2023.09.02

インドネシア人を破傷風のワクチンの実験台に…ほとんどの日本人が知らない「日本の暗い過去」

週刊現代 プロフィール

七三一部隊・石井四郎の思惑

七三一部隊にとって、破傷風ワクチンの開発は悲願であり、至上命令だった。それは部隊を指揮した軍医将校・石井四郎の思想にも表れている。

「ワクチンを全兵士に接種すると費用がかかるため、当時の日本軍では感染症にかかったら血清で治療するのが一般的でした。しかし石井は事前にワクチンを打って兵士を疾病から守る『積極免疫』を主張し、ワクチン開発に邁進したのです。

また石井には、『移動防疫給水部』という構想がありました。七三一部隊の医師たちが進軍する日本軍に随伴して水とワクチンを供給し、占領した先に防疫給水部を設置するというもので、南京や広東などにも支所が作られています。そのため本体とも言える七三一部隊と各地の防疫給水部には、人材の面で密接なつながりがありました」(前出の松村氏)

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その一つとして'42年に占領下のシンガポールに設置されたのが、前出の南方軍防疫給水部だ。インドネシア占領後はバンドンにもその支所が置かれ、アジア随一の病理学研究所だったパスツール研究所は日本軍に接収されて、前述した陸軍防疫研究所へと改称される。トップとなったのは、七三一部隊と関係の深い医師・倉内喜久雄だった。

「慶應医学部を卒業した倉内は1925年に創設直後の満鉄衛生研究所に入り、破傷風、次いでペストワクチンの研究に取り組みます。ここが'38年に七三一部隊に吸収され、倉内もその一員となった。その後もワクチン研究を続け、'42年には陸軍防疫研究所の所長に転身し、ついに破傷風ワクチンの製造を始めました」(前出の松村氏)

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