アオテオラからの手紙

1 曲がり角の理由

日本のことなど、どうでもいいのか、というと、そんなことはなくて、日本語を好きだから、という単純な理由で、やっぱり、相変わらず関心があるようです。

しかし、まあ、いまの日本社会と言葉を介して付き合ってはヤバいよね、というくらいの分別はあって、例えば「汚染水止めない?」というようなことを述べたとして、

「あれは汚染水ではなくて処理水です」

「処理水って、言っても、全部の核種を40年か50年かチェックしつづけるわけじゃないでしょう?」

「いえ、ちゃんと、やってます。第一、中国のほうが、ずっと汚染が酷い水を垂れ流しているんだから、あちらに先に文句を言うのが筋でしょう?」

とやっているうちに、例えばフクシマ事故の直後に、福島の食べ物は危ないんじゃないか?と、ひとこと書いたら、跳び上がるような反応で、「あなたは福島の人たちに申し訳ないとおもわないんですか?なんという冷酷な人間だ」という反応が殺到して、

「他人を傷つけるのも好い加減にしろ」と作家なる人が怒鳴り込んできたりして、

最初期の「建物(←建屋のこと)が密閉だと、水蒸気爆発で吹き飛ぶ可能性ないの?」と訊くと、大挙して、と言いたくなる数で、おまえは日本の世界一の原子力発電所建造技術を知らないのか!

と、失礼どころではない、おもわず「夜郎自大」ちゅう古語を思い出させる態度で、

一向に話はすすまない上に、必要な語彙も、たとえば被曝を被爆と書くと無知だと散々せせら笑われて、フクシマと、どっちでもよかろうとおもってカタカナで書くと、カタカナで書いているというだけで、どんな人間か判る、という。

めんどくさいので英語で書くと、今度は、なんだかひねこびた中学生みたいな英語で書いてきて、返事をすると、

「この人の英語はおかしい。絶対、日本人だ。わたしがいま英語で確かめてきた」

と書いたのは、たしか数理研究所?の助教授だと、なんという忌々しいバカだ、とあとで日本のアカデミアの人がDMで教えてくれた。

日本という国は、なにしろいちばん長持ちしている思想が、実は攘夷思想で、生麦生米生卵で、日本にいたときは、あのインターチェンジを通るたびに、そのことを考えたりしたが、

それはまあ、一時の不愉快で、しかも後になれば嘘をついて攻撃にかかった本人が知らぬばかりで、当時でいえばtwitterの外で、実名で、人間のくだらなさが共有されて、時間がたてば何が起きたか判って、おまけにマヌケにも自分が得意になって「魚拓」っていうんだっけ?

取っているので、いつまでもいつまでも、自分の害意とくだらない人間であった証拠が語り伝えられることになるようです。

だからね。

それは、まあ、よくはないけど、いいんだけど、語彙も使えない、バカと書くと通報する、

畸形的論理と書くと畸形の人に申し訳ないとおもわないのか、と無限に愚かな会話?を続けているうちに、なんのことはない、こっちも一種のバカになって、

するとどうなるかというと、20年もしてやってきた後生のひとびとが、

このガメ・オベールという人は、こんな議論をするなんて、なんと愚かな人だろう、とバカの記念碑を建てるようなことになってしまう。

だからいまの日本に話しかけるのは無理です。

過去の、自分の記憶のなかの日本に話しかけているときが、最も気分が良いもののようでした。

「箱根の雪」

https://james1983.com/2023/06/17/hakone/

汚染水放出だけは、同時代証言としてSNSにも書いておきたかった、というか、書かないと、あとで自分が嫌いになるので、延々一週間に渉って書いたが、お役目ご苦労でごわした、

もうこのヘンでよかろう、ということにして、残りは、ちゃんと常識が通用するヨット人やボート人、ポリネシア人たちのフォーラムで、しかも楽ちんにも英語で、話せばだいたいのことは、水面下で進行していても判ることになっている。

いよいよになるまで公開できるわけがないデータを、

データはどこにあるんだよ、データデータ、きゃあデターになるまで出してみろと悪口を並べ立てて、なんで、あんたみたいな与太者じみたカスが、そんなデータを見せてもらえるとおもうんだ、と言いたくなるが、言うと、またたいへんで、奇声をあげて跳びはねるようにして、しつこくしつこく絡むので、やっぱり日本の人は、どんなにまともそうな人でも、こういうときは、入れないほうがいいのは、捕鯨や、戦争責任のときで、もう、よおく判っている。

考えてみれば、これは「戦後民主主義」の断末魔にいあわせているわけで、自分たち日本人の仲間のあいだで、主に教育をコントロールフリークの政府が弄り回して、故意に歴史事実について無知なバケモノ世代をつくりだしてしまったせいで、70年代に中学生くらいだった、このひとたちの後は、延々と、政府を無批判に賛美するだけで、あとは何を言われても判らない、内なる蛮族のような集団をつくってしまって、案の定、社会の過半が、このひとたちになると、表現する語彙が見あたらないような、たいへんな社会が出来上がってしまった。

無責任に言えば、世界を見渡しても、歴史上も、こんな面白い社会はないので、書き出すと止まらなくなってしまうが、いやいやいや、この辺で好い加減にやめないと、話題のせいで、書く文章全体が腐ってしまうというのは、よくあることで、この日本語ブログ全体が爛れてしまうので、

もうこの辺で、前後の事情を説明するのもやめたほうが、よさそうです。

2 日本という国の楽しさ

日本にいるあいだ、なんのことはない、じーちゃんの暮らしを実践するのが、最も楽しかった。

前にも書いたが、日本での生活を思い出して、最もコーフンするのは、

雪の日に、雪が見える大窓がある蕎麦屋で、(そしてその大窓には障子戸があるのでなければならないが)、蕎麦掻きと卵焼きで、少し辛めの、あるいは水に似た味の日本酒で、熱燗でも、ぬる燗でもなくて、そのちょうどあいだあたりの温度に燗をしてもらって、盆をもってきた女の人に、「あなたも、まあ、変わった、ヘンなガイジンさんだねえ」と笑われながら、返事もせで、なんだか曖昧な笑いを浮かべて、低い鈍色の空から、「霏霏として」舞い落ちる雪を観ている。

一面の雪で、なるほどこれなら、

「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」

大好きな詩人の三好達治が述べたように、しんしんと降る雪の下で、

なにもかもが静かになっていったはずで、

日本の歴史などというものは、いまのネットの軽躁な、言ってしまえばワルガキばかりが収容された幼稚園児収容所のような喧騒は、日本語自体からも浮き出してしまうわけで、

そんな人間を、少しでも相手にしようとした自分の愚かさは、ほんとうに、これ以上少しでも続ければ、未来の自分は許してくれないだろうことが判ります。

蕎麦は貧しい地方のもので、軽井沢の地元のオカネモチと話していると、

「蕎麦なんか、嫌い」という人が多い。

追分の田舎蕎麦の天盛りは好きだが、あの花の臭いが、だいいちビンボ臭いのよ、と、

モニと結婚する前に、うちの娘をもらってくれと、酔うと、ほぼ脅迫的な態度で迫ったりしていた年長の女の友達が、よく述べていた。

たいへんな酒豪で、佐久の地酒「寒竹」を一升も飲むと、それでも酔って、

「ガメ!あんたガイジンでしょう!もっとシャキッとしなさい!」と大声(たいせい)を発して、いってえなあああ、な強烈な一撃をわし背中に食らわせたりしていた。

そのころが、思えば、日本滞在の第一期黄金時代で、その幸福な記憶にはなぜか、いつも蕎麦がついてまわっている。

あるいは日本橋の、贔屓の蕎麦屋で、内緒で大盛にしてもらった「もり」を箸でヒロヒロと拾いながら、あの店の、ちょっと甘すぎる酒を飲んでいる。

アルコール入りの飲み物には、その国の文化が凝っていて、飲むペースは、酒など飲まないムスリムの社会でもなければ、文化の正体みたいなものだが、日本酒は上手に呑むのが無暗に難しい酒で、日本贔屓の外国人は、相当に酒が強い人間でも、いちどはペース疾く呑みすぎて嘔吐したことがあるようです。

トリッキーで、それなのに癖になって、まるで日本の文化そのもののような酒である。

このごろは、日本も日本酒もブームで、2010年頃からニョキニョキと「酒バー」がマンハッタンなどにあらわれて、「居酒屋ブーム」と一緒に、世界の文化に、予想もできなかった、間合いの時間を付け加えるようになって、いまに至っているが、わしが蕎麦屋で、雪を観ながら杯を傾ける楽しみをおぼえたのは、おおきな声では言えないが、まだ十代で、

五年十一回の遠征とは別に、シンガポールにするか東京にするか迷って、よし今年は東京経由にしようと考えると、寄って、数日、雪見酒に浸っては悦に入っていた。

金沢が好きなのは、そういう理由に拠っている。

日本という国の良さは、わしにとっては、場所を注意して選べば、ひとりで、話しかけられもせず、放っておいてもらえるところで、おなじアジアでもシンガポールは、そういうところは随分違っていて、なんだか隙さえあれば英語で話しかけてくるが、日本では、そんなことは起こりません。

ガイジンはケバくて目立つ透明人間みたいな扱いで、ちょっと目を離すと、誰かが見つめている感じがするが、見渡すと、慌てて目を逸らしたりする。

こちらは、そうあって欲しいから東京に来ているので、急に流暢な英語で話しかけられたりすると、興醒めなことはないが、「東京の時間」が、やや損なわれた感じがする。

風景から切り取られた人物画のよう、というか、そういう存在でいられるところが、いいところで、あとは、話をして遊びたければ、たとえば数寄屋橋に行けば、お馴染みの割烹があって、

高級割烹のはずなのに、意外や、ざっかけないおばちゃんが、

あら、ガメちゃん、日本に来ているの?

今日は、いい穴子が入ってるのよ。

ひさしぶりに一本穴子、どう?

と、あの文化の長い歴史がつくる完璧な客との距離感で話しかけてくる。

カウンタのなかでは、常連客しかいないことをいいことに、大将が、というよりは、おっちゃんが、うまそうに煙草をくゆらせながら、ガメちゃん、最近は世界の景気はどうだい?

なにかいい株ないの?

と、述べている。

まるで社会全体が家族のようで、日本は、なんて不思議な国だろう、と性懲りもなく、また考えている。

二合徳利で、五本も飲んで、良い気持ちになって、ふらふらと歩いて、そこから会員制のクラブへ行ってしまえばダメな一日だが、そうでなければ、五分も歩けば着く天ぷら屋へ行って、パッと花が開くように嬉しそうな顔で、こっちが泣きたくなる、おばちゃんが、

まあ、ガメちゃん、いつ日本に来たの?

ああ、嬉しい。

今日はもう店、閉めちゃおうかしら、と乱暴なことを言う。

この店は、子供のときに紛れ込んでから、ずっと誰にも教えない秘密の場所で、いわば銀座の「わがツリーハウス」で、なんだか悄気た気持ちになったり、日本が嫌いになりかけると、

よくやってきたものだった。

山の上ホテルの天ぷらや、天一本店の天丼もよいが、この店の天ぷらは、人間技を超えていて、もともとわし両親にこの店を教えてくれた歌舞伎役者の人も、なんだか申し訳なさそうな様子で、

「あんまり、その、ガイジンのお仲間に教えないでくださいね」と述べていた。

いちど、なぜ日本では牡蠣の天ぷらがないのか、と訊ねたら、ガメちゃんね、天ぷらってのは、

見た目が肝腎なんだよ。ほら、英語で、なんていうんだっけ?

「パフォーマンス?」

ああ、そうそう、そのパフォなんとかでさ、牡蠣は油が撥ねちまうもの、店じゃ揚げられないよね、と教えてくれた。

次のときに電話をいれてから出かけたら、なぜか珍しく他に客はいなくて、

「うふふ。ガメちゃん、待ってたよ。いま、面白いものを揚げてあげる」と述べて、こちらは

「あっ!」とおもったが、そのとおりで、おおぶりの的矢の牡蠣を取りだして、

目の前で揚げてみせてくれた。

油が撥ねるって、言ってたじゃない、で、

まったく撥ねません。

味などは、「天にものぼる」味そのままで、日本食ブームだのなんだの、そんなものは歯牙にもかけない品と味で、あとにもさきにも、あんなにおいしい天ぷらは食べたことがない。

お勘定のときに、牡蠣の天ぷらが入っていないような気がして、訊いたら、

「牡蠣の天ぷらなんかで、お代をとるわけにはいかねえよ」

と巫山戯て、江戸言葉で述べて、そのときの悪戯っぽい、やさしい、暖かな目が、もうとっくのむかしに亡くなった、いまでも、どうしても忘れられない。

その日は、そのあと、泰明小学校の前のd’AUX BACCHANALESに行くつもりだったが、極上のものを食べたあとに、スポイルしてしまうものを食べたくない心理が働いて、止めにしてしまったのをおぼえている。

日本語ではオーバカ、オオバカ、と失礼な呼び方ばかりしていたが、AUX BACCHANALES、いい店なんだけどね、この日ばかりは、行く気がしませんでした。

3 日本、恋しや

「むかしから、知ってますよ」と言われそうだが、わしはヘンな人なので、

ときどき、日本のことを考えていると、涙が出て来てしまうことがある。

わしにとっては、なんだかアスペルガー族な、世界とそりがあわない、いつも思い詰めた友だちのような国なんです。

もともと、なんのゆかりもない国を、思い出して泣いていれば、真正のバカだが、

しかし、それが現実なのだから、写実主義の筆記者たるもの、やむをえない。

むかしジャガタラお春という女の人がいて、オランダ人の夫とジャカルタに住んで、

「あら日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」と日本を恋しがってホームシックで悶絶して死んだことになっているが、これは話全体が西川如見という江戸時代の「はてな知識人」が、でっちあげた、とんでもないオオウソで、日本にいたときの混血の女の人としての艱難辛苦の人生とは打って変わった、富裕な、幸福な人生で、周りの人間がうらやむほどだった。

文化との相性は、案外と本人の人間性の傾向とのケミストリで決まるもののようで、日本には世間から尊敬されるバカな人がいっぱいいる(すまん)が、もちろん英語世界にも堂々たるバカがいっぱいいて、どっちのバカを選択するか、ということになれば英語バカのほうがまだマシとおもうが、

日本にはね、

下を向いて、声もあげず、口元を引き締めて、懸命に生きている知的な人間がたくさんいるんです。

わしは、そのことを日本の人は、もっと誇りにおもったほうが良いとおもう。

内省的な人間は常に外向的で闊達な人間よりも人間の真の価値に近付いている。

そういうことになると、言うと、日本の人は照れるが、

日本人などは世界の希望なのだと言ってもいい。

そのままでいてくれ。そのままでいると、日本という国はなくなっちゃうけどね、という矛盾したことを考える。

そこを、どんなふうに折り合いをつけていくか、

それを、きみと一緒に考えていきたいと、おもっているの。

 

(画像は9月4日の「スーパーブルームーン」なんだす)



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2 replies

  1. いつも読むと思うのだけれど
    「思い出の中にある日本」はなんて美しくて優しい思い出に溢れているのだろうと

    今もそうであったらいいのになあと
    強烈な思い出を残したその暖かくて優しい日本であればいいのになあと
    思う。
    ところどころ、時々はまだ残ってる。
    もう残ってない、と言い切れる訳じゃない。

    でもこのままでいると本当になくなっちゃうね。
    きみが美徳だと言うその良さと矛盾した、汚さが引き金になるかもしれないなんて考えて、うんざりしてやっぱりはよ出て行きたくなり、(俺はやるからな)
    しかしなんてよい人のいる国にいるのかしらね、とも、
    いつも思うのです。

    • ま、世界のほうもたいへんな時期で、タイミングとしてはよろしくないが、そんなこと言ってたら、いつまで経っても移住できないもんね

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