第1話 現代の妖怪屋敷・稲尾家にて

 現代日本の妖怪屋敷、稲尾家。

 二階建ての武家屋敷のような本館と、平屋の別館からなり、そのほか道場や大きな蔵を敷地内に持つ大きな屋敷である。

 裏山を所有し、この村でも随一の豪邸を誇る家であり、最強と言われた大妖怪・稲尾柊が住まう家であった。


「もっふもっふもーっふ」


 ちっこいのが奇妙な節回しの変な歌を歌いながら廊下を歩いていた。ホップステップするたび、腰の二本の白い尻尾がモフンモフン跳ねる。少し毛が散るのはご愛嬌だ。

 狐の耳と二尾は先端が紫色。くりくりと丸く大きな瞳も紫色。黒い瞳孔は、昼間の室内では縦長に細い。歳は、人間であれば十歳ほどか。桜色の浴衣を着て、上機嫌に襖を開け放ち居間に入った。


「とうま、かえってきた!?」

「うわっ、びっくりした」


 驚いて飛び跳ねたのは三尾の白狐、稲尾竜胆いなおりんどう――驚かせた張本妖ちょうほんにん稲尾菘いなおすずなの兄である。

 人間換算で十四歳くらいの竜胆は、超がつく美形である。和服のせいで体の起伏がわかりづらいから、下手したら女性にも見える。彼はそれを話題に出すとあからさまに不機嫌になるが。


「燈真ならまだ買い出しだぞ、菘。ほれ、妾のところへ来い」


 応じたのは上座に座る九尾(!)の白狐・稲尾柊いなおひいらぎである。

 絵に描いたようなグラマラス妖狐だが、感じるのは下劣な色情ではなく、健康的なエロスである。一五〇〇年を生きる妖狐ともなれば、他者にさえ余計な欲情を抱かせないくらいに、そういった概念から脱却するのだろうか。

 妖艶なのにどこかさっぱりした笑みを浮かべ、柊は尻尾でちょいちょいと手招いた。尾招いたというべきか。

 しかし菘はむすっとした顔で拒否する。


「ひいらぎはおさけくさいしいいや。にいさん、あそんで」

「僕は漫画読むのに忙しいからあとでね」

「あとっていつ?」

「あとって言ったらあとだよ。明日とか」

「いーやっ、ごふんご!」

「漫画読んでるって言ってるだろ。万里恵に遊んで貰えばいいのに」


 万里恵――霧島万里恵きりしままりえ。稲尾家に仕える忍者の末裔で、現在ふてぶてしくも座卓の上で黒猫の姿になり、丸くなって寝ている。大きさは猫というには大きすぎる。大型犬くらいの大きさがあった。

 猫又だが、尾の数は四本。外見は尾がたくさんの黒猫といった感じだが、実態は諜報活動から暗殺まであらゆる汚れしごとをこなす稲尾家の暗部である。

 菘は万里恵の顎のモフッとした毛に指を突っ込んだ。


「なおーん」


 鳴き真似をする。

 万里恵の体重は一貫どころかもう既に四〇キロ。人間の女性としては軽すぎるが、猫基準で言えば大きいなんてもんじゃない。大型犬とタメを張る体重など、もはやヒョウである。

 しかも通常動物をはるかに優越する身体能力・妖力を秘めた妖怪。一歩間違えれば、一瞬で挽肉――。


「なおーん!」


 だが恐れ知らずの菘は、万里恵の口に指を突っ込んだ。


「みゃぎゃっ」


 驚いた万里恵が背後にズッキーニを置かれた猫のように飛び跳ね、畳の上に着地した。超重量級妖怪が乗っても平気な刃鋼はがねい草で編まれた畳だ。四十キロの躍動などではびくともしない。

 黒猫は空中で少女の姿に化けた。ところが実際は二〇八歳で立派な成妖せいじんなのだが、別段若作りなのではなく、人間に換算して二十代半ばの姿でも、女子高生並みの若さに見えるだけだ。

 ちなみに慶応三年生まれで、芽黎二十七年現在を生きる妖怪の中では、である。


「ちょっと菘、寝てる時になにしてくれてんの!」

「たいくつだったから、あそんでくれないかなって」

「柊いるじゃん」

「おさけくさいの、うつっちゃう」

「竜胆は?」

「僕は読書。人間の文化を学んでるの」

「妖術廻戦……思いっきり少年漫画じゃないの」

「わっちをのけものにしたら、たたるぞ……!」


 菘が瞳からハイライトを消し、万里恵に詰め寄った。


「なっ、なんで私を祟るの。ったくもう、だからって猫チャンの口で遊ぶんじゃないのー。私たちは繊細なんだから」

「せんさいなこは、つくえでねません」

「……そりゃごもっとも」


 大の成猫が幼狐に秒で論破された。


「ただーいま。……燈真、へばってないで早く運ぶ」

「お前っ、重いもん全部俺に持たせやがって……!」


 玄関から賑やかな若者の声がした。

 菘と竜胆の姉・稲尾椿姫いなおつばきと、一ヶ月前から内弟子として居候している漆宮燈真しのみやとうまである。


「とうまっ」


 菘が居間から飛び出していった。

 柊が手酌で日本酒を呷り、呟く。


「あいつは年上が好みか」

「そうじゃないと思う」


 竜胆の冷静なツッコミに、万里恵が吹き出した。


 さても玄関で靴を脱いだ燈真は、灰色の髪が汗で額に引っ付く気持ち悪さに閉口しつつ、重たくて大きいエコバッグを二つ廊下に置く。


「とうま、あそぼ!」

「その前にシャワー浴びさせてくれ。ほら、汗臭いぞ」

「おっ……おとこのにおい……」

「お姉ちゃんと遊ぼっか。手洗ってくるね」

「おねえちゃんはあせかかなかったの?」

「お姉ちゃん軽いのしか持たなかったし。姉弟子に苦労させない、弟弟子の鏡よね」


 調子いいこと言いやがって、と燈真は呆れつつ、本館にある一般の風呂場に入った。燈真が全裸になって浴場に入ってから、椿姫は手洗いとうがいを済ます。

 燈真は一ヶ月前、――ことの発端は、それよりも前だ――地元で起こったある事件をきっかけにこの稲尾家に来た。

 ここで退魔師の修行をしていた母・浮奈のことを聞き、燈真は父の孝之に勘当されたのもあって内弟子として住まわせてもらい、退魔師としてのイロハを学んでいるのである。

 姿見に映る己の体は、もともと意味もなく鍛えていたこともあり筋肉質だった。

 胸元に大きな傷跡があり、それは成長と共にいびつに歪んでいるが、もともと心臓移植をした痕であると説明されていた。手術痕がこんなになるものかと疑問だったが、自分で調べても燈真には過去心臓移植の記録はあっても、それ以外に胸元に大怪我をした記録は一切ない。


 汗を落とし、軽くシャンプーしてから出た。バスタオルで体を拭って、着替えがないことに気づいて「やべ」と声を漏らす。


「竜胆、りーんどーう。俺の部屋から着替え持ってくてくれないか」

「はーい、適当に作務衣とか持ってくるね」


 トントントントン、と階段を上がる音。しばらくして降りてくる音。


「はい。作務衣と羽織。……燈真のブツ、立派だね」

「城を落としたことがない大砲なんて意味あるか……? いいから、ほら」


 燈真はさっさと作務衣の紐を結び、藍色の羽織に袖を通した。

 居間に入ると、菘と椿姫、万里恵が真剣な顔でトランプをしている。ババ抜きだろう。


「ちょっと椿姫、力入れないで。カードがちぎれるでしょ」

「じゃあこっち抜きなさいよあんた」


 なんて不毛な争いなんだ。先に上がっている菘は勝ち誇った顔で勝負を見守っている。

 燈真は座布団を敷いて座り、菘があぐらをかいた燈真の足の上に乗っかった。


「もふる?」

「妖狐の尻尾に触ったら祟られるって聞いたことあるな。ゲームだっけか、あれは」

「きつねたべたら、えきびょうがはやったはなしならあるよ」

「なんだそれ」

「ながのけんの、いいつたえ」


 なんで菘がそんなことを知っているんだろう――と椿姫を見たら、ドヤ顔していた。多分彼女がお姉ちゃん風を吹かせて教えたのだろう。――と、


「はいはいスペードの四。私の勝ちです」

「ちょっとコルルァ、よそ見してる時に取るんじゃないわよ!」

「なーにがよそ見よ、勝負の最中によそ見なんて負けを懇願するようなもんでしょうが」


「あのにひきは、おいといて」


 妹は薄情だった。


「とうまは、さいきんどんなしゅぎょうしてるの?」

「んー? 妖力を練る修行と、巡らせる修行。毎朝山走ってるのは知ってるだろ」

「うん、おねえちゃんと、まりえと、にいさんと、あとみつきとはしってるね」

「一ヶ月もすれば慣れるもんだな。過酷な獣道でも転ばなくなったよ」


 修行自体は確かに大変で辛いが、己の肉体を通じてレベルアップしているのを感じられるのが嬉しかった。成長をダイレクトに実感できるし、それが退魔師という目標に還元されているというのもモチベーションになっていた。

 燈真は菘の狐耳をいじりながら、竜胆が持ってきてくれた蕎麦茶を飲む。


「最強の退魔師になる、その下積みだ」

「おうえんするからな、とうま!」


 荒唐無稽、無謀な願い――夢。最強の退魔師。

 燈真はそこを目指す理由があった。そうせねば許せない事情があった。

 私怨とも取れる理由である。だが、紛れもなく本心から思うことであり、妖怪との共存を心から願う燈真にとって、決して避けては通れぬ宿命でもあるのだった。


「燈真よ、先日の仕事の報酬が振り込まれておったぞ」

「ああ……」


 先日……というか、昨夜だ。アパートで発生した四等級魍魎の祓葬。

 規模が規模なので、末端の現場にいる一退魔師に振り込まれる金額は、せいぜい三万円程度である。命懸けでこの値段と思うと安すぎるが、一度の仕事でこれだけ稼げるのは破格だろうか。しかし世の中には、イラスト一枚で五万円稼ぐフリーのイラストレーターもいるし、そう思うとちょっと疑問だ。もちろんどちらが仕事が上、ということは決してないが。

 燈真は己のエレフォンを取り出し、アプリを起動。口座番号を確認し、通帳を見た。

 退魔局から二万五〇〇〇円の振込があった。


「確認した」

「よろしい。大切に使うように」

「……修行の授業料とか、生活費としてとらないのか?」

「子供から巻き上げるほど生活には困っておらんわ。みくびるでない」


 柊はフフン、と鼻を鳴らした。燈真は内心素直に感心し、ありがたく使わせてもらうことにした。

 と、玄関の戸がガラガラと開く音がした。


「ただいま」


 年若い少年の声。しばらくして、手洗いうがいを終えたそいつが居間に入ってきた。

 黒髪に白メッシュが入った、可愛らしい顔つきの子である。丸みを帯びた小ぶりな三角形の耳をしており、腰からは細長い尾が二本。

 彼は尾張光希おわりみつきという雷獣種の少年である。人間換算で、十五、六歳ほど。燈真や椿姫と同じく、学生だ。


「任務完了、四等級二体の祓葬だったぜ。俺のナイフ捌きを見せてやりたかったよ」

「お疲れさん。俺は椿姫と買出しだ。材料からして、晩飯は寄せ鍋だぜ」

「おっ、いいね。燈真は……人間だから酒飲めねえんだっけ」


 光希や椿姫は妖怪だし、実年齢は六〇を超えるので普通に酒を飲める。だが燈真は実年齢も十六歳なので酒は御法度だった。それに、


「それもそうだけど、明日から高校だろ。酔った頭でいけねえよ」

「あ、そっかそっか」


 明日は九月二日、月曜日。村立魅雲みくも高等学校が夏休み明けで始まる。燈真は転校生としての初登校である。まあ、挨拶自体は夏休みの出校日にしているので、厳密には初登校ではないのだが。


「あきまつりも、もうすぐだね」


 菘が蕎麦茶を啜りながらそんなことを言った。柊が「ああ」と喉を鳴らす。


「妾も村役場に顔を出さねばな。祭りともなると、まだまだ妾も必要とされるでな」

「そんちょうと、のみくらべをするの?」

「ちがわい、仕事だ仕事! 飲み比べは祭りの日にするの!」


 それでも祭りの時はするんだ、と燈真は呆れた。

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