私の立場というのは、まさにタイトルの通り。まあ、周囲も知っている人は知っているので、「埋没」かどうかは微妙かもしれませんが、同世代の女友だちが、後になってトランスの話を耳にしてビックリする、というのが普通で、それでお付き合いの態度を変えるという人もいない....なら「埋没」みたいなものでしょう。

生きていくには大変メリットの多い立場なので、自分としてはラッキーだったとは思います。まあでも、男してたときは悲惨でしたよ。どうしても「男扱い」してもらえませんからね。でもね...いやセクシャル・マイノリティ運動だとこれが強烈なハンディキャップ(苦笑)になるわけです。昔G-フロント関西に関わっていたあたりでも、やっかまれていたのか、私を妙に敵視するトランスがいましたしね。ですから、当時から「LGBT運動なんてロクなもんじゃない」とは思ってました。コジらせている人多数で、運動を離れてお付き合いしたい方なんてごくごく少数。
仲のいい女の子が妙にこの件に関心を持って、そういう集まりに出てみようか?なんて相談を受けたことがありますが、「オカシな人しかいないよ」と全面的に反対したことがありますよ。ですから、情報収集をして、自分の問題にそれなりに決着を付けたら、もう関わるメリットがゼロになりました。ネットの情報もまだ少ない時期ですから、それなりに役にはたったわけですが、イヤな思いをした記憶の方が強いです。

まあですから、TRA大嫌い、も頷けるのでは? この経験でよくわかったことと、というのは、要するに

パスするかしないかで、一言にトランスと言っても、利害が大きく異なる

ということです。パスしない人自体を貶めるつもりはありませんが、それでも利害が異なる、というのは客観的な事実として指摘せざるを得ないのです。それこそ、私みたいなパスする人は、単に手術を受けて戸籍を変えるだけで、問題のほとんどが解決します。パスするならもうツッコミどころがないわけですからね。単に移行後の性別での生活をエンジョイすればいいだけです。社会運動をする必要なんて、まったくないわけです。

しかし、パスしない人は、社会運動が必要です。問題が「戸籍」とか「ジェンダー」とか、ややこしい方面に亙った問題だ、というのが問題をコジらせます。パスする人にとっては、特例法が戸籍制度を前提にしていることを、それ自体として批判する必要はありません。戸籍制度への賛否が、特例法への賛否に繋がること自体、ナンセンスとしか感じられないのですよ。しかし、パスしない人は「戸籍制度反対」を特例法に反対する根拠に持ち出したわけです....社会運動=サヨク運動に流れていくわけです。トランスの問題について「天皇制反対」を叫ぶメリットが、どこにあるのでしょうか? 単にサヨク活動家の間でチヤホヤされたいだけではないのでしょうか?

もちろん、トランスの問題を解決するために「戸籍制度に反対する」というのは迂遠きわまりない議論ですし、現状を見る限り、この見解が多数派となるのは遠い将来でしかないでしょう。こんな倒錯に私はかかわりたくないですよ.....さらに「ジェンダー解体」を叫ぶ過激なフェミニストと連携することにもなるわけです。これが「性自認」問題の出発点ということになります。「ジェンダー解体」という観念で、トランスの社会運動と過激なフェミニズムが一致するわけです。

パスする人々は、社会的分業やジェンダーを擁護するわけではありませんが、それを解体したいわけではないのですよ。いろいろ不満はあっても、それはシスジェンダーの人々と大差があるわけではありません。それなりに、いいところ、悪いところをサバイバルとして「うまく」乗り切ろうと思っているだけのことです。
もちろん、女性の場合にはやはりフェミニズム、という概念は避けては通れないわけで、女性の社会的地位を向上させることに異論はなくても、観念的な「ジェンダー解体」には大いに異論がありえます。女性の立場はやはり弱いものがあるために、それなりの保護は当然に必要なのであり、「ジェンダー解体」によってそういった保護を不要とするのなら、賛成するフェミニストは少数派でしょう。

としてみると、LGBT運動の中でも、Tの社会運動というものが、過激なフェミニズムと左翼運動の相性がよく、現実には社会全体での支持を得ることが難しい運動だ、ということにもなります。一言に LGBT と言いましたが、男性同性愛であっても、ゲイカルチャーにはまったく親近感を覚えずに、「ゲイ」という呼称に抵抗を感じる人もいますし、レズビアンであってもトランス排除を掲げる TERF だっているわけです。LGBT運動、と一括りするのは大きく問題ですし、TRAの立場が実際に LGBT 運動の中で、どれほど支持されているのかは微妙なところでもあるでしょう。TRA が過激な立場を主張すればするだけ、LGBT 運動にはマイナスだ、と考えるゲイやレズビアンが声を上げだしたら....いや、LGBT運動の解体、といった局面が生まれるのかもしれないのですよ。いわゆる「Drop the T」ですね。LGBの側で、「Tは性指向の問題でもないし、厄介者だから、外したい...」と考える人々もいるわけです。

ですから、私の立場である「完パス埋没工事戸変済」というのは、LGBT運動に加わる理由がそもそもないわけで、極左的な TRA ともまったく相いれない立場でもあるわけです。「パスしない人たち」の考えることは、分からない...というのが、正直な本音でもあるのです。この人たちには特例法という法律ではなくて、まさに「社会運動」が必要なのは理解できますが、今の TRA の運動は害悪しかありません。私たちをTRAの口実に利用しようとするのならば、それには全面的に異を唱えます。

この人々の利害と、私たちの利害は、異なります。運動として、一緒にやる利益はありません。