今廃屋を使った臨時ギャラリーでグループ展をしています。その廃屋の所有者が、隣にある銭湯さんなのです。そんなこともあって、このグループ展の中心の女性と、作業後に隣の銭湯に行きました。

うん、この女性とは長いお付き合い。ですからトランスの件は知っている方ですよ。

疲れたね~広いお風呂でさっぱりしよ~

というノリで一緒に女湯に入ります。

広々~気持ちいい~~

カラダを洗って、湯船に浸かって、極楽極楽。

この銭湯、名ばかりの狭い露天風呂があって、そこは内風呂から扉を閉じて入るようなところです。だから誰にも会話が聞こえない....

ねえ、感想聞かせて!

と私が彼女にお願いします。

え?何の?

と彼女はきょとん。

これ、完全勝利、というものでしょう。彼女にとって、私は女性以外の何ものでもなくて、こちらから話題を振っても一瞬?になるわけです。もちろん、彼女と一緒にお風呂に入るのは初めてですから、私としても「一度、聞いておく?」なんて気持ちで聞いただけなんですけどもね。

いやもうぜんぜん自然。手術ってすごいな~おっぱいCカップ?きれい。

そんな感想でした....
いやいや、わざわざ私が話題を振ったからこそ、彼女もようやく気がついた、ということのわけです。

身体的なリアリティと、トランスしたという知識と、どちらが「性別の判定」で強力か?

というテストを私がした、ということになるのでしょうか。以前鶴田幸恵「性同一性障害のエスノグラフィ」という本の中で、「男/女であること」を見るという視点で性別判定の問題を取り上げたことがあります。


この本の結論は、

・具体的な細部のジェンダー表現に基づく「手がかりによる判定」に先立って、全体的な印象とでもいうべき「一瞥による判定」があり、この「一瞥による判定」で決着がつかない場合に、二次的に「手がかりによる判定」がなされる
・「手がかりによる判定」は観察と判定的な悟性による判断だが、「一瞥による判定」は直観的とでもいうべき規範的な判定であり、これをまず強く意識に上らせることなく性別判定が有効になされている

ということです。私はパートタイマーの頃から「一瞥による判定」できっちり「女」という判定がされていて性別移行がきわめてスムーズに運んだのですが、では、「一瞥による判定」と、たとえば公的書類の性別、あるいは「この人が性別移行をした」という知識、といったレベルの「判定」が食い違う場合に、どうなのか?ということを問うてみたいと思うのです。これは狭い意味での「差別」やら「スティグマ」という問題と結びつくので、敢て取り上げたいのですよ。

何度も書いていますが、私は約15年間公的書類の名前と性別を男性のまま放置していました。ですから、金融機関や役所、医師、就職などすべて男性名義のままで、見た目は女性、ということで暮らしてきたわけです。この15年間の結論は、

差別なんて、ない

ということです。見た目が完全に女性ならば、公的書類の性別が食い違っていても、実際に問題になるケースは事実上、ないのです。特例法ができたことで、

性別を変えて生きていく人もいる

という事実が周知されたわけですから、「そういう人」ということに過ぎません。あえて「差別」的な言辞を弄する意味がないのです。

「差別」というのは、本質的には

本人の努力によって変えようのない事実によって、不当に扱いを変えること

と言っていいと思ってます。本人の努力で何とかなることについて扱いが違う、というのを「差別!」と呼ぶのは不当なことが多いと考えていますよ。私はすでに「変える」ことができる「公的書類の性別」を変えたわけです。「変えることができない」のはただただ「過去の経歴」です。

実際、私は表現活動の都合で、周囲にカミングアウトしてそのまま性別移行をしています。ですから「過去の経歴」をそのまま保持して、性別を変えたわけですね。つまり「過去の経歴」を変えるつもりはさらさらにないわけです。では

それが「スティグマ」になるのか?というのが性別移行の最後の関門

なのではないのでしょうか。そのテストを冒頭の銭湯で試みたわけです。

いやいや、昔のことは知識としてあっても、半分忘れているわけですね。そんなものです。今のリアリティに、過去の知識はまったく敵わないのです。

たとえば、グレて中卒で社会に出た方が、更生してIT企業を立ち上げて成功したとしましょう。もちろん自前で知識を積んで技術を研鑽して、多くの大卒社員を雇っている...そんな状況で、

オタクの社長は中卒だから、アタマが悪い!

と評する人がいたら、どう思われるでしょうね。バカにされるのは「アタマが悪い」呼ばわりをした人のほうでしょう。世の中、そういうものです。大事なのは「今」だけなのですよ。あえて過去を詮索するのは卑しい意図があると勘繰られるのが普通なのです。

だったら、私も

あのおばあさん、昔男だったという話を聞いたけど、全然そんな風には感じないなあ....

なら、誰もそんなことを口にしない方が普通でしょうね。そういう境地にそろそろ近づいてきている、と思うようにします。