(承前)
さて、ジェンクリです。当然精神科外来です。そりゃ精神科=スティグマ、と思う方もいるわけですが....いや、「GID脱医療化」を言う人の方が、逆に「精神科にかかる=スティグマ、だから脱医療化しよう!」なんて言い方をされるのを目にもします。ちょっとコレ、いくら何でも問題なのでは? 精神医学に対するスティグマを再生させてどうするんです? さすがに時代遅れもいいところの感性なのではないのでしょうか。もはや「うつ病」だって罹患率高いですから、スティグマ扱いにしたら世の中回りません。統合失調症だってよく効くお薬がある時代なんですよ.....
私もあまり「性同一性障害」って病気の感覚ではありませんし、医療サポートを受けるためのタダの口実みたいなものだ、と思ってるだけです。それでも医者に初診で「貴方は女性です!」と断言されてしまったら....ボロ泣きしますよ、ほんとに。ですから、「ジェンクリにかかる=恥ずかしい」という感覚は、私はまったくありませんし、そういう感覚の方は間違っていると思ってます。
「病気」というのは「恥ずかしい」ものであってはならないと思います。ですから、逆に「性同一性障害」という「病名」が付くことによって、「恥ずかしさ」から逃れられる、と感じる方がいるのも当然だと思います。「病気」なら本人の責任ではないし、誰でもかかる可能性があるわけだから、それをスティグマにするのは、人権的な問題だ、というのが社会的な了解事項なのだと思っていますよ。
「病気は恥ずかしいが、ライフスタイルなら恥ずかしくない」というのも転倒しています。世の中にご迷惑をおかけするようなライフスタイルというものだってあるわけですし、ライフスタイルは「自分でそれを選んでいる」以上、ダメなところ、ダサイところ全部選んだ方の自己責任ですよ。さらに
あたらしいライフスタイルを先進的に取り入れる自分、カッコイイ!
とかそういう自意識過剰な気どりがあったらね、そっちの方がわたし顔から火が出そうですわ。
トランスすることは決めましたが、最初から埋没方針ではありませんでした。アート活動がありましたからね。完全にそっちから手を引いて埋没したら、「なんて水臭い...」と叱られそうでしたもの。ですから、積極的にカミングアウトする、ということにしました。結構策を練ったんですよ。理解のありそうな長老に根回しするとか、問題児に対する対策をどうするか考えておくとかね。恥ずかしい、とか思っちゃ、やれないです。やはりそれが正解でしたね。トランスを受け入れてもらえるようなリベラルな環境に身を置く、というのもトランスでは大事なことでもありますよ。さらに風向きが肯定の側に動いていましたから、なおさらこっちが恥ずかしがっちゃいけないんです。「さも当然な」顔をしてトランスするしかないんです。
それでも「カミングアウトが恥ずかしい」と思うのは、仕方のないことです。ゲイなら「そんなのタダの個人の性的自由の問題だから、カミングアウトなんてそもそもする意味も何もない!」と思う方の方がリアルだと思うんですがね....しかし、トランスの場合には「周囲に性別の扱いを変えて欲しい」とお願いする立場ですから、埋没だって家族などの多少のカミングアウトは必要です。
いやね、なぜ「トランスのカミングアウトに恥ずかしさを感じるのか?」というのは、結構考察すべき話だと思うんですよ。ある意味、それが
今まで「オトコ」しようとしていましたけど、できません!辞めます!
という「敗北宣言」みたいな面もありますからね。余計なプライドは捨ててかからないといけないんです。ここでちゃんと「敗北」を認めないと、受け入れ側の周囲の女性たちも信用してくれないでしょう。「自分が女であることをしっかりと受け入れる」ことの告白と宣誓かしら? でも私はもともと「女、ダダ漏れ」だったようで、「男してるのが気の毒な感じだった」と同情されてたとか、見知ってるだけの方が「何となく女性だと思ってた....逆にびっくり」とか、気負った分スカされたみたいな妙な気持になりました。いやでもそんな「男のプライド」、捨てても惜しくはありませんでしたからね....
男性の友人の方がショックを受けがちですね。やはり自分から望んで「オトコから成り下がりたい奴がいる!」というのが、ショックなのかしら.....去勢恐怖を誘っちゃう?(苦笑)男の方がジェンダーの揺れには鈍感というか、そもそも私を「ゲイか、なんか?」と大雑把な観念でナメて見ている部分がありますからね。カムアウトの後に妙にナレナレしい扱いをしたがる方も、いたのよ。まあ、「扱い方に迷っているのよね」と好意的には解釈しましたけど。
トランスの場合にはさほどではありませんが、公の場で「性」に対する話をすること自体が、公私混同した「恥ずかしいこと」という感覚は、やはりありますね。そういう話題自体が嫌い、という方もいないわけではありません。私もアセクシャルだから、この「話題が嫌い」という感覚はわかります。トランスの場合にはジェンダーの話で、セクシュアリティの話ではありませんから「性の話題」とは若干ニュアンスがズレたところもありますからいいんですが。そもそも「女になってオトコにモーションかけよう!」なんてキャラじゃありませんや(苦笑)。
逆に言うと、ゲイの方のカミングアウトの方が、「性的な関係とは無関係なところに、あえてセクシャリティを持ち込む」という侵犯的な側面があるようにも感じます.....そういうあたりで、マジメにカムアウトしたいゲイの方の想いに反して、ご迷惑に感じる方も、いるんじゃないでしょうか。
こうやって振り返ってみると、「恥ずかしい」という感覚は、主観的で反省的な自意識の問題というか、「自己省察の病」みたいな部分があるようにも思います。「恥ずかしい」と自分で思う人こそが、実は外からみれば「恥ずかしくない」。逆に「自分は恥ずかしくない!」とガンバる方のほうが、客観的には「こいつ、恥ずかしい奴..」というような逆説的な事態の方が、現実にはずっと頻繁なようにも思うんです。
ですから結論。性転換を「恥ずかしい」と思うあなたは、すばらしく健全な自意識の持ち主です。しかし、周囲はそんなこと、まずまったく気にしてはいないのですよ。あなたが「したい」と思うことは、何も恥ずかしい「行為」ではないのですから。
さて、ジェンクリです。当然精神科外来です。そりゃ精神科=スティグマ、と思う方もいるわけですが....いや、「GID脱医療化」を言う人の方が、逆に「精神科にかかる=スティグマ、だから脱医療化しよう!」なんて言い方をされるのを目にもします。ちょっとコレ、いくら何でも問題なのでは? 精神医学に対するスティグマを再生させてどうするんです? さすがに時代遅れもいいところの感性なのではないのでしょうか。もはや「うつ病」だって罹患率高いですから、スティグマ扱いにしたら世の中回りません。統合失調症だってよく効くお薬がある時代なんですよ.....
私もあまり「性同一性障害」って病気の感覚ではありませんし、医療サポートを受けるためのタダの口実みたいなものだ、と思ってるだけです。それでも医者に初診で「貴方は女性です!」と断言されてしまったら....ボロ泣きしますよ、ほんとに。ですから、「ジェンクリにかかる=恥ずかしい」という感覚は、私はまったくありませんし、そういう感覚の方は間違っていると思ってます。
「病気」というのは「恥ずかしい」ものであってはならないと思います。ですから、逆に「性同一性障害」という「病名」が付くことによって、「恥ずかしさ」から逃れられる、と感じる方がいるのも当然だと思います。「病気」なら本人の責任ではないし、誰でもかかる可能性があるわけだから、それをスティグマにするのは、人権的な問題だ、というのが社会的な了解事項なのだと思っていますよ。
「病気は恥ずかしいが、ライフスタイルなら恥ずかしくない」というのも転倒しています。世の中にご迷惑をおかけするようなライフスタイルというものだってあるわけですし、ライフスタイルは「自分でそれを選んでいる」以上、ダメなところ、ダサイところ全部選んだ方の自己責任ですよ。さらに
あたらしいライフスタイルを先進的に取り入れる自分、カッコイイ!
とかそういう自意識過剰な気どりがあったらね、そっちの方がわたし顔から火が出そうですわ。
トランスすることは決めましたが、最初から埋没方針ではありませんでした。アート活動がありましたからね。完全にそっちから手を引いて埋没したら、「なんて水臭い...」と叱られそうでしたもの。ですから、積極的にカミングアウトする、ということにしました。結構策を練ったんですよ。理解のありそうな長老に根回しするとか、問題児に対する対策をどうするか考えておくとかね。恥ずかしい、とか思っちゃ、やれないです。やはりそれが正解でしたね。トランスを受け入れてもらえるようなリベラルな環境に身を置く、というのもトランスでは大事なことでもありますよ。さらに風向きが肯定の側に動いていましたから、なおさらこっちが恥ずかしがっちゃいけないんです。「さも当然な」顔をしてトランスするしかないんです。
それでも「カミングアウトが恥ずかしい」と思うのは、仕方のないことです。ゲイなら「そんなのタダの個人の性的自由の問題だから、カミングアウトなんてそもそもする意味も何もない!」と思う方の方がリアルだと思うんですがね....しかし、トランスの場合には「周囲に性別の扱いを変えて欲しい」とお願いする立場ですから、埋没だって家族などの多少のカミングアウトは必要です。
いやね、なぜ「トランスのカミングアウトに恥ずかしさを感じるのか?」というのは、結構考察すべき話だと思うんですよ。ある意味、それが
今まで「オトコ」しようとしていましたけど、できません!辞めます!
という「敗北宣言」みたいな面もありますからね。余計なプライドは捨ててかからないといけないんです。ここでちゃんと「敗北」を認めないと、受け入れ側の周囲の女性たちも信用してくれないでしょう。「自分が女であることをしっかりと受け入れる」ことの告白と宣誓かしら? でも私はもともと「女、ダダ漏れ」だったようで、「男してるのが気の毒な感じだった」と同情されてたとか、見知ってるだけの方が「何となく女性だと思ってた....逆にびっくり」とか、気負った分スカされたみたいな妙な気持になりました。いやでもそんな「男のプライド」、捨てても惜しくはありませんでしたからね....
男性の友人の方がショックを受けがちですね。やはり自分から望んで「オトコから成り下がりたい奴がいる!」というのが、ショックなのかしら.....去勢恐怖を誘っちゃう?(苦笑)男の方がジェンダーの揺れには鈍感というか、そもそも私を「ゲイか、なんか?」と大雑把な観念でナメて見ている部分がありますからね。カムアウトの後に妙にナレナレしい扱いをしたがる方も、いたのよ。まあ、「扱い方に迷っているのよね」と好意的には解釈しましたけど。
トランスの場合にはさほどではありませんが、公の場で「性」に対する話をすること自体が、公私混同した「恥ずかしいこと」という感覚は、やはりありますね。そういう話題自体が嫌い、という方もいないわけではありません。私もアセクシャルだから、この「話題が嫌い」という感覚はわかります。トランスの場合にはジェンダーの話で、セクシュアリティの話ではありませんから「性の話題」とは若干ニュアンスがズレたところもありますからいいんですが。そもそも「女になってオトコにモーションかけよう!」なんてキャラじゃありませんや(苦笑)。
逆に言うと、ゲイの方のカミングアウトの方が、「性的な関係とは無関係なところに、あえてセクシャリティを持ち込む」という侵犯的な側面があるようにも感じます.....そういうあたりで、マジメにカムアウトしたいゲイの方の想いに反して、ご迷惑に感じる方も、いるんじゃないでしょうか。
こうやって振り返ってみると、「恥ずかしい」という感覚は、主観的で反省的な自意識の問題というか、「自己省察の病」みたいな部分があるようにも思います。「恥ずかしい」と自分で思う人こそが、実は外からみれば「恥ずかしくない」。逆に「自分は恥ずかしくない!」とガンバる方のほうが、客観的には「こいつ、恥ずかしい奴..」というような逆説的な事態の方が、現実にはずっと頻繁なようにも思うんです。
ですから結論。性転換を「恥ずかしい」と思うあなたは、すばらしく健全な自意識の持ち主です。しかし、周囲はそんなこと、まずまったく気にしてはいないのですよ。あなたが「したい」と思うことは、何も恥ずかしい「行為」ではないのですから。
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