さていよいよジェンクリの診察日です。もちろんこの日の目的は、精神科GID専門医2名連名の診断書のゲットです。康先生のところにまず伺って、用意してある診断書をざっと読み上げて確認。こうやってまとめたのをみると、私の人生の要約みたいなもので、結構感慨深いものがありますね。
小さな頃から小柄でよく女の子と間違われていた。仲が良かったのは近所の女の子でいつも一緒に遊んでいた。小学校時代はほとんど男の子のグループには入らず、一人で本を読むことが多かった。人形劇では女性のキャラクターを演じたこともあった。母の眼を盗んで母の服を着たりして、女の子になりたいと思うようになった。しかし、バレるとまずいと思っていたため、気づかれないように用心していた。中学2年生の頃に食事をほとんど食べれないようになった。理由は男の子になりたくなかったからであるが、誰にもそれはいえなかった。4人の女の子と仲良くなり、女の子同士の友達みたいだった。高校時代も女の子と仲良くなることが多くて、男子の友達に肩を抱かれてとても嬉しかったことを覚えている。大学では芸術系のサークルにいたために男女の区別は全くなかった。この頃は自分のことを同性愛だと思っていた。大学卒業後、一人暮らしをしていた頃より、家の中で女性装をするようになった。また、その後は女性装をする機会が増えていったが、派手なものは好きではなくて、年齢相応に見える服装を好んでいた。30代で芸術系大学の大学院に入学し、日中も中性的に見えるレディースの服で過ごすようになった。その後は同じ大学の助手や非常勤講師として中性的な服装で過ごすことを続けた。40歳になり社会的にも男性として生きていくことが困難だと感じるようになったため、平成15年9月8日に大阪医科大学病院附属病院のジェンダー外来を受診した。その後ホルモン療法を開始して、性別適合手術と性別変更を希望して平成30年8月1日にそんメンタルクリニックを受診した。
とまあこれが生活歴&現病歴というやつね。端折ったところはあるけど、よくまとまってますね。ホントこうしてみると男するのを嫌がってるね.....こうなるのは必然、といった流れを感じます。
最初にジェンダー外来を受診したのが2003年だから17年も前の話。まあ最初のフル女装は1988年くらいだから、野良女装が15年、それから野良トランスが17年と、何かグズグズし続けてたように思わなくもない。ジェンダー外来の初受診、もちろんきっちり女性でキメて行きましたよ。白の薄地のプリーツスカートに、茶の半袖開襟シャツのお気に入りコンビネーションだった記憶があります。まあ当時は自分バレを避けるためにカツラ着用でしたけどね。夏の暑い日の午前に受診したのですね。
その場で康先生に「あなたは女性です!」と断言されて、ボロ泣きしたのを覚えてます..この瞬間、私の秘密の人生が肯定されたわけだもんね。
親からしてみたら、内緒ごとが多くて警戒心の強い、面倒な子供だったことだと思います。「人に相談できないこと」が多い分、何でも自力で解決しようとしてたしね。逆に言えばそのことで、アーチストとしても鍛えられたかな(苦笑)。ごめんね、お父さんお母さん。変な子ですみませんでした。
で、そんメンタルクリニックの院長の孫先生の診察、というかタダの面接ね。「今まではお化粧しないで出ると、バレるのでは...なんて気をまわしてたけど、今はバレるものなにもないので、気楽です..」なんて話をしたら喜んでくれました(苦笑)。というわけで、無事診断書をゲット。私の場合、いろいろな検査関連が完全に終わったくらいのタイミングで大阪医科大病院バックレちゃったので、最後の検査あたりを公式の「診断日」にしてくれました。不良患者だなあ。
とはいえ、今日のお代は 36,090円也(うち文書代が 33,000円)。お金かかるのはこれでおしまい。あとは公的手続きだから、印紙代800円とかそういうレベル。
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