そう見てみると、実のところ「女装趣味」というのは、男性が隠し持つごくごく一般的な性向である、と考えた方が自然なのではないのでしょうか。もちろん、男性の多くは、
・女装なんてするのは、自分のオトコとしての能力に疑問符が付くからダメ
・女装しても、ゴツくて全然似合わない
・男がエロスを解放するのは、何か格好が悪い
・配偶者さんには絶対に理解してもらえない
とか、そういう歯止めがかかっているからこそ、女装をしないのでしょう。モラル、というものがあるわけです。言いかえると、「女装趣味」というものを「セクシュアル・マイノリティの一つ」と捉える必要もないのです。マイノリティではなく、それが男性としての普遍的なエロスの一つ、という視点だったら、女装趣味というものを「人権」として捉えるのもおかしなことになります。
女性がその「女性性」に抑圧されている、というフェミの理論そのままに、やはり男性も「男性性」に抑圧されているのです。しかし、「女性らしさ」を男性が主張するのは、それがわずかなものであっても「男性を失格する」恐怖に裏打ちされて、実践できないものなのです。そして、男性は他の男性との競争に強く晒されていて、「競争」を降りることが「男性としての敗北」でしかないのですから、なかなか難しいのですよ。
しかし男性もそういう「男性性の押し付け」に反発する心理がないわけでもありません。ゲイのドラァグ・クイーンなんてまさにそういう心理が働いているわけです。「どうせゲイで男が好き、という時点で男らしさから失格している」と思うからこそ、おおっぴらな娯楽としてドラァグ・クイーンが成立するのです。同じような心理で、たとえば大学祭で体育会系サークルがオ●マバーを出店したがる、と見るのもいいでしょう。
そしてこの「男性性を巡る競争」では、エロチックな契機を常に抑圧するものです。エロスは男性にとって常に「弱み」になります。「男性の武装」にエロスが介在してはならないのです。体育会系サークルのオ●マバーならば、「サークル全体で、みんなでエロスを解放して、弱みを見せあう」ということですから、かろうじて成立するだけなのですよ。
そう考えるのならば、男性にとっても「女装」の禁止とその侵犯を巡る状況というのは、生得的なマイノリティの問題というよりも、男性社会の「文化」に起因するものだ.....文化現象であるのならば、文化的に解決すべきなのであり、それを疑似医学であったり人権問題として理解するのはおかしいのではないのでしょうか? まさに「女装は病気ではない」のです。
もちろん、女装は法律で禁止されているわけではありません。しかし、女装というものが男性のエロスを解放してしまう、というまさにこの事実が、「エロスを排除する昼の世界」との間に軋轢を産むのです。さらに配偶者があれば、その配偶者に対して「自分に対してだけ、エロスを発揮すべし」ということが「忠実義務」として定められていますから、その「忠実義務」を投げ捨てることでもあるのです。
女装を昼の世界に持ち込む、というのは、社会生活よりも自分のエロスを優先する、ということです。しかし、それを迷惑と感じる人が言うまでもなく大多数です。これは「差別」なのでしょうか? たとえばゲイが会社にカミングアウトをしても、
仕事に関係ないのだから、そんなこと言われても、単に面倒で迷惑な奴
として逆効果にしかならないことよりも、さらに「面倒で迷惑」なことに違いありません。
もちろん私は、トランスセクシュアルの女装、というのはそういうのと全然別物だ、という立場です。実際、トランスセクシュアルの女装には性的なニュアンスがないことが普通、というか、それによって定義してもいいのではないのか、と思うのです。トランスセクシュアルの場合には、エロスの解放なんて全然関心がないのです。社会的な立ち位置を、異性の側に変更したい、と考えているだけなのですよ。ですから、トランスセクシュアルならば、女性との関係を重視します。女性のコミュニティに普通に受け入れられることがゴールなのです。
ですから、MtF TS ならば、「男性特権」を自分から放棄します。いや大体、マトモに「男性特権」を行使できたこともありませんし、男性特権を行使せざるをえないハメに陥れば妙な罪悪感を感じる方のが普通でしょう。トランスしたら「ちゃんと使えもしない男性特権から解放される」ことが、実はうれしいことだったりするのですよ。
男性としてはどうも「人並み」じゃありませんから、
女性として「人並み」でありたい
と考えてそれを実現するのがトランスセクシュアルです。やはり「人並み」でないカラダに対して、コンプレックスを感じるのが普通ではないのでしょうか? ですから SRS を受けて「やっと、人並み」という感想を持つのです。
いやこういうトランスセクシュアルの在り方を、女性は結構敏感に感じるというのが私の印象です。それこそ「男しているのが気の毒な人」と言われたこともありますしね.....まあ、大体がホルモンの効きもいい人が多いでしょうし、そういう動機ですから「人並みになる」ための整形手術などもためらわず受けることも多いでしょう。いや整形手術って、「キレイになる」ために受ける人は少数なのでは?それよりも「コンプレックスから解消されたい」と思って受けるものでしょう?
極論すれば、大規模な手術によって身体改造するのも、全然不可能なことではないのですが....健康上のリスクはもちろん相応に、あるのです。それでもしたい、というのは「キレイになりたい」ではなくて、「自分の身体が嫌だから、それをリセットしたい」という否定的な願望なのです。
女装オジサンと、トランスセクシュアルは全然別物です。これを混同して女装オジサンもトランスセクシュアルも不幸にしているのが、実はトランスジェンダリズムというものです。
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