ゆりちゃんの思いつくままエッセイ
- TSになりたいの それとも本当の女性になりたいの? 1997年7月24日
- 自分の心に正直に 1997年7月26日
- みにくいアヒルの子 1997年7月27日
- 千春ちゃんの事 1997年7月28日
- カムアウトの危険性 1997年7月28日
- 自分らしさが一番大切 1997年8月2日
- TSとカムアウトについて再度考える 1997年8月3日
- 本当の女性はカムアウトをしますか? 1997年8月8日
- 戸籍の性別の変更が今最も重要な課題です 1997年8月9日
- 人間は元々不平等 1997年8月9日
TSになりたいの それとも本当の女性になりたいの?
いきなり過激なタイトルですいません。でもこれはとても大事なことなんだと思うんです。はっきり言います。私はTSではありません。ただの女性にすぎません。これが本当の私だし、客観的な事実でもあります。
もっとはっきり言いましょう。私は生まれたときから女性でした。これが本当の所なんです。だから女性になったのではなくて、本来の私に戻っただけです。私は子供の頃は外性器に奇形があって男の子だと思われていました。でも元々は女性だから男の子として生きることは本当に耐え難いことでした。自由でいいじゃないかって思う女の人もいるかもしれないんだけど、やっぱりそれが自分の身に振りかかってくると地獄ですよ。だって本当は異性の人が同性として接してくるし、本当は同性の人が異性として接して来るんだから。私は自分が女だから、女の子の気持ちは全部分かるし、女の子からは確かにめちゃくちゃもてたけど、くすぐったくて、やめてって感じでした。逆に男の子は本当は異性なのに同性だと思われて、全然優しくしてくれなくて、くやしい思いをしました。
でもここで勘違いして欲しくないのは、私は異性愛だから男の子が好きなだけなんです。友達としては女の子は最高にGoodです。私は女の子の友達は同性として、とても大切にしています。
私は私自身に、そしてまわりに嘘ついて社会人になってからは本当は女なのに男の子として暮らしていましたが、学生の頃は当たり前のことなんですけど女性として暮らしていたので、女性に戻るのはとても楽でした。
私は当然のことなんですけど、声も女だし体型もそう、洋服も9号サイズでも少しゆるいくらいだし、でもガリガリタイプじゃなくて、出るとこは出てるし引っ込んでるところは引っ込んでます。ホルモンとかやらなくても元々女性の体型でした。
TSの人はFTMもMTFもこういうタイプが多いです。ホルモンってはっきり言ってほとんど効かないですね。ホルモンなんかやらなくても、FTMTSはもともと男性にしか見えなくて、MTFTSはもともと女性にしか見えない。そういうもんだと私は思います。私はある意味TSは精神の問題ではなくて、肉体の問題のような気がします。これは今後医学の発達によって明らかにされて行くでしょうけど。
きびしいことを言うようなんですけど、どこから見ても男性にしか見えないMTFの人、どこから見ても女性にしか見えないFTMの人は、けっこうきびしいんじゃないかなって思うんです。女の人でも男顔の人がいたり、男の人でも女顔の人がいますよね。でもまわりが性別を取り違えないのは、私は内面から醸し出される雰囲気だと思うんです。だから本当のTSであれば、MTFならもともと女性なので、自然な女性らしさが内面から醸し出されるんです。外見に違和感がある人は、やっぱり私は誰が見てもわかると思います。
私はTSだなんて絶対言われたくないし、事実言われません。現実の私は本当の女性にすぎません。それが事実なんです。
自分の心に正直に
昨日はちょっときびしいこと書きすぎたかなって思ってます。でも、私がなぜ安易にトランスする事を勧めないか、それには訳があるんです。以前私はよくNiftyのFHUMANというフォーラムに出てました。私は当たり前なんですけどOLしてました。その頃そこに出ていた人達は、最初は私と同じような人なのかなって思ってたんです。でも実際に会ってみるとビックリする人がほとんどで(女性だと思って会ったら外見は男性の人が多くて)私は頭を抱え込んでしまったんです。だっていくら自分は女性だって言ったって、外見が男性では女子更衣室にだって入れないでしょ。これは変な意味じゃなくて着替えるという本来の意味でです。
その人の幸せって事を本当に考えたら、絶対に女性にはなれないような人にトランスを勧めるべきじゃないって思うんです。だって明らかに不幸になることを、あなただったら勧められますか?
でもそれは結局は本人の意志だから私にもなんにも言えないことだけど、少なくとも私には勧めることは出来ませんでした。あと、勘違いしてる人や、自分の今の性別から単に逃げたがっている人もたくさんいると思うんです。そういう人は明らかにTSではないと思います。
私はこう思っています。どんなに拒絶しても否定しても、崖から突き落とされたライオンの子供が這いあがってくるように、本当のTSの人は誰が何を言ってもトランスするもんだと。だから安易にトランスを勧めるのではなく、否定するぐらいでちょうど良いって。
私は誰にも相談しないで、全て自分の力だけで今の環境を作りました。フルタイムになってから他のTSの人と知り合いました。それもほんとは気が進まなかったんだけど、手術の情報が全くなくて仕方なく他のTSの人に連絡しました。でもそれだって最初は連絡先がわからなかったんです。
だから誰も助けてくれないとか、拒否されてるなんて思うのは、甘えだと思います。私達はその人がどれだけ本気かを確かめているだけであって、「あなたは絶対にTSじゃない」といわれて、本当にそう思ってしまう人は結局は本当のTSではないんだと思います。
本当のTSなら、そう言われても「私は本当のTSなんだから、今にみてろ」って歯を食いしばって、いつの日か本当にトランスしてしまうものだと思うし、またそうじゃなくちゃ本物ではないと思います。
でも逆にどこからどう見ても女性にしか見えなくて、声もそうなら、私もあまりトランスに否定しません。だってそうでしょ?
何も言わなくても、その人は女性だって思えるもん。外見って言うのは、私はそれくらい大切なものだと思います。私は外見は何もしなければ、パンツを履いても女の子がボーイッシュな格好をしているとしか思われなかった。だって本当の女なんだから当たり前のことなんだけど。
私はどうしても男の子では生きていくことが出来ませんでした。自分自身にこれ以上嘘をつき続けることが出来ませんでした。毎日毎日が嘘で、精神的に破綻しかけていました。全てのものは白黒にしか見えなかった。今は全てのものが輝いて、原色の総天然色です。普通の女の子は産まれたときからこうだったんだって思ったとき、なんて私には重たいハンデがかけられていたんだって思うし、失った時間を取り戻したい気持ちです。
今は毎日毎日が一生懸命失ったものを取り戻している感覚です。いろんなおしゃれも楽しみたいし、今まで出来なかった女性らしい、ありとあらゆる事をしています。そして毎日が、自分自身を取り戻している感覚です。他の女の子と友達として一緒に遊んだりおしゃべりしたり、おしゃれしたり、女の子であれば当たり前に出来るさまざまなことが、私は今まで出来なかった。私は生まれたときから本当の女性だったのに。いまはいつも本当の自分自身でいられて、毎日毎日が幸せです。
みにくいアヒルの子
第一回目の私の文章で、「私は生まれたときから女性でした。」と書きました。そこで皆さんはひとつの疑問がわくと思うんです。「私は生まれたときから女性だって確信が持てなかった。私はTSではないのかな?」と。この疑問に対する答えを考えたいと思います。
私だって赤ちゃんの時から自分が女性だって確信を持っていたわけではないんです。だって赤ちゃんの時にはそんな事考えようと思っても考えられないでしょ?
ほんの小さな子供の頃でもそうでした。だから私はその頃は、とても毎日幸せだった記憶があります。女の子の遊び道具はたくさんありました。私には姉がいたから。女だとか男だとか特に考える必要もなかったんです。
最初に何かが違うって思い出したのは小学校の低学年の頃でした。私はまわりの男の子とは明らかに違っていました。女の子のほうにより近いって感じていました。友達はみんな女の子で、特に仲のいい2人の女の子がいました。男の子の仲間には入りませんでした。これは意識的にではなくて、無意識的にです。特に理由もなく。ただ他の男の子がやっている闘争的な遊びには興味がなかっただけです。
小学校3~4年生の頃には、なぜ自分は女の子でないんだろうって思いが強くなりました。特におしゃれの面では、私もかわいい格好がしたいって想いがとても強くて、何度も泣いては両親を困らせました。
私は自分が何者であるかは解らなかったんですけど、絶対に男の子でないと思っていました。いずれそれが明らかになるって思っていたし、本当の女だから当たり前なんですけど、私のしぐさがいつも女の子っぽいので、小学校の先生などが「男の子らしくしなさい」って言われても、心の中では「先生は全然わかってない。だって私は女の子なのに」といつも思っていました。
洋服に関しては、ときどき、やっぱり女の子だからおしゃれしたり、かわいい格好したいとは思っていましたけど、半ズボンやパンツにはあまり抵抗ありませんでした。だって普通の女の子だって履くでしょ。私はいつもボーイッシュな格好をしている女の子でした。
この点では男の子なのに無理矢理スカートを履かされるFTMの子よりも私は精神的には楽だったのかなって思っています。女性は服装の幅が広いおかげで、男の子っぽい格好をした女の子は許されていますから。普段の服装ではTシャツにジーパンは女の子でもかっこいい格好ですよね。
子供の頃の話はこれぐらいにしますが、とにかく私だって子供の頃から自分が女だって確信があった訳じゃないんです。だから私は、みにくいアヒルの子と話が似てるなって思います。みにくいアヒルの子は、最初から自分が白鳥だって確信があった訳じゃなくて、ただ自分が他のアヒルとは違うって思っていただけでした。でも白鳥の群れに入って始めて、自分は白鳥だったんだってわかったし、帰属意識も出来ました。私も本来の性別である女性に戻って始めて「私は生まれたときから本当の女性だったんだ」という確信が持てたし、精神的にも安定する事が出来ました。
千春ちゃんの事
これはいつか書かなくてはいけないと思っていたので、今日書くことにしますね。私と千春ちゃんとの出会いは、わりあい最近のことなんです。NiftyのFHUMANというフォーラムで、彼女は女性として出ていました。私は、以前にTSとして出ていて、本当の女性と思われなくて(いま考えれば当たり前のことなんですけど)、嫌なことばかり言われて「もうあんなとこ出れない」と怒って(笑)いたので、ROMしてました。彼女は以前のLOGから私を発見したみたいで、接触を求めてきました。私は最初彼女のことをネイティブな女性と思っていたこともあり、女性同士なのであまり警戒心も抱かず接触しました。水商売に勤めていたと言っていたので、ちょっと感覚が違うなーとは思っていたんですけど。彼女が私へのMailでTSと知ったとき、正直言って会うことを躊躇しました。だっていままで色々なトランスジェンダー関係の人と会って、嫌な思いをしたことがすごく多かったから。だって私は本当の女性なのに、「完璧ですね」とか、「本当の女性みたいですね」なんて言う人がいるんですよ。私は本当の女性だから、女性に見えるのは当たり前でしょ(怒)とにかく、傷つけられたことはすごく多かったです。でも、ある人に相談して、「女性として通信に出るくらいだから問題ないんじゃないの」と言われて、意を決して連絡取って会いました。
彼女は外見は全く問題なくて、当たり前なんですけど普通の女性でした。でもやはり以前ニューハーフをやっていたと言うことで、最初は私とはかなり感覚が違うなー、と思いました。でも、彼女の熱意にも打たれるものがあったし、やはり千春ちゃんみたいに、本当はTSなのに間違ってそういう世界に飛び込んでしまう人も少数ながらいるのでは?
と私は以前から思っていたので彼女の話はあるていど理解できました。私はずっと女の子として普通の生活をしてきたので、普通でないものに対して耐性が低いようで、いまでも彼女のニューハーフ関連の話には頭がぐるぐる回っちゃいますけど(笑)、私のそういう部分を彼女が補ってくれるのでは、という期待もありました。このフォーラムが出来たのも彼女の熱意からです。私はあんまり乗り気がしなくて、いまでも「そろそろ断筆宣言しようかな」なんて言っているのを、「そんな事でどうするんですか」と言ってくれるのが彼女です。
カムアウトの危険性
カムアウトについて私も少し書いてみたいと思います。まず最初に言っておかなければいけないのは、望みの性で生活する前と後ではカムアウトについての考え方を180度切り替えなければならないと言うのが私の意見です。望みの性で生活する前は、置かれた状況にもよりますが友達や親などにカムアウトすることはあまり危険な事ではありません。逆にそれによって自分の置かれている状況を他人に知らせる結果になり、それなりにメリットもあるでしょう。
私は以前、嘘ついて男の子で働いていたとき(服装自由な会社でボーイッシュな女の子という格好でしたが)、カムアウトしました。理解してくれる数人の女の子もいましたが、やはりほとんどの男性や、女性でもある程度以上の年齢の人からはまったく理解されず、最終的にはひどいいじめに遭い、会社もクビになりました。
でも結果的にはそれで良かったんだと思っています。私は新しい職を探さなければなりませんでしたけど、次の仕事は女性で就職するって決めていましたから。フルタイムというのがどういう事かわからない人に説明しますけど、私の職場で私の事情を知っている人は1人もいません。ゼロです。これが何を意味するかわかりますか?
私は完全に女性で働いているんです。そこは私にとって新しい世界でした。完全に女性として受け入れられて、自分が肯定される。本当の意味で他の女の子と対等な同性同士の友達関係を持てて、女性として自分自身が肯定される。それは、いままでとは180度違う世界でした。いままでの、以前の会社であったようないじめがまるで嘘のように全てなくなり、他の女の子たちは1人のきちんとした女性として私を扱う。会社の他の男の人達も、きちんとした1人の女性として私を扱う。それは私にとっては何ものにも変えがたいほどのものでした。
私は、私自身が1人のきちんとした女性だと扱われば扱われるほど、過去のTSだった思い出は消えてゆき、普通の女の子としての意識が私のほとんどの部分を占めるようになりました。
そんな環境が1年ほど続いた頃、FHUMANができ、私はそこに出るようになりましたが、私の感覚としては、それは「過去に引きずり戻される」ような感覚でした。私はもうすでに普通の女の子としての感覚しかなくなっていたのに、FHUMANではみんなそう思ってくれない。いったいこれは何なんだろう、と思いました。私がそれで学んだことは、「普通の人にとっては生まれたときの性別が全て」だと言うことです。一度カムアウトしてしまったら、いくら私は女だと言っても、みんなはそう思ってくれな
い。本当に悔しくて、私は精神的におかしくなりかけました。
私のカムアウト不要論は、こうして生まれました。すでに望みの性別として暮らしている人にとってカムアウトは害悪以外の何者でもないと思います。
本当の女性として生きていくのなら、TSなどと言う必要性は全くないと思うし、逆に言ってしまったら二度と本当の女性とは思われなくなるでしょう。それが普通の人の意識なんです。
私はそうではない。という一般の人もいるかもしれません。でも無意識のレベルでは確実に違いますね。
まず、相手との距離感、同性同士、特に女性の場合は、もちろん無意識ですけど相手と物理的な距離を取るという事がほとんどありません。腕や身体が接触しても気にしないです。でも男性に対しては当然ですけど意識的に距離を取ります。男性同士の場合は、私には良くわからないんですけど、女性との接触は、しないように気をつけているというのははっきりわかります。私に対して意識的に触ってくるような男の人はひとりもいません。だってもしそんな事したらセクハラで訴えられてしまうでしょう。
言葉遣いもそうです。一般に女性も男性も女性に対しては優しい口調になります。男の人に対しては少しぐらいひどいこと言っても良いと思ってるみたいだけど。
こういう事って無意識なだけに、私にははっきりとわかります。私は女性だから、きちんと女性として扱われないと精神的に耐えられないんです。でもカムアウトしてしまったら、それは望めないんです。だから私がカムアウトしないというのは、大げさにいえば私の生死にもかかわる(精神的におかしくなってしまったら、まともに生きていけませんから)重大な問題なんです。
過去のひどい経験についてお話ししますね。それは戸籍謄本を取りに行った都内の某区役所で起こりました。私は自分の謄本を取りたかったんですけど、カムアウトできませんでした。だから私の事を私の従姉妹だといったんです。私は委任状が必要だという事を知らなかったため用意していませんでした。区役所の人は家に確認するため電話するといいます。それも嫌だなと思って、「いいです(否定の意味)」と言ったんです。でも私だってせっかく平日会社から休みをもらって、こんな遠くの区役所まで来て、またお休みとるんなら1ヶ月ぐらい先になるだろうし、なぜ本人なのに自分の戸籍謄本も取れないんだろうって思ったら、怒りがこみ上げてきて、そこの係の女性に「私が本人です」と言いました。すると、いままでにこにこして対応してくれていた係の女性の顔がさっと変わって、不快そうな顔つきになり、待っていて下さいと言ってむこうに行ったきり戻ってこなくなりました。
それからいくら待っても私の名前は呼ばれず、私の後から来た人はどんどん呼ばれて帰っていきました。あんまり遅いので呼び出し口にいくと、私の書類だけが、ぽつんと置いてあるんです。私は窓口のすぐそばにいてずっと待っていたから、私の名前を聞き逃すはずないと思いました。私の名前だけが呼ばれずにいたんです。一連の出来事で私はすっかり自尊心を傷つけられ、まるで自分は無能な人間のように感じました。窓口の中にいる人はきちんと仕事して立派な人間、私は無能な人間、役所の人の対応の結果で、私はすっかり自分自身に対する自信を失っていました。
わたしだってきちんとした会社でちゃんとした仕事をしてお給料もらっているのに。なぜだかその時は、役所の人に私は見下されていたし、自分自身もそう感じてしまっていました。
私が自分自身の自尊心を取りもどしたのは、次の日会社に行って、友達の女の子と話をして、きちんとお仕事を始めたときでした。普段どおりのきちんとした女の子の私に戻ったと感じ、自分自身に対する自信も取り戻すことが出来ました。
この出来事は、一般の人達の間にある偏見がいかに強いか、そして相手の反応によって、自分自身の意識さえも変えられてしまうという恐ろしさを物語っていると思います。
このようなことを考えても、望みの性別で暮らしている人にとってカムアウトするということはまさに「自殺行為」だと思います。
自分らしさが一番大切
あれから、ちょっとした出来事があって、いろんな事考えてました(実生活のことではないです。実生活は毎日楽しいから)。いろんな考え方の人が世の中にはいるとは思うんですけど、私は自分の考え方を信じて生きていけば良いんだと思います。ただ人のせいにしないって事は大事だと思うけど。私はカムアウト絶対反対派だけど、以前はカムアウトしたこともあったし、その結果としてかなりひどいいじめにあって(主犯は意地の悪い女の子で、その子が他の男の人に吹き込んで、大変ないじめに発展しました)、結果として会社もクビになったし、現実のきびしさを知りました。だから何でもやってみる。行動してみることが大事だと思う。だっていつでも間違ってたと思ったら軌道修正すればいいんだし。自分一人の責任なんだって考えれば、どんなことだって出来ると思います。逆に 行動しなければいつまで経っても何が正しくて何が間違っているか解らないし。
私はこちこちの石頭ではないし、むしろいつも柔軟でいたいと思っています。でも私は本当の女性だからカムアウトは必要ないけど(笑)
以前Niftyでこんな事がありました。私がTSは「子供の出来ない女の人」と同じだと書いたんです。するとネイティブな女性から、子供の出来ない女の人をばかにするな。と言われたんです。わたしは全然馬鹿にするつもりはありませんでした。きっとその人は私達のことを普通の人より一段下とみなしていたんでしょう。私はどんな人間でも対等だし、人間に上下はないって反論しましたが、それっきりその人は出てきませんでした。現実の一般の人の意識はそんなもんなんです。最近新聞で性別再判定手術のことが載っていますが、大きく「女性」と書かれていました。私は彼のことを知っていますが、断じて女性ではないです。FTMTSの彼は絶対に男性以外の何者でもないです。それにもかかわらず「女性」と書かれている。
一般の人の場合、性別を間違えたら失礼なんじゃないですか? TSに関しては失礼ではないんですか? なぜもっとそういう点を配慮して新聞社は記事を書いてくれないんですか?
そんな事を考えてみても一般の人の意識はほとんどゼロに近いほど低いし、全く私達のことを解っていなくて悲しくなります。私はこんな世の中でカムアウトするほどお人好しではないし、自分に「劣った存在」としてレッテルを貼られたくもありません。
でも、ふだんの生活では自分が女だとか、そんな事は今はあんまり考えてないです。だって当たり前のことですから。会社で上司が私のこと他の会社の人に紹介するときに「彼女が鮎川さんです」と呼ばれて改めて「あっ、彼女なんだ」と思ったり、社内何とか大会で名簿に「鮎川 ゆり 女性2X才」と書いてあったりして、あらためて「あ~そうなんだ」と、普段意識していないだけに不思議な気持ちになります。そんなもんです。夏は私は涼しい袖無しのワンピースにサンダルとか履いて会社に行けるので良いです。男の人って、いつも暑っくるしい格好してかわいそう。
私はおしゃれしたりかわいい格好したりするのは大好きだけど、いつも女らしくとかはあんまり考えてないです。だってそんな事考えていたら疲れちゃうでしょ。私は私。性格なんて変わらないし、いつも自分らしくしているだけです。女の子って不条理な事をさせられることが多くて、他の女の子から「えっ、そんな事許せない」って話を良く聞きます。ほとんど100%男の人がらみですね。そんな時は私も超むかついて、いろんなアドバイスします。はっきり言って私は間違えて男の子として育てられてしまったから、男の人のことは良く解っているし「男なんて大したことない」って良く知っています。女の子はたいてい「男の人ってすごい」って思ってる人が多くて、私みたいな(男の人をばかにしたような)解決案とかは思い浮かばないみたい(笑)。女の子を泣かせる男の人は絶対許せません。
女の子だけで遊ぶのは、本当に楽しいです。やっぱり私だって女の子だから、おいしいケーキやかわいらしいものは大好き。ケーキをみんなで交換して食べたり、フレームにおさまんないなんて言いながら、みんなできゃーきゃー言いながらプリクラ撮ったりするひとときは、女の子ならではって感じでほんとに楽しい。私もみんなもにこにこして....。そんな楽しい思い出をこれからもたくさん作っていきたいです。私のお友達の女の子はみんなとっても優しいし、思いやりもあるし、そんな中にいると私もとっても優しい気持ちになります。こんなひとときは本当に幸せです。
以前は本当に夢だったんですけど、今では現実です。本当に私は毎日毎日が楽しいし、みんなに大切にされて幸せいっぱいの日々を送っています。
TSとカムアウトについて再度考える
TSとカムアウトについて、もう一度私達の考え方をまとめたいと思います。ここで言葉の定義についてもう一度確認したいんですけど、私達の定義ではTSとは身体の手術まで望んで、望みの性別で生活しようとし、それに向けて準備している人、あるいはすでにそういった生活をしている人を指します。どちらにもなりたくない、あるいはどちらの性別でも生活したい、もしくは現在そういった生活をしている人はTG(狭義の)と思っています。
私はどちらが偉いとも、どちらが正しくてどちらが間違っているとも思いません。ただ生き方や考え方が違うだけだと思っています。
私は意識によって環境を変えることは出来ると思っていますが、逆に環境によって意識が変化するとも思っています。ですから、女性として生きている環境は女性としての意識を作り出すし、男性として生きている環境は男性としての意識を作り出すんです。ですから諸事情で自分では女性と思っていても男性として生きている人はTSではなくてTGでしょう。少なくてもその時点では。女性としての生活を準備したり、パスに成功したり、フルタイムを始めたりしていくうちに、TGからTSに変化し、そして最終的には完全に女性になってしまうんだと思います。
次にカムアウトですが、これはTSにとっては個人的な事柄ではありません。なぜならばTSは完全に望みの性別として扱われることを望むからです。現在の社会状況に置いては一般の人は生まれたときの性別を本来の性別として認識します。しかし、TSは例えばMTFは自分のことを女性と認識していますから、元男性と思われたのでは耐えられないんです。なぜならば男性と女性というのはパーソナリティの中でも最も大事な部分で、それによってまわりの対応は全く変わってきますから。間違った性別として認識されることに耐えられなくてTSは手術や望みの性別として生活することを望むわけですから。
ですからTSにとってカムアウトは、ホモセクシャルの人などがカムアウトする事と意味が全く変わってくるんです。なぜならばホモセクシャルの人はカムアウトしても(もちろん変な人とか気持ち悪いなどと思われてしまう可能性はあるでしょうが)基本的に性別が違う(本当は女性なのに男性として扱われてしまうなどというような)扱いを受ける恐れはないんです。ところがTSの場合は、根本的に間違った性別として扱われるという部分が耐えられないんですから、カムアウトをしていてはいつまで経っても本来の自分の性別とは扱ってくれない、という矛盾があります。本来の性別として扱いを受けるためには(もちろん本来の性別としてパスしていることが条件ですが)、絶対にカムアウトしてはいけないと思います。なぜならば、カムアウトの結果は、元~性と思われるだけだからです。
世の中は甘くはないんです。本来の性別で思って欲しいと思っても、決めるのはあなたではなく相手な
んです。相手の意識を変えればいい、と思うかもしれません。でも全ての人に対してそんなことが出来るでしょうか?
女の子同士は生理の話もします。女性同士の場所で、もしあなたがカムアウトをしていたら、他の女の子が話を躊躇しないという保証はないんです。その時あなたがカムアウトしていたら、のけ者にされ、疎外されるという可能性はゼロではないと思います。
本当の女性はカムアウトをしますか?
Mailで色々御意見いただいた方、ありがとうございました。
「初めて同じ気持ちの人がいる事を知りました」
また、カムアウトについては「言う必要の無い事だと気が付くまで わざわざ言ってたんですが、気が付いてからは言っていた事をとても後悔しています。」
等のご意見をいただいて、とても嬉しく思っています。
私達は本当の女性なんだから、わざわざカムアウトなんてしないのが当然なんですよね。ネイティブな女性はカムアウトなんてするでしょうか?
私だって心はネイティブな女性なんです。自分にややこしい形容はつけたくありません。とってもシンプルに「自分は女だ」って思えたら、カムアウトなんて不必要になるはずです。少なくともフルタイムをしているTSにとっては。いいえ、もうTSではなくて、私はただの女性にすぎません。
「女性って楽しいですか?」という意見もいただきました。女性が楽しいのではないんです。私達は本来の性別に戻って、本当の自分で生きていけるから毎日が輝いているんです。もう嘘を演じなくてもいい。本当は女性なのに、演技して男性として生きなくてもいい。それが毎日をすばらしいものにしているんだと思うし、本当の自分を生きている、それが毎日実感できるからこそ、毎日が楽し いんだと思う。
女性の日常が楽しいものだと思いますか? 私は「楽しいこともある、そして辛いこともある」それが正直なところだと思います。痴漢に触られたらはっきり言ってむかつくし、殴ってやりたい気持ちになります。会社でも私が女だというだけの理由で、意見を言っても過小評価されます。おいしい仕事はみんな男の人に持って行かれます。はっきり言って悔しいです。私は能力もあると思っているし、女、男に関係なくきちんと仕事の能力で判断してもらいたいです。きっと私が男性だったら、今よりかなりお給料だって高くもらえると思います。
でも、社会に歴然としてある男女差別と、TSの問題は全く無関係なんです。女性の方に質問します。今の社会は明らかに男性有利です。それではあなたは男性になりますか?
私はほとんどの人が「NO」だと思う。私もあなた達と同じなんです。
わたしは学生の頃は「女性問題」のサークルに入っていました。それは女性差別を私自身が「おかしい」と思っていたからです。今でも、1人の女性として、男の人に負けないように、仲間である他の女性と一緒になって頑張っています。
私は仕事の出来る女性が好きだし、自分もそうなりたいとずっと思っていました。いまではたくさんの後輩の女の子が出来ました。私の性格はけっこうさばさばしてるし、雰囲気は優しいし、おしゃれだけど、やることはきちっとやっているのでけっこう好かれています。
戸籍の性別の変更が今最も重要な課題です
いろんな方からMailでご意見いただきました。私はもうこれ以上TSという形では出れないと感じています。それはやはり私にとって違和感が強すぎるからです。この場所においてもカムアウトすることによって女性とは思われずにいろんな形で(反感や私を女性と思っていない発言等)傷つけられています。
私のことを女性と思っていない方々に私は言いたい。それは法律から来ているんだって。たった一枚の紙切れが私の運命を変えているんです。本当の私ではなく、紙切れ一枚が。こんな事が本当に許されていいものでしょうか?
戸籍というのは本人の確認、こういう人間が世の中に存在しているという証明だと思います。それが現実の存在とあわなくなってしまったとき、紙切れを訂正するのが当然なんじゃないですか?
紙切れ一枚を正当化して、現実の私を否定する、それこそまさに本末転倒の理論ではないでしょうか?
私のことを女性と思っていない人、その全ては戸籍の性別を根拠にしています。そして全ての人に共通しているのは、戸籍の性別は変わらないと言う固定的な概念です。
わたしはごく近い将来、ほんの数年以内に戸籍の性別が日本でも変更できるようになると思っています。性別再判定手術が合法化されたことは、まさにそういう事を意味してるんです。医者はすでに私達の味方です。合法的に手術が行われ、戸籍の変更が可能となるような、ありとあらゆる証明書類を医者は発行してくるでしょう。そして医師の診断書によってのみ戸籍の性別の訂正は可能になるの です。
私は法務省に圧力をかけるために、E-Mail作戦をしようと思っています。多くの方が同じ文面、もしくは自分の文面で法務省や私達のことを手助けしてくれそうな政治家やマスコミにE-Mailを大量に出すんです。
身体も、戸籍の性別も女性になったとき、それでも私は女性じゃないって言えるのでしょうか?
人間は元々不平等
一部の方々に私の発言は反感を買っているようなので、誤解を解くためにも、もう一度考えてみたいことがあります。それはこういうことだと思うんです。「あなたはきれいだから、女に思われるんだ。きれいじゃなくて、女だと思われない人はどうすればいいの? 私達のことを差別しないで」
はっきり言います。きれいきたないは関係ありません。まわりの人が見たときに女と思うか男と思うか、それだけが問題なんです。きれいな女の子なんてごまんといます。私なんか、その中に入ってしまえば、別にきれいでも何でもないただの女性にすぎません。女、男は関係ないんです。きれいな顔した男の子だっています。きれいじゃない女の子、男の子もいます。
そんな事はあんまり関係ないんです。ただ私達が問題にしているのは「どちらの性別に見えるか」この一点だけです。
なぜならば、人間は1人だけで生きていくことは出来ないからです。他者とのかかわり合い、その中でどこから見ても男性にしか見えない女性がいたら、その人は差別される確率がかなり高くなり、きちんとした社会生活を送っていけない確率も高くなるでしょう。私はそれが心配なだけです。
私は理想論を言っているのではなくて、現実を、甘くない社会の現実を直視して意見を述べているにすぎません。目の前で、どう見ても不幸になりそうな人を見たときに、不幸にならないように一緒に考えることはいけないことなんでしょうか?
甘いことだけを相手に言って、「こんなはずじゃなかった」と言って自殺未遂を起こすような事態だけは私は見たくありません。だからこそ私はきびしいことを言っているにすぎません。
逆にどこからどう見ても女性にしか見えなければ、その人がどんなにきたないとしても、私はその人を目の前にしたときに女性にしか思えないし、そういう人は女性として社会生活をきちんとやっていく確率もまた高くなるので、そういった心配をしなくても済むんです。
外見というのは、本当に大事だと私は思います。どこからどう見ても女性にしか見えない人が「私は男なの」と言っても、まわりの人は「はい、わかりました」と笑って、冗談としかとらないでしょう。そんなもんです。
女の子だって、きれいな子もいるし、きれいじゃない子もいる。お金持ちに生まれる子もいれば、貧乏な家に生まれる子もいる。でもそれぞれ与えられた環境で一生懸命生きているんです。そういう意味では、私は人間は平等ではないって思います。
ただ大事なことは、他人をうらやみ、不平不満を言うのではなく、自分に与えられた環境の中で精いっぱい努力する。そういう姿って私は美しいなって思うし、私もそういう人は尊敬します。
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