いまさらの問いです。
いや、性別移行したこと、SRS受けたこと、まったく後悔していませんし、その結果に満足しているのは言うまでもないことです。
というか「結果に満足」しすぎているあたりに、逆な問題があるのでは、なんて思うのですよ。どっちかいうと昔風の「古典的変性症」に自分は近いのでは..なんて感じることも多いのです。男していた時だって、どうも周囲に「男性」として認知されづらく、身につけるもののサイズも合わないし、身体的能力も男性一般にはぜんぜん太刀打ちできない....女友達はすぐ作れるけども、気安い仲になると「同性扱い」されているのを察します。「事実上、男できてない...」というのが、自分の認識でしたが、それもやはり困るから、イヤイヤ「男のフリ」してたくらいの感覚です。
女性ホルモンを使わなくても、皮下脂肪多めのひどく女性的な身体ですから、「なんでオトコなんだろう?」とは思いながらも、自分の身体がそう嫌いなわけでもない.....スカートをはいて脚をお見せできないのが残念(苦笑)とか思ってたくらい。
ですから、「性自認」と言われても、そもそもピンとこないのですよ。あまり「男」だった気持ちもないのですが、「自分が女か?」と問われても答えようがないし、「女になりたいか?」というと、「女の方が向いている」とは思いながらも、その不利益にためらうものが大きい....困ったものです。うまく過ごせるなら、何でもいいや、くらいの気持ちでしかないですよ。
こんな私の気持ちを汲んでくれる本と言うと、能町みね子さんくらいのものなんですよ。
ほかにも「男は男らしくとか女は女らしくとか、そういう考え方って古いよね!」って、いかにも「私はあなたの仲間!」みたいに言われたり。
あのぉ私、そういう主義主張があってこんなふうになったわけじゃないんスよ。なんか、こう、楽な方に流れてこうなっただけッス。ぶっちゃけ、女は女らしくした方がいいなあ、って思ってます。ごめん、古くて。
「男らしくしなきゃ」とかそういうガンバリを止めて、「女らしい自分」を単に受け入れるような気持で性別移行をしただけのことです。「楽な方」ってまさにその通り。若いうちは「性別不詳」でも何とかなるのですが、中年になったら「男のオバサン」でしかないのです。「男のオバサン」なら「女のオバサン」の方がずっと、マシでしょう? そんな選択であるに過ぎません。このタイミングに特例法がうまく間に合ってくれたわけですよ。
身体的性別に関する悩み、という面では、だからそう大した悩みでもないわけです。「中途半端のまま」か「男になるか」だけが選択肢だったら、「男になる」を選んだかもしれないですね。でもやはりカルーセルさんの話とか聞いていますから、「女になれるかも」とそっちの可能性を子供の頃から考えていましたから、決めてしまうのももったいないか?とも思いますし、またジェンダークリニック自体が昔はありませんからね。
女性的な身体を気に入りながら、それが社会的な立場で不利にならないように、うまく環境を整えて生活していく....そんなことで過ごしてきたわけですよ。着ているのが女物なのがバレても、「サイズがないもん!」で周囲が納得して何とかなる環境ならば、文句をつけるべきではないでしょう。
だから、私のトランスの問題は、精神的な問題だと感じたことは、ありません。身体的な問題だ、ということを強く感じます。だったら、私は性分化疾患の方にずっと近いのでは.....なんてね。男性ホルモンの効きがやたらと悪い、「アンドロゲン不応症」の軽症型なのでは?
どうやら、今はアンドロゲン不応症の原因遺伝子が結構特定されているようでもあります。だったら、近いうちに遺伝子の検査をしてみたい気持ちも強くあります。ジェンクリでももちろん性分化疾患を疑われましたけども、当時は染色体の検査と血中ホルモン濃度くらいしか調べようもなかったですから、そちらで「男性型」の結論ならば、性同一性障害の診断にしかならないのです。ガイドラインが性分化疾患でもガイドラインに乗って性別移行することを容認していますから、ジェンクリとしてはどっちでもいいわけです。きっとジェンクリもそもそも追及するつもりがなかったのでしょうね。
なら再度の検査でアンドロゲン不応症の診断が出る可能性も、高いと思ってます。再診断に私がこだわるのは、「身体的な問題」をジェンクリに無視されたことへの屈託もありますけども、最近の TRA が進める「性自認至上主義」による「トランスジェンダー」という概念、またさらに TRA の面々を見るにつけ、
こんな奴らと同じカテゴリに入れられるのは、真っ平ごめん!
という思いも強くあるのです。「性同一性障害」であること、「トランスジェンダー」であること、そういう概念への違和感と、失望、そして怒りから、
性同一性障害やトランスジェンダーよりも、アンドロゲン不応症や性分化疾患の方がずっとマシだ
と私に思わせるようになってきてもいるのです。
理想や理念は実現する。しかしそれは、実現しない方が良かったのでは?と疑問にとらわれるような、最低なカタチで実現することの方が、ずっと多い
なんてイヤミの一つも言いたくもなるのですよ。
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