さて、大阪の住民投票の結果が出ましたね。否決でほっとしています。

おばさまが子供の頃、「日本でいちばんえらいのはだれ?」って子供の質問には、「そうりだいじん!」とかそういう答えが普通だったわけですが、たぶん今の子供たちは、そういう答えをしないと思うんですよ。大人だってね、「政治家が社会のリーダーだ」とマトモに信じている人が、どれだけいるでしょうか?
いつ頃からそうなってきたのでしょうね.....とはいえ、これがおばさまには「悪いこと」だとは思えないんです。社会が成熟してきたからこそ、「市民に未来の方向を示して見せる」という役割自体が成立しなくなってきている、ということなんだと思うんです。欧米キャッチアップで事足りた昔はいざ知らず、未来は政治家ゴトキが、役人ゴトキが予測可能なものだと思っていますか? コロナにさえまともに備えることもできず、また未だに「原発の輸出ができたらな~」なんてボケた立場を擁護する政治家に、未来を予測する能力があるとは、とってもじゃないですけど、おばさまは思えないんですよね。ですから、政治家の役割は、もはや未来に国民を引っ張っていく先導者「リーダー」ではありません。

だから、この都構想への抵抗感というは、「政治が力を持ちすぎる」ことに対する抵抗感でもあるわけです。学術会議への干渉に「イヤな感じ」がするのも、同様に「政治家がもはやリーダーではないのに、強権的に振る舞う」のに、拒絶感を感じる、ということなんだと思っているんです。つまり行政は、「利害を調整して、なるべく多くの市民が納得するようなサービスを提供する」で、必要十分であって、「未来や将来ビジョンを市民に示す」なんてとんだお節介だと思っていませんか?
世の中は政治家、少なくともニッポンの政治家の思惑の外側ですでに動いてしまっています。政治ができることなんていうのは、その動いてしまった世の中へのせいぜい追認くらいのことなんですよ。「夫婦別姓の容認」に未だに抵抗する政治家、「配偶者控除の維持」に頑張る政治家、「脱原発」に抵抗する政治家....と見たら、政治家というもの自体が、「世の中の障害」になっているとしか、おばさまには思えないんですが.....

逆に「政治の今後」を考えるのならば、やはりオードリー・タンの方向性なんです。行政には何の秘密もなく、完全に公開されてアクセス可能で、政治家・役人が「情報を集約して独占する」ことで優位に立つことを防止する仕組みを作り上げる....行政とは公開されたサービスの総体でしかなくて、そのサービスへの提案・批判・改善を、利用者ベースで可能にするようなシステムが、行政の理想に今後なってくるようにおばさまは願っています。そうなれば役人はこのシステムの「善意の管理人」にすぎませんし、このサービスについて有益な意見を述べることができる人が、政治家の役割を果たすだけのことでしょう。
いやこのモデルはすでに台湾でかなり有効だと示されましたし、プログラマとしての立場で言えば、「オープンソース革命」で世界が大きく恩恵を受けている「すでに成功したモデル」だ、ということさえできると思っています。

(余計な思い出話をすると、例の特例法の時に、おばさま大島俊之先生の近くにいたこともあって、いろいろお話を伺ったのですが、「とにかく自民党の保守派を黙らせる」という戦術目標で動いていましたね。民主党とか共産党に話を持っていけば、もちろん特例法に賛成してもらえるのは分かっているのですが、「民主党や共産党が提案した法案だから反対!」と自民党保守派が拒絶反応を起こすのが目に見えています。だから公明党や自民党の女性議員を介して話を持って行った....なんて話でしたね。いやはや、政治家というのは邪魔モノ以外の何物でもないようなものですよ)