山姥切長義が一文字の刀が寝起きをしている部屋の区画まで足を伸ばしたのは共に厨当番になっている南泉を探しての事だった。そしてその部屋に面した縁側で、盛大にぐるぐると喉を鳴らして、もうどうにでもしてくれとばかりにぐんにゃりと体の力を抜いて恍惚としている腐れ縁の姿を見つけて首を傾げた。
「……何をしているんだい、猫殺しく……」
内番着に身を包んだ南泉が、掛けられた声に反応して長義を見上げ、それから視線だけで部屋の中を示した。その間も喉は鳴りっぱなし。またたびでも被ったのだろうかと疑問に思いつつ長義は障子の開け放たれた室内を覗き込んだ。
畳に敷かれた緋毛氈。丁度此方を向く形で一文字のご隠居がひとふりの刀の手入れを行っている。脇差しにも見える短めの、反りの浅いすがた。縁側から入る陽の光に大丁子に互の目が交じる刃文が煌めいて見えた。
長義が馴染みのそれを見間違える筈もなく、驚愕に目が見開かれた。
──あれは南泉一文字の本体だ。
刀剣男士の本体は刀である。存在(いのち)と同義であるそれは本来、本刃と主以外に触れられる事はまずない。余程の事が無い限り他刃のいのちに軽々しく触れるべきでは無い。それが、当然で当たり前の認識だ。
なのにどう見ても南泉は触れられる以上の行為を上機嫌で受け入れている。
「……おや、山姥切の坊主か。どうした?」
南泉の本体から視線を上げた則宗が長義の姿を認めて微かに首を傾げた。しかし、それは一瞬のことでその視線は再び南泉の本体へと戻される。既に古い丁子油は拭われていたのか、打ち粉がぽんぽんと優しく叩かれ、拭い紙が労わるように刀身を清めていく。何度か紙を変えて打ち粉が拭われ、新たに塗られた丁子油が刀身を美しく煌めかせた。
仕上げとばかりに手についた丁子油を茎に塗り込める則宗の指の動きに合わせるように、長義の背後で南泉の喉がごろごろぐるぐると盛大に鳴った。
「そら、終いだぞ。坊主」
「……にゃ」
ずりずりと這いずり緋毛氈を挟んで則宗の向かいに正座した南泉の目前で、本体が柄に差し込まれ目釘で固定されて白鞘に収められる。徐に差し出されたそれを南泉が両手で捧げ持つかのように受け取った。
「ありがとうございます、にゃ」
「ん」
良い子だったとばかりにわしゃわしゃと無造作に頭を撫でられて南泉の喉が再び鳴り始める。そのまま猫の子でも撫でるかのように手を動かしながら、則宗は相変わらずこちらを覗き込んだままに硬直した長義を見上げてにやりと笑った。
「一文字の子らは僕が育てたようものだからなぁ、喜びこそすれ嫌がりはせんよ。……まぁ、中には恥ずかしがる奴もいるが、な」
うはは、といつもの調子で笑う則宗の視線が流れた先を見て長義は「嘘だろう」と思わず声を上げた。手入れ待ちとばかりに白鞘に入った長さの違う三振りの太刀はどう見ても残りの一文字の面々の本体だ。南泉を撫でるのをやめた則宗の指先が、その三振りを愛おしげに撫でていく。
刀の常識が通用しないぞ一文字!と今にも叫び出したくなる気持ちをぐっと堪えた長義は、次のひとふりに取り掛かろうとする則宗に目礼し、未だぐるぐると喉を鳴らす南泉を引きずって一文字の住まう区画から辞したのだった。
長義にとっての祖であると言える燭台切。彼に本体を手入れされる事を受け入れられるか、など考えるまでもなく答えは否である。勿論祖として慕わしい気持ちはある。しかしそれとコレとは別問題だ。
一文字の距離感おかしい。
長義が毎日細かくつけている日記にはその日ひと言、それだけが記された。