京都大学の数学教室の助教について、「女性限定」での公募がありました。それに採用された方が「自分はトランス女性だ」というツイートをしたことが議論を呼んでます。
プライバシーにかかわることであり、また事情がよくわからないことでもあるので、一般論としての話で書くことにしましょう。

論点1

まず、この方がSRSを受けて戸籍も女性に変更した方だった、と仮定します。まあそうでない方を女性枠で採用する、というのは考えづらいので、この仮定は合理的と思われます。
その場合に「女性の仕事を奪った!」と批判される方もいます。しかし、こういう問題というのは本質的には「どこで線を引くのか」という問題です。

A: 生得的な性別によってのみ、線を引くべきだ。それが「女性限定」の趣旨である
B: 戸籍が女性ならば、OK(特例法で性別を女性に変えていればOK)
C: 性別不合(性同一性障害)の診断があればOK
D: 性自認によって「自分が女性だ」と主張するならOK

とだいたいこの4レベルの「線の引き方」があります。この「線の引き方」でどれが正しいのか、というのは実は正解なんてないのです。単純に「世論」が受け入れる線引きが正しい、「多数意見が正しい」ということにしかならないのですよ。
だからこそ、議論することが重要です。「差別」だ何だと言って議論を禁じるTRA(トランス人権活動家:trans right activist)の態度は論外ですが、それでも「特例法」という法律があり、それが社会に受け入れられているという事実を尊重するのならば、やはり「戸籍が女性ならOK」という意見が中庸を得ていると考えます。おそらくこれが社会の一般的な意見であると推測します。
もう一度繰り返しますが、この問題はどういう意味でも「正義」の問題ではありません。あくまでも「社会がどう受け入れるか」だけの話です。

論点2

この問題の扱いに困るのは、この方が「トランス女性」と称していることにもあります。「トランス女性」というと、私のイメージでは....

性自認至上主義に基づいて、自分の性自認が女性だから、女性の権利を要求する人々

だと思ってます(あくまで私の主観)。

・SRSをしなくても、性自認が女性なら女性
・戸籍が男性でも、性自認が女性なら女性

と主張する人々が「トランス女性」である、という認識です。早い話「トランス女性」というのは、世の中に受け入れられている概念ではなくて、あくまで特殊な「TRA用語」に過ぎない、ということですよ。

じゃあ私はどうか? 私はSRSを受けて戸籍を女性に変更していますが、自分を「トランス女性」だと思ったことも、自称したこともありません。

私は、SRSを受けて戸籍を女性に変更したから、「女性」です

というのが、一番実感に会った「自称」です。

言いかえると「トランス女性」という呼称自体が、その範囲が曖昧であり、この曖昧さはTRAが仕掛けた「性自認至上主義」を広めようとするための策略である、と考えています。ですから私は、男性から女性に性別を変更した過去がありますが、絶対に「トランス女性」ではありませんし、そう呼ばれることを拒絶します。
「トランス女性」なんて、TRAだけが使う特殊なギョーカイ語、という扱いで問題ありませんよ。こんな特殊なギョーカイ語を喜んで使う人々の気が知れませんね。

「トランス女性」という呼称には、トランス当事者の間でも強い違和感と反論がある呼称だ、ということを世の中に広めたい、と思っています。なぜTRAの土俵に乗っかった概念を使わなければいけないのでしょうか?

おそらくこの話題の方は、TRAのシンパなのでしょうね。いやはや、残念なことです。私は「性自認至上主義」には反対し、特例法の手術要件を護持することが、女性との間での軋轢を最小限にする方策だと考えています。TRAは特例法を否定する狙いから、わざと戸籍が変わっている人と、そうでない女装家との区別を曖昧にしようとしています。この手に乗る必要はありません。

特例法によって戸籍の性別を女性に変えた人は「女性」です。「トランス女性」ではありません。

....ったく、何で「トランス女性」とか二級市民扱いされなきゃいけないんだろうね(怒)

論点3

この件は、どうやら京都大学での女性教員比率が低すぎる、という問題に背景があるようです。女性教員の比率が「旧7帝大で最下位」、という状況を改善するために、自然科学系の研究科が「今後は女性限定採用だけ」という方針を決めたらしいのです。いや、女性の仕事が増えるのはよいことですが、とくに研究職などでのアファーマティヴ・アクションというものには慎重であってほしいとは思いますよ。
何事も「政策主導」というものはうまくいかないものです。「こうしなければダメ」で世の中はよくなるものでもありません。強制的な方策はそのうちに矛盾や歪みが出てくるものです。TRAが暴れたイギリスなんて、まさに「歪み」が続出し、現在見直しの真っ最中ではありませんか。「理想」も現実に適用してみれば、矛盾と混乱の中に飛び込むだけ、というのも珍しいことでもないのですよ。

「女性限定採用」枠の件はさっそく問題を起こしてくれたわけです。いやはや。

やはり研究職などは政策的な配慮などの「政治」によるものではなくて、縁故やら学閥やらを排した純粋な「実力主義」であってほしい、と願います。保守的ですか、ねえ?