GIDに関しては、金八先生とか特例法がきっかけで概念が広まる、という経緯を辿ったので、21世紀に入ってから...というイメージが強いんだけど、おばさま歳だからね、20世紀の間の情報が少なかった頃の情報源について少し書きましょうか。ジャン・モリスの「苦悩」もそうだね。
この視点だと、1991年くらいというのは、結構重要な時期になると思うのよ。雑誌「クレア」の「ゲイ・ルネサンス」の特集(もちろんこの時買ってます...)があって、あとゲイ映画もいろいろ入ってきたし、なんとなくいろいろと本ができてたのね。蔦森樹さんの「男だってキレイになりたい」とかねえ。ポップカルチャー寄りで、セクシャル・マイノリティという大雑把なくくりではあっても、「情報解禁」みたいな以前・以後があったように感じてるわ。で、こんな中で出た当時のサブカル雑誌の代表だった別冊宝島で「変態さんがいく」のムックが出ています。
この雑誌では宝島の編集者だった永江朗が何本も記事を書いて、北原童夢、山田ゴメス、伏見憲明、赤坂真理、椹木野衣といった、いかにも90年代サブカル!という面々が寄稿、さらに人を喰った佐川一政、「家畜人ヤプー」の天野哲夫の原稿もあり、カットは山田花子とかみぎわパンとか。サブカル満開の今見ると超絶豪華執筆陣なムックですね。時代にノッてた宝島の勢いが出てます。
で、顔ぶれを見れば要するに伏見憲明ならゲイ、赤坂真理とか椹木野衣ならボンテージ、北原童夢ならSMと、うん、このひとだよね、という人選もあるんだけど、女装~性転換の記事となると、こういう記事で構成。
・座談会「女装という人生を生きる」 北原童夢司会で「エリザベス」の常連さん5人の座談会。
・編集者の女装体験「効いているうちにヤリたくなっちゃいました」永江朗のエリザベスでの女装体験
・性転換した人生「取ってしまえばもう後戻りできない」坂東齢人によるニューハーフ近藤とし恵さんへのインタビュー。
もちろん一番心に刺さる記事は近藤とし恵さんのお話ね。中学時代に完全に自覚して、中学校はセーラー服で登校、トイレも女子を利用...で、毎日職員室に呼び出させて「卒業だけはさせてやるから学校に来るな」と圧力をかけられる。「でも悔しいじゃないですか。誰にも迷惑をかけているわけじゃないのに」と彼女は一日も休まずに登校。強いなあ、憧れるなあ。でもこの当時でも、同級生はふつうに彼女を受け入れて、ふつうの女の子として中学生活を楽しんだそう。ジェンダーって知識じゃなくて、リアリティだもんねえ。女の子としてのリアリティがちゃんとあったわけね。
とはいえ中学教師がそんな対応だったから、高校進学とか無理無理。これほんと、人権問題の部類なんだよね!で、中卒でニューハーフ業界へ。それしかないんだもん...何かの話で「MtFには高学歴の人が多い...」なんて話になって、私反論したことがあるのよ「わたしのアタマが悪かったら、うろうろせずにニューハーフしてとっくの昔の取ってるわよ!」てね。まあ昔はそういうバイアスがあったに違いないわ。今はこれが少しは改善しているのではと願いますね。
で、21歳でシンガポールで手術。男の体になるまえに...と早めのホルモンと手術の甲斐あって、完璧な女性の容姿。それまでの生活も女性だから、手術では「あるべきものを得た」というくらい。SEX以外はね...で、「気持ちよくなかったら、性転換する人なんていませんよね(笑)」「もう、ぜんぜん違います。腰が砕けるっていうんですか(笑)」とのこと。おばさま失敗したかな(苦笑)。
でも「ほら、わたし元が男だから男の人の気持ちがよく分かりすぎちゃうんです。だから、わたしのほうが甘えたいのについ我慢しちゃうんですね」と、なるほどな感想。似たようなことを佐藤かよさんも言ってたね。特例法の前だから戸籍は変えれなくて結婚できない。男をなじると心の底で「女じゃない
」と少しでも思っていたら、その男は逃げてしまう....「女じゃない」というのをやはり頭の片隅にいれておかなければいけない、ととし恵さんは言う。でも、
もう後戻りできないですから、前進あるのみですよね。殴られようが、一文なしになろうが、なにされようが、わたしは負けない。もし、これが中途半端な気持ちで女になっていたんなら、死んだ方が楽ですよ。わたしはぜったい死にません。わたしはいま、とっても幸せですから
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