最も神学に通じていたベネディクト16世は2018年、このテーマで論文を書き、「神とユダヤ人との契約は絶えず続いている」と述べたヨハネ・パウロ2世の発言を検証し、「神とその民との契約は唯一ではなく、多くの契約が存在した。また、契約の解除についての言葉は、旧約聖書の神学的な概念には含まれていない」と指摘し、「『絶えず続く契約』の公式は、ユダヤ人とキリスト教徒の間の新しい対話の最初の段階では役立ったかもしれないが、長期的には適さない」とその修正の必要を示唆している。

 フランシスコ教皇は7日、このテーマについて、神はユダヤ民族との間に3つの契約を結んでいると語り、「『ノアとの契約』は、人類と創造物との関係に焦点が当てられている。『アブラハムとの契約』は、統一と実りの前提条件として神への信仰が強調されている。最後に、『シナイの契約』は、法の授与とイスラエルの選出が、全ての民族のための救いの道具としての役割があった」と説明している。

 フランシスコ教皇は「神のユダヤ民族との契約は3つあって、それぞれ異なる重点が置かれている。そして、3つの契約の間を結びつける要素として、「神の賜物と召命の永遠性(ローマ人への手紙第11章29節)」を指摘し、「神は誰かを選んで他を排除するためではなく、常にすべてを包み込むために選ぶ」と述べている。

「メイド・イン・ジャーマ二ーの落日」?

 2024年度の財政予算に関する議会審議で6日、ドイツのショルツ首相は与野党、地方自治体の首長に向かって自称「ドイツ協定」を提案し、停滞する国民経済回復のために「一体化」を呼びかけた。3日のジョギングで倒れて右目を負傷し、眼帯をつけながらベルリンの連邦議会の演壇に立った首相は厳しい姿勢で話しかけた。

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▲連邦議会の財政予算審議で語るショルツ首相(2023年9月6日、独連邦議会公式サイドから)

 ショルツ首相は、「われわれはこれまで以上にテンポを加速し、国民経済の近代化、堅実な経済を構築していかなければならない。国民はわが国が再生することを願っている。私も願っている。争って時間を浪費している場合ではない」と、キリスト教民主同盟(CDU)の議員席の最前列に座るメルツ党首に目をやりながら語り掛けた。その語調は、海賊船のキャプテンのような力強いものだった。

 独週刊誌ツァイト(電子版)で6日、フェルディナンド・オットー記者は、「国民や与野党に向かって一体化が必要だという訴えは、取りも直さず現政権の無力さを認めることになる」と早速、辛辣に論評している。そして「お互いに、尊重し合い、支え合う―これらはショルツ首相の議会活動の特徴的な用語だ。ドイツ協定も同様だ。それらは複数形でのみ正常に機能する。多くの社会的孤立傾向に対抗するため、首相は新しい『私たち』を提案している」と分析する。

 財政予算を議会で審議する時、通常は与野党間の激しい対決が予想されるが、ショルツ首相はそれに先駆け、「対決している時ではなく、団結すべきだ」と主張し、それを「ドイツ協定」と呼んで、与野党、州、地方自治体の首長に政府と一体化を呼び掛けたわけだ。

 オットー記者は、「ショルツ首相にとって予算はあまり重要ではないのだ。ショルツ連合政権(信号機政権)は自身の政策に対する造語や効果的な見出しを作るのが得意だ。成長機会法、ドイツ・テンポなどの造語、キャッチフレーズを生み出し、今度は『ドイツ協定』を結ぶというのだ」と、首相の提案を冷ややかに受け取っている。

 具体的には、クリーンで安全かつ手頃な価格のエネルギー供給、現代的なデジタルインフラ、迅速で効率的なデジタル行政、強力な企業、そして停滞しつつある住宅建設などの促進を挙げている。ショルツ首相は、「国民はこの停滞にうんざりしている。私もだ。私たちは一体となることによってしか数十年にわたって私たちの国を覆ってきた官僚主義とリスク回避のカビを振り落とすことができない」と強調した。

 ショルツ首相の演説は新しい政策を提示するのではなく、精神論が中心だ。なぜならば、対策自体、既にテーブルに乗せられているからだ。問題はそれを如何に成功裏に実行するかだ。ショルツ首相はそのために、政治家、指導者の考え方のチェンジを求め、対決ではなく、一体化というわけだ。逆にいえば、社会民主党(SPD)、緑の党、自由民主党(FPD)という政治信条も政策も180度異なる3党の連立政権の行政能力は困難に瀕しているといえるわけだ。その意味で、オットー記者のショルツ首相の演説分析は正鵠を射ている。

 英国の週刊誌エコノミストはドイツの国民経済の現状を分析し、「ドイツは欧州の病人だ」と診断を下したが、ドイツの国民経済は過去3期の四半期の経済成長はいずれもマイナス成長だった。経済統計上、ドイツはリセッション(景気の後退)に陥っているといえるわけだ。

 ドイツ国民経済は今年第1四半期の成長率がマイナス0・1%だった。前年第4四半期の成長率マイナス0・4%だったので、連続2期でマイナス成長を記録した。そして今年第2四半期の成長率は前期比でマイナス0・2%だったのだ。

 エコノミスト誌の報道を受け、ドイツの週刊誌フォークスは8月25日付のオンライン版で、「ドイツは再びヨーロッパの病人か」という見出しで報じていた。フォークス誌によると、多くの経済学者は現在、今年の経済成長率はマイナスに陥ると予測し、「欧州最大の経済大国ドイツの国民経済は停滞と景気後退の狭間にある」と指摘している。

 昨年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻して以来、ロシア産天然ガスの輸入に依存してきた欧州諸国、その中でも70%以上がロシア産エネルギーに依存してきたドイツの産業界は再生可能なエネルギーへの転換を強いられるなど大きな試練に直面している。ショルツ政権が推進するグリーン政策に伴うコストアップと競争力の低下は無視できない。そして外国からの需要は低迷し、商品とサービスの輸出は前四半期比で1・1%減少し、輸入も停滞している。ドイツの産業界は専門職の労働力不足で生産性にも影響が出てきている。高いインフレ率とそれに伴う国民の消費・購買力の低下、失業率と労働市場の悪化がみられる。

 ドイツ民間ニュース専門局ntvは6日、「メイド・イン・ジャーマニー(Made in Germany)はもはや廃れてしまったのか」というテーマで経済界の要人たちに聞いていた。ドイツは日本と同様、輸出国だが、世界経済の低迷、特に、中国経済の低成長もあって、外国貿易が不振だ。

 ドイツは久しく輸出大国として君臨してきた。その頂点には「メイド・イン・ジャーマニー」の表示が品質を証明するものとして受け取られてきたが、その呼称が輝きを失ってきているというのだ。

 参考までに、欧州最大の自動車展示会「ミュンヘンIAAモビリティ」が4日から開催中だが、世界のトップメーカーが最新の電気自動車(EV)を展示していた。ドイツの自動車ジャーナリストは、「自動車メーカーは新しい時代に入ろうとしている。展示場では中国のEV大手、BYDが新たな2車種を展示し、欧州のEV市場に本格的に進出してきた。EVの最新の技術ではアジア系メーカーが目立つ」と述べていた。具体的には、充電時間の短縮、航続距離の延長、そして価格争いでメイド・イン・ジャーマニーのEVは激しい競争にさらされている、というのだ。
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