文字の誕生と変遷
漢字は中国で生まれ、殷時代後期(紀元前15~12世紀頃)亀の甲羅や獣の骨によく切れる小型のようなものを用いて直線状の線で刻み込んだ文字がある。硬骨文である。
周の時代(紀元前12~3世紀頃)には祭器として青銅器が作られ、銘文の鋳込まれたものが鐘鼎文、または金文である。
篆書について
周時代の文字を大篆(だいてん)といい、秦時代の文字を小篆(しょうてん)という。甲骨文、金文、大篆、小篆と次の漢時代の印に刻まれた繆篆(びょうてん)をまとめて篆書と呼ぶことが多い。
篆書は直線とで構成されている荘重な書体で彫るのには適しているが、筆で書くには不便であったので、秦時代(紀元前221~206年)の始皇帝は天下を統一し、広い国土を持つ国のどこの県へ行っても通行するよう文字の統一を図った。正式の文書には小篆が使われ、行政等の実務には、字形、点画を整理した隷書が使われるようになった。
行書と草書の誕生
漢時代(紀元前202~220年)は中国の文化が大いに発展した時代である。簡素で実用的な初期の古隷が、紙の発展や筆、墨の改良により、前漢末(紀元前後)には波磔(はらい、はね)の美しさを強調した八分が完成し、隷書体が正式の書体として通用した。
後漢(25~220年)には、端正で優美な隷書の石碑が多数残された。一方、実務的に速書する中で、隷書のリズムを残す行書・草書が書かれ、章草は隷書の波勢が簡略化されて草書へと変化していった。
行書は種類が豊富
8月のコラムで「楷書は最後に成立した書体」の中で、楷書、行書、草書の三体が「書」という文字で掲載されました。
楷書と草書は両極に位置する書体ですので、楷書は一体、草書もこれ以上は略せないという意味では一体になりますが、その間の形、楷書に近いものから草書に近いものまで、すべて行書の範囲に属します。
点画の省略や連続の仕方によって形が異なり、場合によっては筆順も変化します。同じ文字でありながら、行書は書体の性質上から字体の種類が豊富な文字なのです。
「松静鶴留声」
續木湖山先生の五体一作をご紹介します。篆書、隷書、楷書、行書、草書で書かれた作品です。