【一時更新停止】リミナル・テラシス — お前らっ、笑うんじゃねえ! 新米狩人はなぁ、最強ハンターを目指して人外娘たちに囲まれながら過酷な狩りをしてんだよッ! —

夢咲ラヰカ

第1話 シアンズリバー

 石を踏んだ車輪ががこんと大きく跳ねた。峠道を下る馬車の荷台には箱詰めされた荷物や、樽詰めされた酒などが積み込まれてロープやベルトで固定され、エスト・ミューレはそれらの荷物に背をもたせかけ半ば眠っていたのだが、今の大きな振動は尾てい骨を通して背骨に向かい、雷が走るように響き渡り、はたと目が覚めてしまう。

 最寄りの村でこの馬車に話をつけて乗せてもらって数時間。早朝に出た馬車は、正午の頃には大河沿いにある街の近くまで来ていた。

 しばらく荷台で揺られていると、傾斜が和らいで川の音が近づいてきた。

 まどろみながらじっとしていると、そのまま船を漕いで行きそうになる……。

 エストは馬車の荷台から飛び降り、ほとんど徒歩と変わらぬ速度で移動する馬車の御者台へ駆け寄った。

 御者の髭面のドワーフは、エストの影にきづきふさふさした半分ほど目を覆っている眉を動かす。


「あれが、シアンズリバー?」

「起きたのか、旦那。幻獣の襲撃ったって、村を出てすぐだけだったな。……そう、あれがシアンズリバーだ」


 青緑色の美しい河川に接する街、シアンズリバー。

 エストは紫色の髪を風になびかせながら、目を細めた。

 外見は見るからに荒事を生業としていそうなものであるエストは、事実ハンターという職について糊口を凌いでいる。

 灰色の鎧と籠手、脚甲。チェインメイルに、その下の布鎧。首から肩にかけてマフラーを巻いており、腰には一振りの剣が差されている。

 顔立ちは年若い青年のそれ。着る物を帰れば女にもなりそうな美貌にはまだ年の功を感じる威厳はないが、少年のような幼さもない。徐々に大人に移り変わる過渡期にある、二十歳そこそこの若者——そんな面立ちであった。


 河の流れは穏やかな箇所と、激しい部分がある。岩場の方は流れが入り組んで随分水の速度が速いが、こちら側は岩が少なめで、比較的緩やかだ。

 対岸に渡された橋も、この先の街のそばに見える。が、十中八九関所があることだろう。内乱からこっちわずか六年。国内の不穏分子は掃討できたわけではない。

 エストは首を二、三回回し、凝り固まった筋肉をほぐすように軽くストレッチする。

 屈伸運動をして、少し離れた馬車を追おうと——して、エストは気づいた。


 近くの草むらが、わずかに不自然に揺れた。

 おや、と間抜けに思うことはない。アンブッシュしていた手練れの山賊か、そうでなくては狡猾な幻獣である。

 エストは大声を出して相手を刺激する前に、見ているかどうかはわからなかったが、左手でサインを送った。


 それから静かに剣の柄に右手を添え、腰を落とす。

 相手が、気付かれたことに気づいたのはその時である。その瞬間、エストは馬車に向かって「敵だ!」と叫んだ。

 ガタン、と馬車が一瞬跳ね、駆け出す。そして荷台から人影が一つ飛び出した。

 エストは抜刀、ブロードソードを胸の辺りで引いて構え、頭部に視線と水平に据える。雄牛の構え。


 草むらから、影がいくつか飛び出してきた。

 数は三。蔑犬べっけんコンテプコボルである。

 外見は前傾姿勢の二足歩行をするハスキー犬で、違うのは人間のような乳房が胸に一対ついていることだ。隠れているだけで、小ぶりな胸がさらに二対、その下にある。

 この種は人の男をさらって巣に連れ帰り、繁殖の糧とすることで恐れられる生物だ。

 種役にされた男は保って半年。大抵は死ぬ前に気がおかしくなるか、舌を噛んで自決する。それをわかっているのか、コンテプコボルは主人の幻獣・ヴァルガオウガがいる場合、猿轡を人に噛ませることもあった。

 人からしてみれば悍ましく、恐ろしい生物。だが、幻獣である彼らからしてみれば普通のことで、なんら謂れをかけられる義理などないのだ。


 だから、双方向で理解不能な彼らが会敵すれば、言語を介した対話はなく己の武器を頼りに力比べとなる。それが自然の定め——摂理だ。


「数は三、等級は五……さて」


 エストは喉を鳴らし、目を細めた。

 来る、と思った時には一体が飛びかかってきていた。

 エストは剣を素早く払うように振るい、空中にあるコンテプコボルの脇腹を切り付ける。繊維のような毛は天然の布鎧であり、一刀両断とはいかない。

 が、運動エネルギーの収支で相手がのけぞり、地面に落ちた。

 右へ跳んで二体目の体当たりを回避するが、それがわずかに左腕に掠る。


「!」


 三体目が身を屈め、突進。エストは反射的に剣の腹でそれを受け止めた。


「ぐあっ」


 勢いに押され、エストは後ろに転がる。二回転ほどして踏ん張りを利かせて顔を上げると、すでに追撃の爪が眼前に迫っていた。

 エストは刃でそれを受け止めて鍔迫り合いに持ち込み、右脇へ滑らせるように剣を払う。

 相手が姿勢を崩したところへ、首筋を狙って斬撃。剣身が毛皮を裂き、皮膚を切り潰した。

 ドチュッ、と大動脈を断ち切る手応え。血飛沫をあげながら、しかしコンテプコボルはまだ立っていた。

 首を落としたわけではない。脳が機能を停止するまでの十数秒はまだ生きている。


「グギャウッ!」


 コンテプコボルが吠え、エストに噛み付いてきた。

 咄嗟に回避するが、足に喰らい付かれる。


「このっ」


 脚甲がぎちぎちと悲鳴を上げた。そこへ、別の二体が迫る。

 エストは空いた足で手負の個体を蹴り付けるが、まずい——と冷や汗を垂らし、


「フレイアっ!」


 凛とした女性の声が響き、紅蓮の火球が飛来した。エストに飛びかかっていた一体に直撃し、火の粉を散らしてそいつを吹っ飛ばす。

 顔面が焼け爛れたコンテプコボルは毛皮に引火した火を消そうと足掻いた。汚れを弾くため脂でコーティングしているせいで、毛皮は異臭を放ちながらどんどん燃え上がる。

 やがて丸焼きになり、関節が折れて丸くなったコンテプコボルはうんともすんとも言わなくなった。

 その隙にエストは剣で足に噛み付く個体の喉を抉ってとどめを刺す。


 残りは一体。そいつはわずかな間に仲間が二体減ったことに困惑しているようだった。

 退くべきか、とたじろぐ。が、見逃せば別の群を連れて街まで降りてくる危険性がある。冷酷な判断になるが、ここで始末するしかない。

 炎の魔導術を放った女性——ハイエルフの銀髪の子が、杖を手に「フレイ・エンチャ」と呟く。エストの剣に魔力の炎が纏わりつく。


「助かるよ、ノエル」

「手早く済ませましょう」


 エストは炎を纏った剣を腰に構え、すでに戦意を喪失しかけているコンテプコボルに切りかかった。

 後ろに飛び退いて身を踊らせたコンテプコボルだったが、エストのさらなる踏み込みと斬撃が腹を焼き切った。傷跡が一瞬で塞がるが、深い裂傷である。確実に臓器をダメにしている。

 地面に落ちた幻獣に、エストは苦しませぬよう素早く剣を振るった。骨の関節に滑り込んだ刃が、そのまま綺麗に首を落とす。

 炎のエンチャントで切れ味を増した剣は見事にコンテプコボルを倒し切った。

 エストは己の魔力をわずかに注いでノエルが剣にかけた魔術を解除すると、軽く血振りしてから鞘に戻す。

 ノエル——そう呼ばれた女は白と黒のツートンのローブの裾を払い、杖を手にエストにため息をついた。


「あの程度の相手に遅れをとってどうするんですか。天下のハンター、レド・ミューレの弟子が笑わせてくれます」

「そこまで言うことはないだろ。確かに師匠は凄い方だし、俺だって自分を卑下する気はないが、冷静にみてまだまだペーペーの新入りなんだし」


 肩をすくめたノエルが、杖で街を示した。


「あの街で腕を上げる、でしたか。期待していますよ」

「お前もだろ。魔導師としての腕を磨くって言って、俺と修行してたんだ。お前は本を読むばかりだったけど」


 エストはそう言いつつ、コンテプコボルから素材を剥ぎ取る。腰の鉈で、焼けていない個体からは毛皮を、焼けた連中からは爪と牙を貰う。

 残った肉や骨は別の幻獣の餌になったり、土壌を豊かにする肥料になる。素材を何もかも骨まで丸裸にして持っていくのは素人のすることだ。プロのハンターは自然に感謝し、あえて残すことを選択する。勘違いされるが、ハンターは何も幻獣を絶滅させるために活動させているわけではない。至上目的は自然との調和だ。


 皮を畳んで回収した素材を革袋に入れ、エストは鉈の血を鎧の上から着込んでいるノースリーブの革ベストの裾でさっさと拭った。撥水性のある革ベストの紫色の表面に、血の球が浮かんで滴り落ちていく。

 遠くで律儀に停まっていた馬車まで合流すると、ドワーフの御者が慌てて降りてきた。


「だ、大丈夫かい? いきなりだったなあ」

「俺たちは平気です。そっちは怪我とかは?」

「あんたたちのおかげでなんともないさ。ありがとう。しかし街の麓にまで幻獣が降りてくるなんて……」

「ここじゃあ珍しいんですか?」


 ノエルが問うと、御者は顎に手を当てた。


「い、いや、儂は流れ者だからよく知らんが……しかし他の地域では人里に幻獣が降りてくるなんて、それだけで騒ぎだからな」


 確かに普通はそうだ。エストはあまり長々と会話するのが正直面倒で、さっさと街に入りたかったので「それより」と話題を変えた。


「怪我がないんならよかったです。街に入ってゆっくりしましょう」

「そうだな、それもそうだ。旦那方ありがとう。さて、商売の時間だぞ〜」


 ドワーフは洞窟で掘り出した鉱石を加工する種族だ。それを売り出す下働きのドワーフが、そのまま商売を生業としてしまうこともあるという。この男も、そうしたクチだろう。

 エストたちは川縁に作られた開閉門の前に歩いて行った。水堀に渡された橋の両脇には、鎧を着込んだ兵士が槍を持って立っており、通行人を見張っている。

 通ろうとすると、一人がやってきた。兜の頭頂部は二つ尖りがあり、獣耳系の種族だとわかった。音を拾うための溝のラインがいくつか、耳の部分に走っている。


「待て、見ない顔だな。どこからきた」

「儂はロックヘッド山生まれのドワーフだ。そこで作った武具や宝飾品を売って稼ごうと思っている。違法な品なんぞはないぞ」

「ロックヘッドのドワーフか。なら通しても良さそうだな……しかし、商売をするのならトレーダーギルドには顔を出せよ。行ってよし」

「へへ、どうも」


 バイザー越しに、衛兵の目がエストとノエルに向いた。


「お前たちは? 随分、物々しいが」

「流れのハンターのエスト・ミューレです。ここを拠点に、一稼ぎしようと。こっちは俺の仕事仲間の魔導師」

「ノエル・ソレアードです」

「ライセンスを見せてもらってもいいか」


 エストは腰のポーチからライセンスを取り出した。魔石を濃縮した濃縮魔力インクで書かれたそれに魔力を流すと、空中に文字が投影されざっとした略歴などが浮かぶ。

 衛兵はそれを読んで、このライセンスに虚偽がないことを知ると、頷いた。


「いいだろう。だが騒ぎを起こしたら牢獄行きだからな。通れ」

「どうも」「ありがとうございます」


 二人は門衛の審査を抜け、街へ入るのだった。

 川縁の街・シアンズブルー。

 そこで待ち受ける、新生活とは——。

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