さて、大阪は初日。朝イチの上映で、観客10人ちょっと。意外に話題にならないんだね、という印象。

おばさまとしては、「性別ゼロ」の方にずっと関心があったんだけど、いや上映時間84分のうち、70分ほどは「自分がFtM GID だと主張して、男性名への変更・ホルモン・脱胸・SRS・戸籍変更まで突き進む話」なんですよ。突然の黒コマが入って、「実は今は...」となってしまい、女性ホルモンを摂取して、見た目も女らしく戻ってしまい、名前もさらに女性でも通用する名前に再変更して...で、「声優になるんだ!」なんて言ってたのも、ポエム書いてアクセ作って...と「性別ゼロ」かもしれないけども、何か「うまくいってない感」というか、「社会性が低下」しているような状況が10分ほど示されます。ポエムとか生活できるほどの収入にならないでしょ。それでも「性別をなくして後悔してない」と言っていますが....
まあ、「男になる!」って頑張ってた頃でも、雰囲気が女性的でしたしね。しっかり筋トレして筋肉付けたらいいのに...って思って見てたくらい。ヒゲも生えてたかどうかしら?

おばさま、どうも FtM さんとの相性があまりよくない、というのは自覚してます。MtF って頑張って女社会に溶け込もうとするんだけど、FtM さんってどうも「男として生きる」ことに真剣でない人が多いように感じることも多いです...映画にも出てきた杉山文野さんとか、ああいう「むっさいオヤジ」な方とか、「しっかり仕事してます」な方はもちろんイイのですけどね。男性ホルモンは女性ホルモンに比較したら、そりゃ効きますから、雰囲気をオトコ臭くしようと思えば、ずっと楽なんですし...
トランスでも、ひょっとして「男に成りあがるオレ、カッコイイ」なんて思ってるのか?なんて感じる人も見ましたしね。MtF だと「男性失格」というか「成り下がる」ような罪悪感というか、脱落して恥ずかしいというか、そういう屈折があるものですからね(おばさまだって、ね)。FtM にキャピキャピされると、「男社会そんなにアマいもんやおまへんで」とかイジワル言いたくなるときもあるんですよ。
トランスするってことは、「人生をハードモードで生きる」ということなんです。トランスして問題が解決するわけじゃなくて、トランスしたことで、トランスしなかったら遭遇しない問題にも続々と遭遇することになるんです。だから性別違和を訴える方に、おいそれと「じゃあトランスしたら?」と勧めれるようなもんじゃ、まったくないです。
ホントに「男」で生きていきたいなら、他のオトコに馬鹿にされないような学歴なり、資格なり、特殊技能なりをきっちり身につけて、ハードモードに備えておかなきゃ、「三流・四流のオトコまがい」にしかなれなくて、不幸になるだけですよ。この話の子は、人気商売の声優になりたい、なんてね....「夢はかなう」なんて聞こえはいいんですけども、そもそもあこがれだけで現実的なスキルを積むとか、覚悟がないようにも感じます。声優なんて「なりたい人」が「現実にある仕事」よりバランス崩壊してるくらいに多すぎるギョーカイでしょう?

まあですからこの映画では、本人が「後悔してない」と主張しても、見た目雰囲気が女性に戻ってしまっているし、客観的には「SRSしてホントによかったの?」ということにしかならないように思います。「実はXジェンダーでした」なんて言うくらいなら、SRSはデメリットしかないですよ。この方、名前は再変更しても、戸籍の性別変えちゃいましたからね...現在「見かけが女で、名前も女性的、でも戸籍は男」という MtF みたいな状況です。戸籍の再変更は結構面倒でしょうね。「Xジェンダー」ってそういうことじゃ、ないでしょうよ。そういえば、脱胸手術で医療事故があって大阪医科大を訴えた方も、「男女という制度やジェンダー規範への疑問から、「男女」への同一化や埋没を望まない。「GID」や「FTM」(Female to Male)といった呼称は、手術のための「ツール」として戦略的に使用するという姿勢をとっているため、それらのカテゴリを積極的に名乗ったり支持したりするタイプではない。」と言ってますね。どんな小さい手術でもリスクはありますし、ましてやSRSは不可逆の極みみたいな手術ですからね。
もちろん、今のジェンクリの診断はザルで何の保証にもなりません。大人ならば「この人トランスしても絶対新しい性別に適合できなそう...」という人なら、×を出す専門医もいるでしょうけど、未成年で本人が強く主張したら、針間克己先生みたいな専門医でも「今後の努力次第だよね」になってしまうでしょうし(ま、大人で×だされても、○出してくれるザルな医者を探すドクターショッピングしたらできちゃいますし)。なので本当に、自己責任で、誰も責任取ってくれません。

おばさま、「同じトランスだから利害関係が共通する」というのは幻想だ、と昔から思ってます。共通するのは「世の中のジェンダーによる色分けが、なるべく少なくなってほしいよね」という一般的な性別規範の緩和にかかわる部分だけじゃないか?なんて思うくらいですよ。「トランス警察」みたいなことをしたくはありませんが、それこそ「SRSして性別移行したけど、適応できなくて生活保護」というような失敗例が増えると、SRSと性別移行に対する攻撃を招くことになりかねない...なんて危惧もしないわけでもないです。

性別移行は「自分探し」でも「問題を解決する手段」でも「自分らしく生きるための手段」でもなくて、ただ「しないと生活に支障をきたすから、する」ものだと思うんですよ。するなら、「切実な必要性」と代替手段のなさ、十分な移行準備と「移行先の性別での適応性」をしっかり確認して慎重にやらないと、不幸になるだけですよ。