牧野富太郎さんの実家の酒屋「岸屋」はらんまんで「峰屋」として登場していますよね。
らんまん「峰屋」のモデルになっている「岸屋」は牧野富太郎さんに手放された後どうなったのでしょうか?
ここでは牧野富太郎の実家の酒屋岸屋はどうなった?らんまん峰屋モデルのその後は?について調査してみました!
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牧野富太郎の実家(らんまん峰屋モデル)は酒屋の岸屋!
高知県高岡郡佐川町(「さかわ」と読みます)。
高知空港から車で約50分のところにあるこの町に「岸屋」という雑貨業(小間物屋)と酒造業を営む商家がありました。
この岸屋が峰屋のモデルです。
江戸時代から続く名家で、近隣から「佐川の岸屋」と呼ばれています。
ちなみに岸屋では「菊の露」という銘柄の酒が親しまれていたそうです。
峰屋では「峰乃月」という酒でしたね。
牧野富太郎は岸屋の一人息子として生まれましたが、跡取りであるにも関わらず家業に全く興味がありません。
そのため岸屋は祖母が取り仕切っていました。
跡取りの問題はありましたが、岸屋の商売は繁盛していました。
牧野富太郎の実家(らんまん峰屋モデル)も酒屋はどうなった?
岸屋の商売は繁盛していましたが、その後さまざまな問題が立ちはだかりました。
牧野富太郎が22歳の時、祖母と妻に岸屋を任せて上京するのですが、上京後の生活費や研究費を岸屋に無心していたのです。
牧野富太郎に莫大な金額を仕送りしていた岸屋。
この頃から岸屋の経営が傾き始めます。
そんな時、跡継ぎ不在の岸屋を支えていた祖母が亡くなり牧野富太郎と妻は離婚します。
岸屋は別れた奥さんと番頭さんが切り盛りすることになり、傾きかけている店を立て直すため商売に集中しようとしていました。
ところが離婚後も岸屋は牧野富太郎に頼まれ、仕送りを続けることになります。
元奥さんと番頭さんは小さなころから牧野富太郎を岸屋の跡取りとして一緒に育っているので、頼まれると断れなかったのです。
岸屋は本業の酒造りの不振と牧野富太郎への莫大な仕送りが原因で、どうにも立て直しが困難となりました。
とうとう牧野富太郎は岸屋の再建をあきらめ、元奥さんと番頭さんに岸屋を譲ります。
岸屋はようやく牧野富太郎への援助を終えることになりました。
しかし、時すでに遅し。
その後、傾いた岸屋の経営が元に戻ることはありませんでした。
そして破産した岸屋は明治の中頃に人手に渡ってしまうのです---。
牧野富太郎の実家(らんまん峰屋モデル)の酒屋の現在は?
岸屋は明治の中頃に店を人手に渡し、最終的に司牡丹酒造が譲り受けます。
明治時代、佐川町には岸屋を含め4軒の酒造業者がありましたが次々と統合されていき、現在も酒造りを続けているのは町内ではこの司牡丹酒造だけです。
ちなみに司牡丹酒造は漫画家の黒鉄ヒロシさんの実家であり、シンガーソングライターの織田哲郎さんは現社長・竹村昭彦さんと従兄弟同士だそう。
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司牡丹酒造の手に渡ってからも、岸屋が酒造りをしていた白壁の蔵と、牧野富太郎が勉強部屋に使っていたと言われる木造の建物は残っていました。
しかし白壁の蔵は老朽化が進んでいたため台風で倒壊。
牧野富太郎が使っていたとされる木造の建物も酒かすの保管場所として活用していましたが、こちらもその後の台風で壊れたため撤去されることになりました。
岸屋ゆかりの建物がすべてなくなってしまいました。
地元では大変惜しまれましたが・・・。
今、司牡丹酒造はかつて白壁の蔵があった場所に蒸留器を置きジンを製造しています。
このジンの名前は「マキノジン」。
原料は牧野富太郎が発見し、再婚した妻・寿衛さんの名前を付けた「スエコザサ」です。
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高知県高岡郡佐川町は牧野富太郎が生まれ育った町です。
現在も城下町であったその佇まいは受け継がれ、伝統的な商家住宅や酒蔵などが街並みを形成しています。
平成20年には歴史的風致維持向上計画の重点区域にも認定されており、朝ドラの影響もあり多くの人が散策を楽しんでいます。
岸屋の建物は大正時代に割烹旅館「花の家」となりましたが、昭和初年代に取り壊されました。
その後、牧野富太郎の生誕地として記念碑が昭和27年に建立されます。
そして生誕150年事業として平成25年に当時の面影を再生した「牧野富太郎ふるさと館」が建てられるのです。
その入口には岸屋を再現した模型が展示されています。
「牧野富太郎ふるさと館」は唯一残る1枚の写真から再生されたそうです。
町の人の熱意を感じますね。
酒造りが盛んな季節には日本酒の香りが漂う街。
岸屋が繫栄していた頃を思いながら歩いてみるのもいいのではないでしょうか・・・。
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牧野富太郎の実家の酒屋岸屋はどうなった?らんまん峰屋モデルのその後は?のまとめ
牧野富太郎の実家の酒屋岸屋はどうなった?らんまん峰屋モデルのその後は?についてまとめてみました。
- らんまん峰屋のモデルは酒造「岸屋」
- 岸屋は上京した牧野富太郎へ仕送りを続ける
- 牧野富太郎は祖母が亡くなった後も別れた奥さんと番頭に岸屋の経営を任せる
- 岸屋は牧野富太郎への仕送りが原因で経営が立ちいかなくなり売却
- 現在は売却先である酒造が牧野富太郎をモチーフにした酒を販売
牧野富太郎は自らを「草木の精」と名乗り、生涯を通して植物分類学の研究に打ち込みました。
1,500種類以上の新種や新品種を命名しています。
日本が世界に誇る植物学者です。
しかし、その成功は裏で支え続けていた『岸屋』という存在があってこそのものでした。
岸屋によって牧野富太郎は精神的・経済的に支えられていたのです。
『らんまん』では牧野富太郎と岸屋がどう描かれているかにも注目しながら、放送を楽しみたいですね。