この本買うのは3回目で、図書館でも一度借りています。買った最初(文庫)はタイ旅行に同行したジュリに貸したまま、2回目(単行本)は行方不明、で、3回目(文庫)。タイから帰ったら重複でも単行本を注文しようと。能町さんを儲けさせるのなら、望むところ。この文庫を持ってタイに行くつもりでいます。
書評も2回目。
とすると、やっぱり文庫版のあとがきを取りあげましょうか。
でもこの題名には、性同一性障害についての世間の風潮にちょっと反抗したい気持ちが少しあった
うんうん。気持ちわかる。
・「感動・悲劇」で自分を語るのは気持ちが悪い
・性同一性障害は「(外見が)とてもきれい、(内面も)女より女らしい」って風潮も嫌だ
ね~やはり外部は妙な「物語」の色眼鏡でこの問題を見たがるんですよ。TRA(Trans Right Activist:トランス人権活動家)もこんな「物語」に付けこむのよね。
・性同一性障害については、差別とか別にないし、かわいそうでもなんでもない
・(能町さんも私も)女性として普通に生活できるけども、そんなに外見がキレイなわけでもないし、周囲の女性たちを見回しながら「ふつうの女」をしているだけ
そういうあたりが、とくにマスコミが一切理解しようとしないあたりなのですよ。これについては、本当に絶望的かもしれないです。「ふつー」にはニュースバリューがないわけですから。能町さんがTVで一切この件に触れないのは、マスコミの「かわいそう」やら「女より女らしい」の色眼鏡で見られることへの拒絶、というのは絶対あると思ってます。
いっそのこと、性同一性障害がもっと単純に「精神病の一種」ということにならないかなあ。私は医学的根拠も何もないけども、勝手にそう思っているのです。体内の遺伝子がなんやかやで脳が女だとかなんか言われているけど、そんなのどうでもいいのよ。ウソじゃねーの。「私は世界の帝王だ」とか「私は実は宇宙人だ」と信じ込んでいる人と同じ程度に、「私は女だ」って言い張る病気なんじゃないのかな。この手の人たち(もちろん私含め)はみんな異様に「女である」ということにこだわります。そこが何より「ふつうの女」じゃないし、何よりも病気らしい。こだわりすぎて自分の体格や年齢を考えない異様な女装をしてしまったり、ふつうの女性以上にストイックに美しくなっちゃったり。だから私は、周りを見ながらうまくバランスをとって、ごくふつうの女であろうとしました。私だって絶対に女として見られたいし、オカマキャラ扱いされたら怒りや悲しさを通り越して思考停止になる。
能町さん、過激ですね(苦笑)。いやいや、「女」にこだわり過ぎてオカシくなっている人、居ますからね。オートガイネフィリアの方なんて、まさにそうでしょう?この能町さんの孤立感、というのはトランスセクシュアルの孤立感そのままです。マスコミなどで取り上げられるのは「かわいそうな人」か「女顔負けのニューハーフ」しかない....という構図はこの本が出てからもまったく変わっていません。「かわいそうな人」というのも「こじらせ」ていますし、「美にこだわるニューハーフ」も「こじらせ」ています。こんな「こじらせ」に違和感しか感じないからこそ「ごくふつうの女」であろうとする....まさに私もこの立場なのです。
そして「周りを見ながらうまくバランスをとる」こと。周囲の女性たちがそれぞれに多様な「女」をしていることを肯定し、「オトコの観念の中の女」になろうとする(オートガイネフィリア)のではなくて、リアルな周囲の女性たちと同じような「女」であろうとする。私はこの「こじらせた主観」を離れた客観的な立場にしか共感しませんし、またこの立場にしか、トランスが掴む幸福というものはないと思っています。
「こじらせた主観の女」なんてのは「宇宙人」やら「世界の帝王」なんかの仲間です。そんなものになりたくはないですね(苦笑)。「女」に対する「病気っぽいこだわり」が消滅することが、「性同一性障害」という「病気」が「治る」こと、なのです。
つまり、気持ちを正しく保つことのできるトランスセクシュアルだけが、「性同一性障害」から「治る」資格を持つのです。能町さんも私も、「治る資格」があると思ってますよ。
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