LGBT支援策に積極的な立憲民主党が、なぜLGBTに支持されないのか? 」が大変納得のいく話で、注目していた英司さんのブログをいろいろ読んでいたのですが、共感する話題が多いですね。LGBT運動の「政治主義」に違和感を持つ当事者は、別に少数派ではないのですよ。

で、同性婚の問題について、英司さんがもつ懸念も確かにその通り。




私ももちろん、同性婚の実現に賛成です。しかしね~

ただこの訴訟が提訴された際、同性婚の実現を推進する人の中に「これ(同性婚の実現)を家族という制度や概念も破壊するきっかけにできる」とか、「これをきっかけに女性解放運動を盛り上げる」とか、LGBT当事者/非当事者問わず様々な”思惑”を持った人の主張が散見されるようになって来ました。
「運動、ありき」な政治的な思惑をもった人たちに、同性婚訴訟が支えられているのならば、実は大変不幸なことなのですよ。フェミニズム(でもかなり過激なもの)の影響下にあって、その思想の実現のために、同性婚を利用する....いやいや、こんな思惑があるのが周知されれば、同性婚に賛成する人がどんどんと減っていきます。

私は、同性婚というのは「基本的人権」や「幸福追求権」に関わる極めて普遍的な議論であって、「家制度の崩壊」とか「フェミニズム」とか、(その是非は一旦置いておくとして)国民的な意見を大きく二分するような「イデオロギー」と結びつくような種類の問題だとは考えていません。
まさにその通り。同性婚を本気で実現したいのならば、「イデオロギーは脇に置いて」なるべく多くの国民が納得できるような議論の中で、実現を図るべきです。当たり前でしょうが。同性婚はプロパガンダのネタじゃありませんよ、まったく!ひょっとしたら、大阪地裁同性婚訴訟の合憲判決も、こういう「過激な主張」が嫌がられたのかもしれないですよね。

このような「政治主義者」がLGBTの代表者の顔をして活動することで、傷つけられるのが実は「LGBTの権利」だったりするのです....人権を振りかざして批判者を恫喝するような振る舞いに、皆嫌気がさしてきている、というのがもはやトレンドです。LGBT当事者として当然得られるべき権利が、LGBT活動家に邪魔されている、というのが私の印象なのですよ。いやはや。


訴訟ついでに言えば、浜松の「手術なしで戸籍変更を認めろ」という訴訟。私は全然支持できないですね。
いや実際、戸籍なんて生活の上では大したウェイトがないのですよ。身分証明なら性別記載がない運転免許証で済みますし、本当に戸籍抄本や住民票が必要なケースで、私は差別を受けた記憶もないのです。もちろん、結婚できない、という問題はありますが、これこそ、同性婚が認められれば、何の問題もないのです。

それよりも、手術要件なしで戸籍を変えれてしまうことを、女性たちが不安に思っている、という状況の方が重大です。女性専用スペースの利用を「法的女性」の場合には拒むのが難しいわけですよ。性暴力に逢わない安心できる場所、というのが女性には絶対に必要なのですからね。悪用をさせないためにも、手術要件の維持は必要ですし、また、どういう条件ならば、女性たちは「法的女性」を受け入れることができるのか?をしっかり議論して納得する必要があるのです。


当事者が限られる訴訟では、その議論が深まるでしょうか? 大きな社会的議論なしに、手術要件の見直しをするのは禍根を残します。それこそ「FtM の場合には手術要件なし、MtF の場合は必要」という話の筋が通らない半端な妥協案であったとしても、それが国民が納得するのであれば、構わないとさえ思います。

特例法ができたときに「こういう条件で、戸籍が変えられることにしよう」で合意して法律ができたわけです。その条件を判決で変更しようとするのは、法律論としては議会軽視、ということにもなります。ですから、これを認める判決が出るとも思えません。海外の状況を見ても、性自認至上主義(トランスジェンダリズム)の主張の綻びが目立ちだして、海外の悲惨な事例もトラブルも調べればたくさん見つかりますから、「人権」を錦の御旗にしたところで、どれほど通用するのでしょうか?
まあでも議論すれば、いいじゃないですか。今の風向きでは、「人権」のうさん臭さにみんな警戒しだしています。議論が広がれば広がるほど、活動家の側に不利なだけでしょう。

TRA(Trans Right Activist:トランス人権活動家)は問題が知られる前に、こっそりいろいろ変えて、既成事実を作ってしまおうとしてましたが、こういう手法がLGBTの信用を失わせるという、逆効果しか生みませんでした。陰謀めいたやり口にはもう当事者もうんざり、です。

(いやね...妙な政治主義、トランスジェンダリズムは登場の時から持ってますからね。「トランスジェンダリズム宣言」でも、「特例法は戸籍制度を前提にしているからダメ」なんて政治主義の極まったような主張がありましたからね。いかに活動家が昔から浮世離れしているか...)