(承前)

自意識過剰で、自分いじりが大好きな根暗タイプ

なんて悪口いってごめんなさいね。いやね私、心理学科卒にもかかわらず、というか「だからこそ」というか、「自分いじり」に対する警戒感みたいなものが人一倍強いと思っているんですよ。しかもトランスしてますから、「アイデンティティなんて、実はいい加減なもの...」というような意識の方が強かったりもします。ですから、この INTJ という性格類型というか理想像について、やや斜に構えながらも、それを「本質論」としてではなくて、「どう活用するのが、いいか?」というのを冷静に、あくまでも「道具」として、考察してみようと思うのです。

INTJに魅かれる人々というのは、それ人なりの「生きづらさ」を抱えていて、この生きづらさを解消するヒントを求めてもいるわけです。この INTJ という理想タイプが示すものは、克己と「自己改造」の可能性でもあるのです。とくに「自己改造」への示唆が大きいことで、5ch での人気の高さが証明されるのでは?なんて思うのですよ。


いやまさに、こんなタイプの分析をしたがるのは、実に「INTJっぽい」ようにも思うんですよ(苦笑)。ある意味、INTJらしさ、というのは

自分自身を客体とか道具として扱うことを、躊躇しない

というあたりにあるんでは?なんて思うんです。「戦略的」「感情に左右されない」「決断力」とか言われることの根底に、「自我の乖離」みたいなものがあり、それを楽しむことができる、というのが「らしい」のでは....などと思ったりもするんです。ですから、「自分いじり」という言葉からナルシスティックなニュアンスを抜いて、「自分をあたかも駒のように」扱ってしかもそれを楽しむような.....そこからちょいとしたダンディズム(神秘性、って呼ばれるのもコレ?)出てくると、このタイプの一番いい部分が発揮されるのでは? 「自分いじり」を「自己愛」に基づくものではなくて、化学の実験であるかのように冷静・実証的に「いじって」みせるような、冷酷なほどの超然さ....これが、INTJ の理想像ではないか、とも思うのですよ。

いやいや、これは普通はかなりの難行・苦行の部類です。ダンディの開祖であるボー・ブランメルはこんなことを言ってます。まさに INTJ の心得みたいなものですよ。

身だしなみが完璧であるためには、他人の目を惹いてはいけない

ダンディの最大の敵は自己顕示欲なのですよ。「自己顕示」を「弱さ」と捉えるのが、まさに INTJ の理想像なのだと思います。トランスならば、「パスが完璧であるためには、他人の目を惹いてはいけない」まさにその通り。「努力の跡」を見せるのは自意識が許しません。なぜなら完璧ではないから。人工の極みとしての「自然」さ。まさにこのブランメルの「哲学」を、「パスの哲学」として取り扱うことができるのは、まさに INTJ のトランスのみが、なしうる業なのだとも思うのですよ.....もし、あるトランスが備える性格が、この INTJ の理想像と合致しているのならば、その方の身体的素質がどうであれ、ハッピートランスが可能なのだとさえ私は思うのです。



実のところ、この INTJ が備えるとされる性格特徴は、トランスする際にどれもこれも役に立つ特徴のように感じるのです。「自己改造」に努力することができて、その努力を実らせることができる「性格特徴」なのです。
  • 常に、合理的な考えに基づいて、自分がすべきことについて心得ており、計画を立て、忠実に実行しようとします。 それは、一日の行動においても、人生の選択においても当てはまります。
  • 他者から見ると、あらゆることに自信を持っているように見えるかもしれません。 しかし、実際のところ、何にでも自信を持っているわけではありません。 自分が持っている知識から、何を解決でき、何を解決できないかを理解しているのです。 解決できるときには、その方法を示してくれるでしょう。
  • 前例や現状には満足せず、それらを乗り越えてゆきたいという姿勢があります。 陳腐化し、過去のものとして埋もれてしまわないように、普遍的であり、かつ、実用的であることをひたすら追求します。 どんなときも、「きちんと機能するか否か」といったことは重要な判断基準です。
  • 単に環境に順応するのではなく、心地よい環境に作り変えることが重要です。 それと同じように、システムやルールを自分のために改善することを思いつきます。
  • 一風変わっていると思われても気にすることはありません。 人気を得ようが得まいが、それも気にしません。 但し、正当な評価は求めます。


ほんとうに、かくあるべしだと思うのです。

自身が「女性」であることが「必然」であり「合理的」であると考えるからこそ、「世の中のルール」からは逸脱するかもしれなくても、「計画」を立てて実現しようと「強い意志」のもとに実行します。「自身が女性として振る舞う」ことが「きちんと機能するか」を客観的に判定して、「解決可能な部分」を改善し、あるいは「環境」に働きかけてそれを作り変え、「他人」がそれを「変わっている!」と思っても気にしない....

いやまさに、こうであれば、何だって実現できるでしょう。ですから、本当にこの INTJ の性格特徴は「INTJというタイプはこう」という「ある」姿なのではなくて、「INTJという理想」で「あるべし」な姿、努力して到達すべき姿なのだと思うのですよ。

「INTJという理想」は、役に立ちます。行動の指針とガイドラインとして、ですが。まさにこういう風に生きるのも、いいではないですか?

すばらしい、INTJ。

(おばさま、お歳ですからね...ヒデキの Y.M.C.A.と INTJ の語呂が合うのが、笑っちゃいます。実はあと ISTJ も語呂が合います。ゆーうつなど、吹き飛ばして、きみも元気出せよ!)