渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

125

2023年09月06日 | open



今、日本だけでなく、アジア
やヨーロッパで125モーター
サイクルが熱い。
じわじわと盛り上がりを見せて

いる。

これ、日本の区分では原動機付
自転車である(笑



ヨーロッパのように出力馬力で
区分けするのではなく、動力
性能関係なく排気量で一律に
種別分けしたという日本の前
時代的な頭の固い行政が時代の
進化とどんどん乖離し、現代
社会では不合理
を生んでいる。
原付1種の30km/h速度規制など
はその典型で、一般車両と速度
差がありすぎて危険極まりない。
今は消滅したが、49ccで100km/h
程出せる原付機種がごく普通に
存在していた時代は実に危険だ
った。規制速度以内では四輪車
と同じ動力性能を持つ原付自転
車が普通だったからだ。
そして、国は原付車両の性能を
落とす事を指導し、メーカー
自主規制と国の排ガス規制に
より高性能原付二輪は消滅した。
産業技術進化を退化させる規制
により交通社会問題を解決し
ようとした「お上目線」の措置
であり、愚策の極みだ。
そういう事をしていると日本の
二輪産業は世界的にやがて数十
年後の近い未来には必ず凋落
すると予想されたが、実際に
それは現実となった。

単なる排気量区分けだけして
いたら、現実的な交通事情と
全くマッチしない問題がまた
必ず起きる。
普通四輪125原付免許オマケ
制度などはそうなる。
それでなくとも、大型二輪免許
教習や試験では750cc機種なの
に馬力が37馬力という超低出力
車両で免許を取らせている。
37PSなどは、少し前の250ccの
二輪車よりも遥かに馬力が少な
い。
それで取得した免許でいきなり
150馬力の車両も乗れてしまう。
結果、おぼつかない運転のまま
で事故が多発し始めた。
しかし、国は免許取得後1年以内
の罰則を従来ないほどに強化す
る事で事故を防ごうなどと愚策
をまたごく最近展開し始めた。
大型二輪免許取得後1年以内は
3点の違反で実技講習を卒業し
た教習所で受けるか、警察で
の一発試験を受けさせる。後者
はまずほぼ不合格にさせるので
手続きはすべての免許取り消し
処分となる。
交通違反さえしなければ事故
軽減につながるとする短絡性。
免許取得はどんどん簡単にし、
規制は超絶規制にする飴と鞭。
問題の本質は違うのだ。
車両を運転する確かな技量が
不存在だから事故を起こす。
大排気量免許を持ってさえいれ
ば、高技術保持者であるかと
勘違いさせる制度そのものが
問題なのだ。
そして、愚かな国民はその制度
に乗っかり、腕が無いのに超
高出力車両に乗って公道を走る。
判断力そのものが最初から欠落
しているが、技量もそれなりで
あるので事故が発生する。
四輪のブレーキとアクセルの
踏み間違えなどもそれの典型
だ。
二輪ではド下手揃いになった
ために、パニックブレーキで
前輪をロックさせて転倒する
ケースが続出した。
そのため、二輪にもABSだなど
という常識外れの危険なシス
テムが導入義務化された。
制動力を連続的に解除して
ロックを防ぐという危険な
制動機構だ。急制動の際に
制動がカクカクカクと解除
されるのでロックはしないが、
制動距離が伸びて非常に危険。

125あたりを徹底的に乗りこなし
てから馬力の高い二輪に乗った
ほうが二輪車は確実に安全だ。
実際のところは、技量が及ばな
いのに、虚栄心や優越感という
自己満悦を満たす行為で大型二輪
が乗られているのがほぼ日本の
現実だろう。
それは「高級車のハーレーに乗る
事がステイタス」として、アメ
リカの政治的圧力によって日本
国家が免許制度を1996年に改変
したあたりから開始された。
簡単に取得できる免許なのに、
誰でも大型車両に乗る事ができ
るようになったために大排気量
免許を持つ者はあたかもエリート
であるかのような勘違いを始めた。
それまでの免許での限定解除が
あまりに厳しすぎたのでその反動
だろう。
いきなりボーダーフリー大学に
入学できた事が超難関大学合格
と同列であるとの勘違いが96年
から始まった。
かつて全く存在しなかった排気量
マウント取りの勘違い者も大量に
発生した。ほぼ全員が新設簡単
免許で大型に乗った者たちが
それをやっていたし、今もそうだ。
技量の優劣とは別次元の要素で
人がギスギスする世の中になった。
事故無く安全に、しかも確実着実
な機敏な俊敏運転をする人たちへ
の敬意は消滅し、ただ大型免許を
持っていさえするだけで優越感に
浸るトンチキだらけになった。
そして、それらの層は乗りこなせ
ないから事故を起こす。
だが、国も国民も本当の事故原因
には目を向けようとしない。
当然、事故は無くならないどころ
か、減少さえもしない。

ピンクナンバーから始める。
これは一つの交通社会問題の解決
手段の光となると思われる。

 


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