苦しみのたうちまわる人々
'44年8月6日、ジャカルタのクレンデル収容所に駆け付けたインドネシア人医師たちが目にしたのは、想像を絶する光景だった。
「あちこちでペカロンガン出身のロームシャ三一人が瀕死の状態にあった。彼らは金縛りにあったように体を硬直させ、口は開かず、体をねじまげ、のたうちまわり、激しい痛みに苦しんでいた」(前掲書より)
身悶えていたのは、「ロームシャ」と呼ばれる現地の人々。日本語で肉体労働者を差別的に指す「労務者」に由来する呼び名だ。日本軍によって徴発され、映画『戦場にかける橋』で有名な泰緬鉄道の建設など、東南アジア各地で過酷な労働に従事させられた。
「最初は日本軍も『いい仕事がある』などと甘い言葉で誘うのですが、労働環境が悲惨すぎて人が集まらなくなります。そのうちトラックで乗りつけて、道を歩いている若者や農作業中の人をいきなり連れて行くということすらするようになりました。本人の意思を無視した点では、朝鮮での強制連行と実質的に同じでしょう。そのうえ機密保持のため、最後は無残に殺されることもあったと聞いていますし、生き残っても衛生状態が悪すぎて感染症が蔓延するなどして、死亡率は非常に高かった」(前出の倉沢氏)
医師たちは劣悪な環境のクレンデル収容所で苦しむロームシャを懸命に治療するものの、大半は亡くなってしまう。検査の結果、彼らの死因は破傷風だった。日本軍の報告書によると、この時クレンデル収容所では119人のロームシャが破傷風を発病、98人が死亡している。同時期に他の収容所でも破傷風が発生しており、インドネシア全体で478人が発症、死者は368人に上った。