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- 2022.04.05 Tuesday
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絵画の方に目を向けると、エリザベトから生まれた聖ヨハネは何故か聖母子のそばにいることが多いように思います。 似たような時期に生まれたキリストとヨハネを区別するものは、ヨハネの持ち物とされている十字の杖。 下の絵は 『聖母子と幼児聖ヨハネ』 と名付けられた“コレッジョ”作品。 ちょっと見にくいですが、十字の杖を持っているのは手前の後姿の男の子。 マリアの目線やキリストが開いた両手は聖ヨハネに向かっています。
幼い割に自分の足で立ち、両手で十字の杖を持つヨハネ。 マリアは素手(右手)でヨハネを支えているのに対して、マリアの膝に腰かけたキリストを支えるマリアの左手は白い布で覆われています。 この三角関係をどのように理解すればいいのか・・
マリアの右足を覆うブルーの衣の上に立つ十字の杖を抱えた男の子は、両手を広げるキリストを洗礼する立場にありました。 一方は手を広げる救世主キリスト、もう一方は十字の杖を大事そうに抱えている聖ヨハネ。 対照的な感じがする二人は、洞窟内部に射し込む光を背中に浴びるのがキリストで正面に見るのが聖ヨハネ。 キリストが救世主として歩むべき道を創造することができたのも聖ヨハネ。
洞窟内部に創造された三人が形作る聖なる三角形は、見る者を安心させる何かを秘めていました。 生きていくうえで最も大切な“安心”を創造することができたのが聖母子と聖ヨハネ!
今年2月から『あとん』にある意味を込めていろいろな想いを綴ってきました。 その込めた想いとは“ア”と“ン”の間にあるト(戸)を取り除いて五十音の初めのアと最後のンのアンを手に入れること。 安全性がないこの世で安心できるアン、そして辛口より甘口のアンコのアンを自分のものにするため思いつくままいろいろなことを書いてきました。 “あとん”の間に塞がっていた戸(壁)を取り除くことは人間関係においても大切なことだと思います。 特に大切な人との戸はなくさないとネ! 風がス~ス~通り抜ける割拝殿の神社のように、本殿と拝殿が一体化した本とハイがエスマルの理想です。