支配的な元親友へ
とある映画監督(B)と10年以上にわたって共同創作を続けてきた。私は音楽家であり、その「長期にわたる創作関係」はとても幸福なことである一方、長い付き合いだけにトラブルは絶えず、意を決して文章にまとめて公開しようと思う。これは所謂モラハラ被害と呼べるような、大層なものではないが、私(A)はずっとこの問題で悩み苦しみ、嫌な思いをしてきた。お読み頂き、知って頂きたいです。
監督(B)と知り合ったのは17歳の時。向こうは自分よりも年上。ハードな外見とは裏腹に気遣いの出来る人で、むしろ誰よりも(人付き合いにおいて)気遣いをする人だと思う。ただ、嫉妬深い。お互い身の上話はなんでもしてきた。自分はもっぱらジェンダーの悩みだった。年齢も性別も違うけど(少なくとも、ある一定の時期においては)親友だったと思う。その反面、彼女は「友達同士が、仲良くなって欲しくない」と私に宣言し、私の交友関係を制限してきた。
具体的には、彼女の監督した映画(私は音楽を担当)の出演者と繋がらないで欲しい、会わせない。また、友達同士が繋がらないでほしい。「A君は、私(監督B)のことを知りすぎているから、誰にも紹介したくない」と言われる。そんな、意地悪な性格なのだ。当たり前のように彼女はそういうことを言ってくるので、下に見られているな、という印象を常々感じてきた。
嫌だったのが、私が音楽を担当した彼女の映画(繰り返しになるが、彼女が監督で、私はその映画の劇伴を担当)の公開初日にも招待されなかったこと。この日は大切な(つまり繋がって欲しくない)人が沢山来るので、Aは来るな。という話だった。私はそれ(彼女の嫉妬深い性格)を理解していたし、実際に従った。彼女の映画だし、私は彼女の親友だから、である。
彼女は身の上話を語り、私は聞かされる。ある意味、頼られているなとは思うが、聞き役という「ケア要員」として、というよりありとあらゆる感情のはけ口として、いいように使われているな、と10年以上に渡り、感じてきた。カウンセラーというか。表に出せない話ばかりで、口外はタブー。周囲の誰にも言ってはダメ。私は彼女の重たい秘密を背負わされ、守秘義務を負わされ、それはつまり、時と場合によっては「知らないふり」をしなければいけない、「嘘を付き続けなくてはいけない」という嫌な立場に置かれることを意味していた。
第三者を介しての場では、難易度の高い立ち振る舞いを要求された。彼女の秘密の暴露を避けるために「この人の前でこの話題はOKだけど、この話題はNG」という、対人スキルを求められるのだ。当然、私はエスパーではないので、事前に何の説明もなしに、そんな要求をされてもボロは出てしまう。そうすると、「サイコパス」「Aくんは人の気持ちが解らない。」と怒り、罵られた。
当然、精神的な負担が大きく「もう深い話は聞きたくない。(秘密のシェア・強要が多すぎるので)お互いしないでおこう。」と言った。が、その後も、ナアナアな関係が続いてしまっていた。
彼女は外交的で、人付き合いが多く、私は彼女の交友関係を知らされ、自分は関わらないように忖度してきた。「知り合い同士が仲良くなって欲しくない」という感情は、気持ちとしては解る。しかし、他人は他人。他人は自分の所有物ではないのだ。そういった、人との距離感だったり、自他の境界線といったものは、概ね、高校・大学生くらいになる頃には、多くの人が学び、理解して、乗り越えるものだと思う。彼女は40歳を超えている。
私が監督(B)の知人からインスタグラムでフォローされた時は、それだけの理由で、彼女は露骨に、私に対して不快感を露わにした。その様子を見て、チャイルディッシュな人だなと思った。彼女は私のSNSに敏感で、時には、「勝手に◯と繋がろうとするな!」等と言われることもあった。他人の行動、人間関係を監視したり、コントロール(制限)しようとする動きは、不健全であり、間違っている。しかも彼女のそういった感情は「Aくんは(私の色々な情報を)知りすぎているから」という身勝手な理由からくるもので、なんて支配的な人なのだろう、と思わざるを得ない。
本当の秘密とは、基本的に家族以外には言うべきじゃないと思う。彼女は周りに話すタイプであり、それ自体を悪くは思わないが、その裏返しで、交友関係に関して神経質で、攻撃的になったり、よく「キレる」ので、やはりトラブルになりやすく、結果的に大いに問題だと思う。
私は彼女に気を使い、今まで人間関係をセーブしてきた。彼女の知り合いには近づかない。SNSで(こちらからは)フォローしない等。音楽家として映画に関わっている以上、当然私はクルーとして尊重されるべきだと思う。しかし、いつも仲間としては切り離され、私の存在は隠され、蔑ろにされてきた。
パーティーやイベントには呼ばない。近すぎるから。繋げたくない。そう言われ続け、そういう関係性に疲弊してきた。
私はアセクシャルであることをカミングアウトした。様々な葛藤を経て、今後極力、隠し事はしたくないなと思う。私は近しい人に、秘密の共有や、嘘の強要をしたくない。それは相手にとって負担になるし、ましてやそれでその人の行動、人と人との繋がりに口出しするような、そんな痛い大人にはなりたくないから、である。
いつ頃からか、私は私の内面を彼女に吐露することはなくなった。口外されるからだ。「ここだけの話なんだけど」という言葉を口切りに、彼女は基本、周りになんでも話す。実際(私がカミングアウトする前に)ジェンダーに関するアウティングをされた。私は「そういうものだろう」と思って激高することはなかった。逆の立場だったら、彼女は色をなして私を罵っただろう。徐々に、「こんなの、友情でもなんでもないな」という思いが芽生えてきた。
こういう問題は、程度の差こそあれ、どこにでも、誰にでも起こることだと思う。私にだって、「この人とこの人は繋がって欲しくない」みたいなのは、ある。しかし、それで他人の行動をコントロールするのは間違っている。他人は他人だから。勿論、私も完璧じゃないし、人間関係で多くの失敗をしてきた。
私自身、今映画を撮影しており、映画に関わってくれた方々に対し、日々感謝の感情を抱いている。彼ら(関係者・クルー)は私にとって、私にない才能を提供してくれる恩人に他ならず、ギャラの未払いや、交友関係を制限・コントロールする等という、その人の存在を蔑ろにするような行為は、絶対にあってはならない、あり得ないな、と強く思う。
秘密の共有、嘘の強要は、極力ない方が生きやすい。私は、彼女(B)の精神的なケア要員であることを、辞退します。
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