以前私はトランスセクシュアルの場合には、「性自認」なんてどうでもよくて、それ以前に「性他認」と呼ぶべき、対人関係で「漏れ出してしまう」ジェンダーの話をしたことがあります。
というあたりが実は実感のように感じるのですよ。そうしてみると、意識の上では「男」ですし、自称も「男」です。しかし、周囲に与える印象は「女」なのであって、どうにかした方がいいとは思っても、なかなかそうもいかない。
いわゆる「性自認」って何なんでしょうね。上記の状態を書いてみて、逆にノンパスな FtM さんにもこれ当てはまることに気がついてしまいました。いや....まったくあれMtF TSの私の実感なんですけどもね。そうしてみると、私がどうも FtM さんに辛辣なのは、身体的なリアリティを素直に受け止めて「女になった方がずっと楽ちんだ」と思っているからなのでしょうか(苦笑)早い話、私が頑張って男していても、
女の「男ブリッコ」
みたいにしか見られていなかったようなのですよ(泣)情けない。
言いかえると、自称やら自認やらは、そんなに重大な問題には思えないのです。自分にウソなんていくらでもつけるのです。場面やら状況やらで結構コロコロ変わることだって珍しくもないのです。もちろん「性自認」という概念について、最初ジョン・マネーがこの概念を立てた場面では、
ある個人の不変で人格のコアとなるような性別
という「不変性」という意味でこれを立てたわけですが、事実上マネーはこの概念の確立(言語臨界説)に失敗しています。それでも、SRS手術の結果から見たときに、SRSによって性別移行をして幸せになる人々がいることは否定できませんから、何らかの「人格のコアとなる性別」はあるはずです。SRSを受けて後悔する人々も居ますから、そういう人は「人格のコアとなる性別」について、何か思い違いをしてSRSを受けた....そんな「SRSへの適性」みたいなあたりから、逆算して「性自認」というものが「ある」ことになった、ということに過ぎないと考えています。
・私はアーチストとしてのアイデンティティを持ってます。
・現役のプログラマだった頃には、ハッカーとしてのアイデンティティがしっかりありましたが....まあ引退しましたからねえ。とてもじゃないですけども、もう「ハッカー」というほどの者じゃないです(苦笑)
あれ?じゃあ、こういうアイデンティティと、「ジェンダー・アイデンティティ」は同じなのでしょうか、それとも、違う?
いやいや、もともと、男性同性愛者のコミュニティの中で「ホモ」などの蔑称に対して、自分たちの「アイデンティティ」として「ゲイ」を掲げる、という動き(アイデンティティ・ポリティクス)が起きたことから、アイデンティティとしての「性指向」が登場した、という風に理解しています。いい変えると、「ゲイ」というのは、性指向をベースにしていますがそれ以上に、文化でありライフスタイルである、ということになるのでしょう。「体育会系・ガチムチ系でない、新しいタイプの男性同性愛者がゲイ」というようなニュアンスが、日本で「ゲイ」が登場した1990年代にはあったのを覚えてますよ。だから「ゲイの文化」にアイデンティファイする人が「ゲイ」なのであり、男性同性愛をする人であっても、ゲイ文化に親近感を抱かないのならば、その人は「ゲイ」ではない...と「アイデンティティ」にこだわるのならば、そういうことになるのではないのでしょうか。
だったら、
・ゲイ
・アーチスト
・ハッカー
というアイデンティティの人もきっといるはずでしょう。この人が仕事の場面ではハッカーをアイデンティティとしていても、仕事の場面ではゲイというアイデンティティを出すわけでもない。優先順位は当然場面場面によって異なり、いくつもの「アイデンティティ」を切り替えながら生活している。これが普通の姿です。
どうみても「性自認」は、一般的なアイデンティティとは別物です。しかしトランスジェンダリズムの狙いは、これを意図的に混同することにあるようですね。いやいや、アイデンティティというものは、本来は
・状況によって、いろいろ変わる
・複数のアイデンティティも当たり前に共存する
・意図的な選択によって選び取る
というものなのであって、
・一度固定されたら不変
・マネーの最初の観念では男女の2つ。せいぜい拡大しても、男女スケールの間のどこかで固定
・パーソナリティの根底にあって、変更不可能。意識の上、というよりも意識の根底にあるもの。
という「性自認」の在り方と比較したら、完全に別物、でしょう?
「性自認」をアイデンティティ・ポリティクスの対象にすること自体、大きな誤りなのです。
ですから、「性自認」という問題については、意識の上での「自認」あるいは「自称」については、何の意味もないのです。「性自認」が正しく機能するのは、意識の下の問題であり、また無意識的な行動に現れる「性差」の問題なのです。
ですから、性別を判定する際の「一瞥による判定」というレベルでは、こういう「無意識的な行動」が実は大きな決め手になっている、無意識的な行動はやはり意識の下で感知されて、それが「直観」的な「一瞥による判定」と表れていることでしょう。私が
性自認とは性他認である
と述べたのはこういうことなのです。
(続く)
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