ド直球で問いたいです。
でも話のマクラは、伊藤文學氏のオハコの思い出話ですからゲイの子の話ですけども、
悲劇的な出来事もあってね。九州の高校生がデパートの本屋さんで『薔薇族』を万引きしちゃって、親を呼ばれちゃったの。万引きしたっていうことよりも、『薔薇族』だということを親に知られた事がショックだったんだろうね。その高校生はトイレに行かせてくれって言って、屋上のフェンスを乗り越えて自殺しちゃった。1983年の悲劇だそうです。有名ですねこの話。
つまり「同性愛=スティグマ」だから、恥ずかしがって、ついつい「薔薇族」を普通に購入できなくて、万引きしてしまい、しかも捕まって親にバレ、自殺...という「スティグマ」の話です。「恥ずかしい」「恥ずかしいと思わせる」というのは本当に罪作りなことです。
とくに性とセクシャルマイノリティにかかわる話は、スティグマがやはりついて回る側面が、今でもゼロではないでしょうね。もちろん本題は、トランスの話、とくに MtF ですよ。まあ、狭義のトランスヴェスタイトの方だと、
バレるか、バレないか、その瀬戸際のあたりのスリルがサイコー!
という方もいますが、こういう方の話はまた別。やはり、私でも葛藤ありましたからね....これがタダの年寄りのグチ話になってくれれば、ホントそっちの方がいいから、思い切って、ね。
やはり「男に生まれたのに、女になりたい、なんてね....」というのは、「オトコから脱落する」というニュアンスも感じないわけじゃないです.....誰かに謝りたくなるような気持ちもね。長男&一人っ子でしたしね。やはり親としては、「跡取り」という感覚はあったでしょう。いやホント小さな子供の頃から、「女の子になりたいな...」って思ってました。仲良しはほとんど女の子たちでしたしね。でも、親とか、言えませんよ、そんなこと。性別がゆらぐ系の話は「もしそういうのに興味があるのを(親を含む)他人に知られたら、弁解できない!」と完璧に避けてました.....ヒミツの多い子ですよ、親にしたら厄介ですね。
「女っぽい男」というのは、それだけで十分「弱者」扱いですからね....オトコの価値観、とくに小学生男子なんて単純なものですから。ですから、これがセクマイ系のスティグマでもなかったとしても、やはり差別を受けることにはなるわけです。小学生男子の人気順なんて、「スポーツができる」能力の順でしかないわけですよ。まさに底辺、ということにはなってしまいます。屈折...
中学にでもなれば、勉強で十分これは「挽回」できます。で、うまく「孤高」ポジをとって、余計なことをしなければ、そうひどくもないわけでした(昔ですからね...)。ほとんど男グループとは関わらず、女子とばっかり遊んでしましたが....どうなんでしょうね。女の子たちからはほぼ男扱いされませんでしたね....「女の子になったらいいのに!」とか面と向かって言われてました。そりゃ、屈託はありますけども、居心地はいいんですよ。「女の子になったらいいのに!」にとくに反論もせずに、スルーしていたわけですけども.....何も言えないんです。実際、そう思ってたし。
さすがに大人になったら、「スカートはいたら絶対似合う!」とか女友達に言われても「え~はいてみようかな~」と切り返す余裕はやはりできます。社会人になれば金銭的余裕もありますからね、内緒でスカートもいろいろ購入してましたから、図太くなれるのかな。どうせ体格的には男性サイズがどうにも大きすぎるのもあって、レディスを着る習慣が付いちゃってましたし。レディスの服着ていると、女性には完璧バレますからね。「サイズないもん、仕方ないじゃん?」で切り抜けます。
やはり一番最初にスカートを買ったときとか、心臓バクバクものだったのは、確かです。案外すんなり売ってくれるものだな、とあっけなかったですね。まだ昭和の頃の話ですよ。まあ、ご商売ですからね、お金さえちゃんと払えば、売ってくれるわけです。アタリマエですね。そういえば「映画の小道具です~」というような偽装をして領収書をわざわざでっち上げのプロダクション名でもらったこともありますが......見るからに女っぽい男がスカートを買いに来ていれば「あ、自分用(お察し)」になるほうが当然でしょうね。
でも、このアタリマエが、冒頭の自殺したゲイの高校生みたいに、「恥ずかしさ」でアタマ沸いている分からなくなることもあるわけです。やはり「女性の服装をするのは、犯罪でも何でもない!」という開き直りと、「万引きとか、犯罪でしょ?」というモラルだけが、やはり自分を守ってくれるわけです。「恥ずかしい」とか、そういう問題ではないわけです。万引きをしちゃったら、それこそ「自分が女になりたい思いは、犯罪だ!」と自分で認めちゃうようなものです。意地でも、悪いことはできませんよ。
で、女性で外出するようになって、自分が完パスするのが分かってくれば、「恥ずかしさ」はかなり薄らぎます。女性だったら、女性の服や下着、化粧品を買うのって、アタリマエ以外のなにものでもありません。逆に、男の時に着るレディスの服を、男で買う方が、なんかずっと「恥ずかしい」と感じてました....屈折のし過ぎですね(苦笑)。最終盤は当然女性で「男モード用レディスの服」を買いに行きましたよ(あ~ややこし)。「自分って事実上、女なんだ...」というのが、こういう外出体験でしっかりと強められます。「女だから、恥ずかしくないもん!」というノリですね。
私って「ロールモデル」みたいなものを持ったことがないんです。女装クラブにお世話になったことはありますが、女装者とその文化には全然馴染めなかったです。お酒飲めませんし水商売のガラじゃないからニューハーフとかしようと思ったこともない。実際、今に至るまで行ったこともありません。私なんかお客で行ってもお店に御迷惑でしょうしね。ですから、こういう外出体験で形作られる「女性アイデンティティ」が、ロールモデルの代わりになっていたようにも思うんです。
私はホントは女だから、女で外出するのが、アタリマエ。それで問題が何もないのが、私が女なのを証明している!
ですから、「恥ずかしさ」は薄らいでくるのですが、それでもやはり、社会的には大変マズイことだというのも承知していたわけです。男バレは脅威ではありませんが、自分バレは本当に困るわけです。
こんな状況で国内SRS解禁から特例法へ向かう流れが起きたわけです。そりゃあねえ、飛びつきますよ。当たり前でしょう。
そこで、G-フロント関西のトランスサロンにお伺いして、いろいろ教えてもらいました。特例法の話題の真っ盛りの頃です。たまには大島俊之先生もお顔を見せて...なんて頃でしたね。得た情報から自分もいよいよ「社会的にも、女性になる!」と決意して、関西医大のジェンクリ受診になります。
(続く)
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