第3話 最強を目指して

 昨日はあれから適当なところに宿を取り、一夜を明かした。ノエルがわがままを言って個室がいいと言い張ったが、空いていたのは一人客専用のシングルとダブルルームだけだったので、大部屋よりはマシだろうとダブルを取った。

 エストは特段そんなことで騒ぐことはなかったが——そもそもノエルとの付き合いは長く、今更騒ぐことなんてない——、ノエルはなぜか少し嫌そうな顔をしていた。


 かくして明朝。外から小鳥の囀りが聞こえてきた。

 限られた土地面積を有効活用するために建物の幅は狭く、階数も高いため日差しはあまり入り込まないが、そこは都市の宿命だ。仕方ない。

 エストは藁が敷いてあるベッドの上で、上は裸で眠っていた。外から聞こえる喧騒からして、仕事始めの時間か。と、そこに朝五時を告げる鐘が鳴り響く。

 大欠伸をして、二人で共有していた毛皮の毛布を剥ぎ取った。


「起きろノエル」

「うぅ……」


 喉を震わすようにして、ノエルがもぞもぞ動き出した。何気なく隣を見ると、下着すら身につけていない一糸纏わぬ姿のノエルが横たわっていた。

 陶磁器のように滑らかな白い肌に、豊かすぎるほどに豊かな乳房。当然その先端にある桃色の乳頭は隠されておらず、ぷるんと顔を出している。

 エストは女の裸ごときで騒ぐほど子供でもないし、いちいち興奮するような猿でもない。

 相変わらずの胸の大きさに呆れつつもハンターの情けで彼女に毛布を掛け直し、エストはさっさと着替え始めた。

 布鎧を着込んで、チェインメイルをつける。その上から胸当て、股覆い、革のチョッキ。あとは肩当てや籠手、脚甲をつけていくだけだ。最後に青色のマフラーを首に巻き、エストは籠手のきつさを確かめるように手を開閉する。

 一人でも着用できるように簡略化・魔道具化されたパーツを用いているので、手伝いを必要とはしない。もともとエストは一人でハンターをするつもりだったので、この装備を選んだのだ。

 ベッドに一緒に寝かせていた愛剣を腰に吊り下げ、それから裸など見ていないというふうにノエルに声をかける。


「いい加減起きろ。食いっぱぐれるぞ」

「えぇ……朝ぁ?」

「残念ながらもう朝だ。さっさと起きろ」


 ノエルはもごもご喉を鳴らしながら毛布に縮こまろうとした。


「部屋出てるからさっさと着替えてこいよ。遅かったらほんとに一人で飯食うからな」


 突き放すようにそう言って部屋を出ようとしたら、ノエルに手を掴まれた。


「エスト」

「何?」

「親しい女と二人きり、なんで何にもしないんですか」

「親しいからこその礼儀だろ。バカ言ってないでさっさと着替えるんだ」


 手を払うと「なんですかもう」と盗人猛々しい文句が聞こえてきたが、エストは無視して部屋を出た。

 安宿なので二人で素泊まり六〇〇〇ロガである。食事は適当に屋台で済まそうというのが、事前の取り決めだった。ちなみに二度寝して遅れるようなら本当に一人で食べる気である。


 宿の一階、ロビーで待つこと三十分。ノエルが降りてきた。


「二度寝しそうになりましたよ。危なかった……」

「ったく。俺と相部屋を嫌がるくせに、一人だと起きられねんだもんなお前」

「ところでエスト、起きた時私の裸見ました?」

「……見た」

「感想は」

「すっごい乳だったな」


 べしんっ、と背中を強く叩かれた。胸当てのない腰を。チェインメイルと布鎧クロスメイルを着ているはずなのに、見事に衝撃が伝わってくる。

 風呂は昨日、街の集会浴場で済ませていた。この国の女性は豊かな体つきの者が多く、風呂に出入りする連中は皆女性に釘付けだった。実を言うとエストも内心ドキドキしていた。それですぐ行動に出るほど本能的ではないが、彼もまだ二十一歳。若い盛りだ。

 チェックアウトを済まして外に出ると、外壁が吸い込んでいた賑やかな声が飛び交っていた。

 エストたちは猟胞団がある北東部へ向かい、その道中の屋台に目を移す。


「串焼きですって。韃広鸛ムチビロコウのもも肉だそうですよ」

「マステュービルだっけ? さすが猟胞団のお膝元、二等級幻獣も狩れるんだな。あれ、買ってくか」


 エストたちは屋台に立ち寄り、串焼きを一本ずつ買う。ついでに、塊肉から削ぎ落とした韃広鸛肉をサンドしたケバブも購入した。

 食べ歩きというのも悪くない。このシアンズリバーは城塞都市にしては大きく、人口もそこそこである。もともと軍事拠点として作られた城だったものを、王国中期に貴族の権威主義的なそれへと作り変えたのが都市拡大の理由らしい。

 物流の要衝として発展したが、内乱では当然ここも狙われたと師匠は言っていた。

 もともと猟胞団の話も老師・レドの受け売りで、ほぼ伝聞系のそれを人に聞いてやってきたのだ。なのでこのシアンズリバーの歴史も、少し聞いている。


 エストはケバブの辛味の効いたソースを味わいながら、北東へ進む。途中辻馬車に乗り込んだ。荷車を引くのは快馬ゾイロス。山羊のような角を持った馬の幻獣だ。

 馬よりは飼育が困難だが、幻獣の中では比較的手懐けやすく、おそらくこいつは家畜化が進んだ品種だろう。

 荷車自体は簡素な作りだが、さすがに人を乗せられる強度はあった。屋根は幌で、木の格子状の枠で固定されているだけだが上等である。

 朝食を終えたエストは串をノエルに渡した。彼女はそれをフレイアで一瞬で焼き払う。


「エスト、猟胞団に入るにあたって、何か交渉上の武器はあるんですか?」

「ない。腹を割って話して、入れてもらう」

「……男らしさは認めましょう。素直に、レド様の弟子といえば?」

「その師匠が名指しした狩猟集団なんだぞ。七光じゃ入れないって言ってるようなもんだし、なによりそんなの、師匠への評価であって俺たちへの評価じゃない」


 エストは唇を尖らせた。指摘すると怒るが、大人びている彼は意外にも子供っぽいところが多い。ノエルはそこが、エストの変わらぬ可愛らしさだと思っていた。


「最強のハンターですか」

「そうだ、最強のハンターだ。この世で最も失わない者は——」

「——誰よりも力を持つ者、ですね」


 エストは拳を握り締めた。


「そうだ。誰にも侵害されない、奪われない、バカにされない最高にして絶対の生き方は強くなることだ。俺にはハンターって生き方しかない。だから、最強のハンターを目指す」

「シスターのことを、まだ気にされているんですか」

「死んだ人間のことなんて引きずっちゃいない。でも、もう二度とそういうものを作らないつもりだったのに、気づいたらまた余計なものがひっついてきたんだろ」

「誰のことですかね。そんな捨て身思考のバカだから、余計なのが心配してくっついてくるんです」

「ふん」


 辻馬車が停まった。


「ついたよ。二人で八〇〇ロガね」

「ありがとう。二〇〇ロガ、チップ。騒がしくしてたし」


 エストたちは辻馬車から降りて、猟胞団本部の前に立った。

 外見は二階建ての大きな酒場である。ハンターが仕事を受ける場所——つまりギルドも酒場を兼ねているのでそういう作りになるのだろうが、エストはまさにハンターの根城という作りの本部に、興奮していた。

 ここで名を上げ、最強のハンターとなる。エストは胸を張って扉を開け放った。


 中には大きな暖炉が一基あり、戦利品なのか武具を飾るマネキンや飾り棚がいくつもあり、鎧や剣、戦斧、弓が立てかけられている。

 目の前を通って行った男の上背は、ゆうに二メートルを越していた。しかも体格に優れるセリオンやオーク族ではなく、ヒューマンの女である。

 顔はおろか性別さえわからない、ボディラインを隠す全身甲冑の剣士、無論魔導師もいて、中には盗賊ギルドから出てきたようなシーフも紛れている。

 種族も性別も、年齢層もバラバラ。老いさらばえた女の魔導師もいれば、まだ十代半ばくらいの少年弓使いもいる。

 けれど共通するのは、全員の眼光が鋭く、肩で風を切る堂々たる立ち振る舞いだということだ。


 と、扉がまた開いた。

 そこには背の高い女。頭部には赤みがかった黒い角。背中に翼はないが、腰からは爬虫類の尻尾——角と、爬虫類の尾。ドラグオンだ。地竜族の血を引くのだろう。

 その女は背中に身の丈ほどもある大剣を背負い、右手で大きなずた袋を担いでいた。

 女はエストをチラリと見て、口を開く。


 よく来たわね、新入り。期待しているわ。


 きっとそう言ってもらえる。そう思っていたが——。


「ボケっと突っ立ってんじゃないわよ。邪魔」


 とん、と軽く肩を突かれ、押し退けられた。軽くとはいうが、体幹の優れたハンターをよろけさせる威力である。一般人ならそのままテーブルに頭から突っ込むくらいの勢いだ。

 喉まで文句がでかかったが、女の後ろ姿はまさに強者のそれ。どこからどう見ても隙はなく、周りのハンターたちも彼女には一目置いているような視線を送っていた。


「くそっ」

「エストがこういうとき冷静なタイプで助かりました。いきなり仲間を失う羽目にならなそうですから」

「そこまで考えなしじゃない。……団長はどこなんだろうな。すみません」


 エストはそばにいた人狼族の男に声をかけた。赤毛の人狼で、歳はエストより少し上くらいである。顔立ちはぞっとするほどの美貌で、美男子——というか、服装を変えて少しボディラインを誤魔化せば、美女と呼べるほどではないかというほどだ。そこらの女よりよっぽど美人である。


「何だ?」


 が、声はしっかり低かった。


「団長ってどこにいますか? 入団の相談をしたいんです」

「親父なら多分二階じゃないかな。そっか、新入りか。正直に話してれば、入れてもらえる。嘘ついたり見栄張らないようにな」

「ありがとう。えっと……俺はエストって言います」

「ジークだ。今度、狩りに行こう」


 ジークはそう言ってくるりと踵を返す。背負っているのは、弦の両端に車輪がついたクロスボウである。機巧式のものだろう。よくわからない機構が色々くっついており、かなり大型である。

 エストはそれどころじゃなかった、と首を振った。


「二階ですね。いきましょう、エスト」

「ああ。っていうかやっぱ、男らしく腹割って話せばいいんだよ」

「能天気ですねあなたは」

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