【日大アメフト部違法薬物事件】元凶は“保体審(ホタイシン)” OBは「半世紀以上前から問題視されていた。解散しかない」

デイリー新潮9/7(木)7:00

【日大アメフト部違法薬物事件】元凶は“保体審(ホタイシン)” OBは「半世紀以上前から問題視されていた。解散しかない」

新たな容疑で日大アメフト部の寮に家宅捜索に入る警視庁の捜査員

治外法権の伏魔殿

 日本大学は9月1日、部員の違法薬物事件が起きたアメリカンフットボール部を同日から再度の無期限活動停止にしたとホームページで発表した。また、8月31日付で学生寮も閉鎖している。同事件をうけて日大は8月5日にアメフト部を無期限活動停止にしていたが、「個人の犯罪」と判断、10日に処分を解除していた。しかし、その後に学生寮が2度目の家宅捜索を受け、複数の部員が任意聴取されている。事件はどこまで広がりを見せるのだろうか。

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 そもそも作家で芸術学部出身の林真理子氏が日大の理事長に就任したのは、この種の問題を一掃するためだった。その林氏が8月8日の記者会見で、以下のような“本音”を吐露した。

「一番重い問題だったのはスポーツ分野でしたが、澤田康広副学長(競技スポーツ担当)に任せていました。そのため遠慮がありました。組織や監督、コーチも知らず、グラウンドに行く機会もなく、手が付けられませんでした。もっと積極的に行くべきでした」

 なんと最高権力者であるはずの理事長ですら「手が付けられなかった」と語る。まさに治外法権の伏魔殿を思わせるが、いったい日大のスポーツ部門とはどのような存在なのか。

 実は、その“黒歴史”は近年に始まったものではない。すでに半世紀以上も前から問題視されていた。

保体審(ホタイシン)とは何か

 日本大学は4年制学部だけでも16学部87学科を擁するマンモス大学である。通信教育部も含めると、現在、在籍学生は約7万3000人に及ぶ。

 サークルやクラブは学部ごとにあるが、大学本部直属の“オール日大”のクラブもあり、これこそが“スポーツ日大”としての看板である。しかし、キャンパスが全国各地に散在しているので、これらを統合する組織が必要となる。吹奏楽部や軽音楽部などの文化部を束ねるのが「学生部文化団体連合会(文団連)」で、30余の運動部を束ねるのが「日本大学競技スポーツ部」である。ところが、

「『競技スポーツ部』なんて呼んでいる教職員はいませんよ。いまでもほとんどの人が、陰で『保体審(ホタイシン)』と呼んでいます」

 と説明するのは、日大某学部のOB職員A氏である。

「もともとは『日本大学保健体育審議会』、略称『保体審』という名称の組織だったんですが、2018年5月に発生したフェニックス(日大アメフト部の愛称)の危険タックル問題を機に、同年秋に『日本大学競技スポーツ部』と改称しました。やはりフェニックスは保体審の顔でしたから。しかし、今回の違法薬物事件で、実態は何も変わっていないことが明らかになりました」

 フェニックスはリーグ(関東学生アメリカンフットボール連盟)優勝35回、甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会)優勝21回の名門。特に“オヤジ”の愛称で知られた故・篠竹幹夫氏の監督時代(1959〜2003年)に驚異的な活躍を見せ、監督通算401勝の大記録を持つ。その活躍ぶりは小説や映画でも描かれた。それだけに保体審の顔となってきたのも無理はない。

 しかし、実質的に保体審を強固な組織に“育て上げた”のは、日大相撲部出身の前理事長・田中英壽 氏だった。田中氏は学生横綱として名を馳せ、その後、相撲部のコーチから監督へと昇進。保健体育局 の庶務課長、事務局長を足掛かりに保体審をバックにつけ、校友会会長から理事へと登りつめていく。

「田中氏のうまいところは、のちに第10代の総長となる瀬在幸安 先生を相撲部の部長に迎えたことです。私たちは『なぜ瀬在先生が相撲部に?』と仰天しました。だって瀬在先生は、医学部長であると同時に、日本で初めて冠動脈バイパス手術を成功させた心臓外科手術の世界的権威です。そんな方がなぜ相撲部に? ところが、これが田中氏の作戦だったのです」(職員A氏)

 実はそれまで学内では、瀬在氏とその実兄で文理学部長だった故・瀬在良男氏が総長の座を争っていた。まさに骨肉の争いである。当初、田中氏は兄・良男氏のほうが有力とみてフェニックスの部長に迎え 、保体審をバックに、見事、第9代の総長に就任させた。

「ところが、良男氏の総長としての地位は盤石ではありませんでした。それに気づいた田中氏は、すぐに弟の幸安先生に乗り換え、今度は相撲部の監督に迎えました。これを機に、学内の“幸安派”と呼ばれる有力者が次々と保体審の周辺に集まった。あっという間に保体審は集票マシンとなり、幸安先生は第10代の総長に就任。田中氏は理事になったわずか3年後に常務理事に出世し、2008年には理事長に就任するのです」(職員A氏)

 それどころか、田中氏はそれまで総長がトップだった学内のヒエラルキーを逆転させる。総長を廃止して学長とし、理事長がトップ、その下が学長という“下剋上体制”を作り上げた。それらの背景にあったのが保体審だった。

 ちなみに、瀬在幸安氏を総長に担いだ田中氏だが、今度はその瀬在氏に切られることとなり、膨大な怪文書が飛び交う泥沼の総長選に突入する……のだが、あまりにきりがないのでここでは省略する。

不正入学の温床?

「保体審のもうひとつの問題点は、かつてここが不正入学の温床だったことです」

 と語るのは、1970年代に日大のスキャンダルを取材した古参のフリージャーナリストB氏である。

 驚くべきことにその実体を、現役教授が顔写真入りの実名で、週刊新潮で悪びれることなく堂々と解説していた。日大法学部長選挙で負けたC教授が、勝利したD教授を糾弾するという告発コメントの一部だ(記事中ではすべて実名)。

《D教授が法学部長になるまでは、正規補欠合格者の最下限の点数もとれなかった受験生の中から、教員、職員、校友会(同窓会)、体育会、国会議員の五つのルートを通して推薦状の出されているものをピックアップし、十人のおもだった教職員からなる入試委員会にかけて、原則として成績順に不正規補欠合格者を決めておったんです。五つのルートから推薦状の出されている受験生は全体で二千人ぐらいいたでしょうか》 (週刊新潮1977年4月14日号「『黄金の椅子』だから争われている日大法学部長の『座』》より)

「このように、“不正規補欠5ルート”のなかに、当時すでに体育会の推薦枠があったのです。いまでいうスポーツ推薦の原型ですが、同時に寄付金を強要されることで、自然と裏口入学に変容していきました」(ジャーナリストB氏)

 本来はこの委員会の合議で、推薦者の顔ぶれを見ながら、寄付金を納めて入学させる受験生を決めていた。ところが、そのD教授が学部長になってからは合議ではなく、学部長一任に変更されたのだという。C教授の告発コメントが続く。

《さあそうなると、どういう基準で不正規補欠合格者を決めているのか、さっぱりわからなくなりました。(中略)不正規補欠合格者が出す五十万、三十万の法学部に対する寄付金も、何点のものが五十万で、何点のものが三十万なのか知るよしもない。(中略)入学許可通知書と寄付申込書を同時に不正規補欠合格者に送っているが、その返信の上書きは、D学部長あて“親展”となっていましてねえ。つまり、ある父兄が五十万の申込みをしたとしても、“あれは三十万だった”といわれればそれっきりのわけですよ》 (同前)

 もちろん、糾弾されたD教授も、記事中で「話が全く逆ですよ」と怒って反論している。ところが、この告発について火に油を注ぐようなコメントも載っているのだ。日大校友会副会長E氏の証言である(これまた記事中では堂々の実名)。

《補欠入学(不正規)を頼まれる場合は多いですよ。何人かわからんぐらいだなあ。謝礼は応分のものであればいただいております。(中略)先生同士が補欠入学で金をとってる、とってないなんていいだしたら、キリがないでしょう。ドロ試合ですよ 》(同前)

 以上は1970年代の話である。こんな前近代的な行為は、さすがにその後は行われていないだろう……と思うのは早計のようだ。

「1997年、フェニックスのコーチがスポーツ推薦枠を使って息子を歯学部に入学させると偽り、都内の医院長から5000万円をだまし取ったと報道されました。この男が危険タックル問題で注目を浴びた井ノ口忠男氏です。日大の理事でもありましたが、危険行為を隠蔽しようと画策していたことを暴露され、辞任しました。そんな人物でも理事になれる。保体審あればこそとしか言いようがありません」(ジャーナリストB氏)

忘れられない「マッチ」と「合宿の風呂」

 ところで、そんな保体審の管理下にある運動部とは、どんな内情なのか。1970年代後半に日大のある運動部に所属していたF氏に回想してもらった。

「練習のきつさとかコーチの暴力やパワハラをいまさらボヤクつもりはありません。オール日大のクラブに入った以上、そんなことは日常茶飯事でしたから。ただ、いまでも忘れられないのはマッチと合宿の風呂です」

 そう言って、F氏は持参したマッチを手に説明してくれた。

「当時は運動部にも喫煙者がけっこういました。しかし、コーチや幹部(4年生)がタバコを吸う際、本人に火をつけさせてはダメなんです。彼らがタバコを手にしたら、1年生がすぐに飛んでいって火をつける。それもマッチでなければいけない。すでに100円ライターもありましたが、なぜか使用禁止。さらに、そのマッチの点火方法も細かく決められていて、軸を手前に引いて点火する、火種を本人に向けてはいけない。消火する際は吹き消してはいけない、軸の尻を叩いて自然消火させる……」

 まさに銀座のホステスも顔負けである。

「いつもコーチや幹部のそばをウロウロしていて、タバコを吸う瞬間を見逃さないようにするのが大変でした。宴会の席でも何げなく後方に控えていなければならない。うっかり自分で火をつけられたりすると、あとでほかの幹部からビンタを食らいますから」(F氏)

 そして“合宿の風呂”だが……。

「合宿に行くと、1年生は夕方の入浴時間は常に浴場内で待機していなければならないんです。コーチや幹部が入ってきたら、背中を流してあげるためです。ところが、彼らがいっぺんに来てくれないので、長時間、蒸し暑い浴室にいなければならない。練習で疲れ切っているだけに、もうフラフラでした」(F氏)

 しかも、浴室では背中を流すだけではすまないこともあった。

「なにしろ精力があり余っている連中だけに、裸で背中を流しているとアチラが変化し始める人がいるんです。その場合、背中から手を回して、“処理”してあげることもありました」(F氏)

 かつて日大ラグビー部の部員が“愛好者用”のビデオにアルバイトで出演していることが発覚し、コーチや監督が辞任する騒ぎがあった。また、例の危険タックルを直接指示していたとして辞任したアメフト部のコーチが、現役時代、やはり同種のビデオに出演していたことも話題になった。

「そんな幹部たちですが、よく本部の保体審事務局に呼び出され、『こんな成績じゃダメだ』と怒鳴りつけられていました。いま思えば彼らもつらかったと思います。それでも卒業までまっとうした保体審出身者は、その種の“試練”をともに乗り越えてきた連中なので、不思議な連帯感が生まれるんです。そんな学生時代の感覚のまま、日大の職員や運動部のコーチや監督になった連中が集まった組織、それが保体審です」

 これでは危険タックルやパワハラ、果ては現実逃避の違法薬物などに走るのも当然かもしれない。

体質は変わらない

 かねてより一部の日大関係者の間で話題となっている書籍がある。中塚貴志・著『日大 悪の群像』(創林社、1984年)だ。書名からして凄まじいが、父兄会の会長として日大改革を叫び、経営陣と15年間にわたって戦い続けてきた著者による記録である。人物名はすべて実名で、総長選の内幕から裏口入学の実態まで、具体的なデータをあげながら克明に記されている。日大の腐敗ぶりを告発する本は数多く出てきたが、そのなかでも“名作”との評価があるそうだ。

「私が著者の中塚貴志さんと初めて会ったのは、1980年代半ばだったと思います」

 と語るのは、先の古参ジャーナリストB氏である。

「知り合いだった環境問題評論家の船瀬俊介氏が新宿区長選に出馬するというので、その決起集会に行ったら、主賓が中塚さんだったのです」

 船瀬氏といえば、『買ってはいけない化粧品』や『ほんものの日本酒を!』などの著書で知られる反体制派の評論家である。

「そんな人物の出馬応援に、白髭に杖をついたハカマ姿で、どう見ても右翼の国士みたいな老人が来ているので、妙だなと思いました。すると中塚さんは、こう挨拶したんです。『私はこの船瀬君とは思想も哲学も異にする者である! だが彼は、ひとつの方向性をひたすら追って一向にぶれない! 私も長年、日大改革にまい進してきた身として、彼の姿勢には強く共感を覚えている!』と。言うまでもなく船瀬氏は泡沫候補で落選するのですが、そんな人物の応援に駆けつけるとは面白い老人だと思い、後日、話を聞きに行きました」(B氏)

 そこでB氏は、ある“告発状”の写しを見せられた。

「それは1978年に中塚さんたち父兄会幹部が連名で出した、当時の日大総長兼理事長の鈴木勝氏に宛てた“退陣勧告状”でした。読み始めたら、放火だの焼身自殺だのリンチ殺人だの、日大内での驚くべき不祥事が事細かに書かれている。そのほか理事たちへの不可解な報酬についても暴かれていました。これが本当に最高学府での話なのか。中でも驚いたのは保体審の事務部門関連の記述です」(B氏)

 その“退陣勧告状”の全文が『日大 悪の群像』に転載されている。B氏が言う保体審関連の部分はこうだ。

《日本大学本部に「保健体育事務局」という機関がある。言うまでもなく保健体育は大学の教科の中では必須科目であり、「保健体育事務局」は日大十三学部の保健体育指導の総元締である。この責任者で現事務局のNという人物(註:本文は実名)は自からの小指を第二関節から切断していると言われている。自ら小指を切り落とすことを俗に“エンコ詰”といい、暴力団かテキ屋の社会のみでまま行われる風習である。このような人物が大学本部の幹部職員で、貴殿の側近中の側近といわれていることは、いかに高邁な教育理念を口にし、教学優位を説いてみても泥棒の説教とおなじで滑稽としかいいようがない。/頻発する多くの暴力事件は、それを肯定する日大の体質によるものである。》(本文ママ)

 前出のOB職員A氏はこう述べる。

「この本は私も以前に読みました。この退陣勧告状の末尾にあるように、日大にはこういう体質が大昔からあるんです。体質とは血液型みたいなものですから、外面だけすげ替えてもそう簡単には変わりません。誰が理事長になろうと、どれだけ女性理事を増やそうと、体質を変えないかぎり同じ問題が続くことは今回の違法薬物事件で明らかです。結局、旧保体審的な連中がいまでも仕切っているから、今回もフェニックスがすぐに連盟に復帰したいと厚顔無恥な主張をしたり、警視庁の要請を無視するかのような振る舞いをするんです。こんな連中にコーチや監督の資格はありませんよ」

 ではどうすれば変わるのか。

「やはり保体審(現・競技スポーツ部)を完全解散し、フェニックスも廃部にする。活動停止なんて生易しい処分では意味がありません。悪い血が全部抜けきったところで、前任者を入れずにまったく新しい人たちによってゼロから作り直していく、それしかないと思います」

 そんなことができるとは、とても思えませんが――A氏は最後にそう呟いた。

デイリー新潮編集部

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