コロナの一件で、台湾の対応の凄さが目立ちますが、これを主導したのが例のオードリー・タンなんですね。意外に情報が少なくって、書きづらかったんですけども、最近は増えてます。ぜひぜひ取り上げたいですね~
台湾の内閣のデジタル担当政務委員で、MtFですね。見た目は中性的、というくらいのところで、何をどうしている?というあたりの情報はなくて不明です。プライバシーですからねえ。
おばさまは、オードリーのプログラマとしての経歴の方が見当がつきますね。Webページ用のプログラミング言語として一世を風靡した Perl5 の後継言語として新たに再設計された、Perl6 の有名な実装の Pugs を作った人で有名です。実用主義過ぎて仕様が混乱を極めていた Perl5 を、整理してオブジェクト指向言語化しようとする Perl6 の環境を、ピュアな関数型言語として注目集めた(過激な)Haskel で実装したものですから、実用性はともかくとして、「凄い!」のは間違いありませんよ。Haskel というといろいろと目新しい概念が面白いんですけど、なかなか哲学的で難解ですからね。残念ながら今は Perl6 環境は別なものがメインで、Pugs は「歴史的実装」になってます(というか、Perl6(Raku) 自体がイマイチ定着に失敗している印象も...)。
で、オードリーが政治家になって掲げたのが「徹底的な透明性」という理念です。
公開できる、あらゆる情報がインターネット上にあることで、政府の官僚や大臣が何をやっているのか、何を考えているのかを全部知ることができ、人々が「国家の主人」になれるというビジョン(Wkipediaによる)
ということですが、これ実は、「オープンソース」の政治プロセスへの導入だ、ということなんだと思ってます。おばさまあたりの世代は、ストールマンのフリーソフト運動に衝撃を受け、Linux が出たらすぐにでもそれを使いだし、オープンソース運動にも大きなおかげを被り、今も仕事でオープンソースのソフトを使って仕事している....というわけで、(おそらく)オードリー同様に、
コンピュータの普及で最大の革命はオープンソースだ
と思っているくらいのものです。
ソフトウェアの開発でソフトを著作権で専有的に縛ることなく、インターネットで公開をして、世界中のプログラマの力を集めて「進化」していく開発モデル
ですから、これは「情報の価値」についての考え方を180度転換するようなものなのです。
言い換えると、「情報を少数者が専有して、それを秘密に保つことで権力を得る」という従来の「情報の政治」から、「情報をすべて公開することで、情報の管理を容易にし、機会の公平と利用の最適化、およびシステムの進化を促す」という新しい「情報の政治」が見えてきたのが今の状況なのですね。ですから、このオードリーの政治姿勢は全然過激ではなくて、今ソフトウェアの世界ではオーソドックスなものとなっている考え方に依拠したものなのですよ。
ですから、コロナに関して、「すべての国民が2枚のマスクを手に入れることができるように」する、というのを、日本の政権は中央集権的なやり方で行政が一元的に配布することで解決しようとしましたが、オードリーが主導したシステムは逆なんです。「政府が握るマスクの在庫データを一般公開して、地図上でマスクがどこにあるのか、を簡単にわかるような分散的なシステム」を作ったわけですね。そして健康保険証とマスク購入履歴を紐づけて、公平かつ簡単にマスクを入手できるようにしたわけです。
結果は6月いっぱいまでにマスクの配布にかかった日本の対応と比べたら、圧倒的なスピードと公平感のある対応になったわけですね。はっきり言って、世界は日本の外側ですでに動いています。日本の政治以前に、ミクロの権力関係の具象化である「ビューロクラシー」自体が、「誰が」「何を」「どう」決めるか、がすでに時代遅れも甚だしいんです。
じゃあ逆に、日本の政治を見てみると....たとえば女性政治家、というといますけどねえ、オヤジ社会に過剰適応したような人らばっかりじゃないですか。こういう人たちが何かの役に立つとは少しも思えないですね。それこそ、強引にでも男女クオータ制を導入しないことには、「オヤジギャル」でない「女性政治家」なんて絶対出ないと思います。まあそうしたらトランスジェンダーに限らず、セクシャルマイノリティの政治家だって、おおっぴらに出てくるでしょう。「オヤジの政治」よりも「オンナコドモの政治」の方がずっとマシだと、思うんですが、みなさまいかがなものでしょうか?
日本に、オードリー・タンは出ませんかねえ?
参考:
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