私という人間

ひめご(元きしめん)と申します、こんにちは。初めましての方は初めまして。

自身に関するアカウントを全て消そうか悩みましたが、多くの人にご迷惑やご心配をおかけして何も言わずにそのまま過ごすという訳にもいかないと思い、柄ではありませんでしたが筆を執りました。
こういった長い文章を書くのは初めてで、また自分自身文字に起こすというのが別段得意というわけではないため長らく時間がかかってしまいました。本当に申し訳ありません。

このnoteでは自分という人間の人格が形成されるまでに至ったこれまでの経緯について書き連ねるとともに、今後私という存在と付き合っていく上での判断材料にして頂くことを目的としています。
初見でなんのこっちゃって方や、興味がなかったり、コイツと付き合うのは無理そうだなと感じたりした方はいつでも途中で読むのを辞めていただいて大丈夫ですし、読まなくても全く問題ありません。最初から最後まで自分のことについてしか話さないつもりなので、読んでも読まなくても私という人物への理解度が少し上がるだけで特に影響が生じることはないと思います。
要するに本当にただの私個人の自己満足による自分語りになります。


はじめに
 

改めて、自殺を示唆する内容の言動などで関わってくださっていた方々に不快な思いをさせてしまったと共に、ご迷惑やご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。頼って欲しいと声をかけてくださった方や実際に話をしてくれた方からのお力、そして家族と時間を取って話し合ったということもあり、現状はかなり落ち着いています。

相変わらず夜になると辛い日が多いというのが現実で市販の薬で抑えている状態ですが、近いうちにまたどうにか自分に合う精神科の受診を考えているので今度こそそこに通い続けることができたらいいな、という感じです。

前置きはこのくらいにして、本題の私という人間について話していこうと思います。(本当に長い上に主観と自己正当化で構成された文章の羅列になりますので、正直読むことは勧めないでおきます。)

小学生〜中学生時代

こんな風になるまで自分が歪んでしまったのはいつからだろうと考えてみたら、小学生くらいからだったのかもしれません。当時の自分はまだ若く自分が歪んでいるという自覚はなかったと思いますが、振り返ってみると少なからずこの頃から兆候はあったように感じます。

私は小学生の頃いじめられていました。

きっかけがなんだったか、明確に覚えているわけではありませんが、たしか何か変わったグループ内での決まり事のようなものがあって、『他クラスのやつと遊ぶな』や、『女子の味方をするな』『リーダーの○○くんの言ったことは守れ』とか、そういったものだったと記憶しています。
それを当時の私は空気が読めない奴だったので、他クラスにいる幼馴染の子と普通に遊んだり、女子が好きな男性アーティストを自分も好きだと言って話をしたり(家族が好きな影響で当時はジャニーズが好きでした。)、リーダーの子に宿題を写させろと言われた時に断ったり、そういうことをしてしまっていました。ここまで見るときっかけはどうであれいじめられる理由は揃っていた気がしますね。

いじめの内容はまあ、よくある奴です。
無視から始まって遊びに誘われないのはもちろんのこと、持ち物を隠されたりしました。たまに遊びに誘われたかと思ったら、外で遊んでいる間に自分のゲームのカセットやカードを誰かに盗まれたり、学校でクラス全員に聞こえる声量で罵られたり身体的特徴をバカにされたり、そんな感じです。リーダーのやつが適度に陰湿でおそらくビビりだったというのもあって表立って暴力を振るわれたり、私物を壊されたりみたいなことはなかったのがせめてもの救いでした。ただ、その後の人格形成に与えた影響はかなり大きかったなと思います。

いじめられているうちに『素』の自分ってなんか人に受け入れてもらえないみたいだなと、私は子供ながらにうっすら思うようになりました。当時の私はお世辞にも明るい性格とは言えず、ノリも悪い、ただぼっちでいるのがなんとなく嫌で何かグループに属していたかっただけで別にいてもいなくても何の影響もないつまらない人間でしたから。

小学校を卒業し、同じ小学校からその中学に進学する知り合いがほとんどいなかったのを良いことに、その性格をやめようと、なるべく明るく周りに合わせてノリがよくて、一緒にいて楽しい人でいられるように努力しました。そしてその努力の甲斐もあってか、中学は特にイジメられるようなこともなく順風満帆に学園生活を謳歌して最後まで楽しく過ごすことができました。

そして小学生の頃からずっと塾に通っていたのもあって公立の進学校に合格し(言い忘れていましたがさりげなく中学受験には失敗しました。)、ここまでなら小学校で少し躓いたものの立ち直って普通に生活を送ることができていたそこそこ普通の人だったと思います。

高校生時代

ですが、高校2年生になった頃私が大きく変わることになる出来事が起こりました。

私が高校に入ったくらいに退職金を貰って仕事を辞め、仕事を探していたはずの父親がその退職金のほとんどをパチンコに突っ込んだ挙句借金を作っていたことが判明しました。
当時の自分の心情を一言にするなら本当に「は?」が一番的確だと思います。家族に相談もせず黙って退職したときも何をしているんだという感覚はありましたが、怒りを通り越して呆れたと言うべきでしょうか。

しかし、最悪な状況はここで終わりませんでした。
借金が発覚して2週間ほどした頃、父親が蒸発しました。知らない間に本人の口座にあったお金の全てと私物がほとんどなくなっていたらしいです。
夜逃げ、言葉では聞いたことがありましたが、実際にする人いるのかなと子供の頃は思っていました。まさか自分の身内がするとは思ってもみませんでした。(のちに一応発見されて正式に離婚をし、今は完全に縁を切っています。)

父親が消え、今後のために貯めていた貯金が借金で消え、家は引っ越すことを余儀なくされ、車も売り、それでもなお残っている借金。
この惨状を目の当たりにして、今までは割と真面目に生きていた自分でしたが、適当に生きるようになりました。自分が頑張って頑張って積み重ねたものが他人のせいで全部崩されるんです。正直者が馬鹿を見るとはこのことです。

それから私は高校をサボるようになりました。完全に休むことはそんなに多くなかったかもしれませんが、適当に学校のそばの店で時間を潰して3時間目あたりから授業出たり、5.6時間目をサボって家に帰ったりとかそういうのを含めたらほぼ毎日サボっていたんじゃないかと思います。(特に1時間目の授業に出なさすぎて1時間目に間に合っただけでクラスメイトと先生から拍手が起きたりしてました。多分普通に浮いてました。)
当然ながら、高校1年生の頃は中の中くらいだった成績も下の下まで落ちました。勉強も一切しなくなりました。課題も提出しなくなりました。元々少なかった友達と話す機会もなくなりました。
そんな生活を続けて高校3年生の生活も後半に差し掛かり、担任の先生に「留年」という言葉を出されて初めてやっと事の重大さに気づきました。
成績が「1」だと卒業できないと言われた各教科の先生が私個人のために追試のテストを作ってくれたりして、なんとか留年は回避し、高校を卒業しました。
ここで留年していたら多分もう人生終わりコース確定だったので、本当に一切褒めるところのない当時の自分を褒めろと言われたら唯一ここを褒めることになると思います。

社会人→無職→就職支援施設


高校を卒業した私は、特にやりたいこともなく大学に行ってもお金を無駄に使うだけだと思ったので就職することに決めました。ここでの就活は思いの外上手くいき(当時はまだ若かったというのもあったかもしれませんが)、無事に採用をいただくことができたので卒業後からすぐに社会人デビューして、高卒ながらもなんとか上手くやっていくつもりでした。

ですが、そう上手くいくはずもありませんでした。入った会社はいわゆるブラック企業でした。(詳しくは省きますがITのデータ管理系の仕事です。)


研修の時点で特に技術を教えて貰えるというわけでもなく、マニュアルと仕事内容を全て覚えろと言われて会社にいる時間以外もずっと勉強をさせられました。さらに2週間程度である程度わかるだろうから研修は終わり、あとは実践と言われてひたすら毎日マニュアルを見ながらパソコンに文字を打ち込む日々が続きました。
1ヶ月余りを乗り切って、初めてのお給料ということでわくわくしながら給与明細を確認してあることに気づきました。
2週間で終わっていたはずなのに1ヶ月分がすべて研修期間という扱いになっていました。当然その分手取りも少なめでした。

流石の私も(あ、これブラックだ)と気づきました。上司に確認しようとも思いましたが、いざこざを起こすのが面倒だったので黙ったままでいました。キリが悪かったというのもあり、2ヶ月分はぴったり働いて退職しました。上司に辞表を提出したときにそれとなく退職の理由はつけましたが、ぽつりと「ダメだったか
」と言われたのが今でも記憶に残っています。(研修期間のことがバレてしまってダメだったかだったのか、使えるやつだと思ったけどダメだったかだったのか、仕事や人間関係が合わなくてダメだったかだったのか、今となっては分かりません。)

そこからはもう、今と同じニートです。就活をするとは名ばかりに、たまに外に出かけるだけでほとんどずっと家にいるという日々が続きました。社会人になって早々ブラック企業に入ってしまった自分のことを気遣ってか、最初のうちは家族も何も言わず普通に接してくれていました。

そうして、1年余りが経過しました。この頃にはもう家族から腫れ物に触るような扱いをされ始めていました。実際、働かないで毎日家にいる身内がいたらそういう扱いになるのもしょうがないと思います。
なんとなく自分はおそらく社会不適合者なのだろうという自己正当化にも近い諦観を言い訳にして、社会に出るのを先延ばしにし続けた結果がこの現状でした。
見かねた母親から「働けない若者のための就職支援施設に行くのはどうか」と勧められ、流石にずっと家にいてばつが悪かった私はそこに行くことに決めました。

そこでは色々なカリキュラムを実施していて、本当に何をしたことがなくても1から働くのを支援してくれようとしてくれるような場所でした。私の場合、確実に陰キャではありますがコミュ障というほどでもないため(正確に言うならコミュニケーション能力には難がないように振る舞うことができるため)、就職支援の方のカリキュラムを重点的に毎週受けに来ることに決めました。
この頃の自分はなんとなくですがSEに興味を持っていたので、カリキュラムもそれに準じたものを何個か受けてみたりもしました。施設の方がサポートしてくれるとおっしゃってくださったので、SEの簡単な資格も取りました。(正確にはSEというよりITの資格)

そんな折、ITの会社の人による説明会が都合よく開催されていて新入社員を募集していたので、せっかくならと思い参加をしました。話を聞いていく内にこの会社を受けてみたいなと思ったので(若いですね)、説明会後に御社を受けさせていただけないかと話をしたところすんなり通り、上手いこと面接まで漕ぎ着けることができました。

面接当日は施設の担当職員の方が付き添ってくださり、簡単なテストを受けたり質疑応答をしたりしました。テストも面接の受け答えもしっかりできていたので正直採用されると確信していました。これでようやく働くことができるんだ、そう思っていた私の思いは採用担当の方の一言で無に還ることになりました。

「20歳未満はまだ雇うことができないので、成人してからまた受けてほしい。」

そう告げられても私の頭の中は「?」でいっぱいでした。職員の人もそんな話は聞いていなかったようで、説明会の時はそのような事は聞かされなかったと言ってくださいました。

前提として、説明会で募って合格にした新入社員(当たり前だがおそらく他所でも募集をかけているとは思う)には研修期間を設けて無料で技術的なことを全て教えてくれて、自宅でも作業ができるように機材なども負担してくださり(もちろん教えてもらっている間にも時給が発生する)、慣れてきたらその会社の前線に立ち仕事をこなしてもらうというようになっているらしいです。
しかし、どうやら前に同じように20歳未満で合格にした方の親がかなり過保護な方だったらしく、研修期間が終わった段階で自分の子供が明らかに辛そうなのでこの仕事は辞めさせたいです、と言ってさっさと辞めてしまったようでした。端的に言えば無料で技術と機材を持ち逃げされたという形になります。
労働基準法の第58条にて「親権者又は後見人、行政官庁は労働契約が未成年者にとって不利であると認める場合は、将来に向かって解除することができる」とあるため(要参考)、未成年者の場合には親の意思で仕事を勝手に辞めさせられる可能性があるというわけです。おそらく、成人するとその縛りがなくなるので20歳になってから受けてくれと言ったのだと思います。(法律には詳しくないので未確認です、合ってなかったらごめんなさい。)

とまあ理由を聞いて理解はできたものの、簡単に納得はできませんでした。面談のときにあんなにいい感じだったのに、なぜその時には言わないで後になってから言うんだと思いましたが、口には出しませんでした。言い方は悪いですがなんというか雑に扱われて、正直もうこの会社に入りたいという気持ちは消えていたので、その後の会話は適当に済ませて帰路に着きました。(帰り際に何故か系列の家電量販店の店員のアルバイトを勧められましたが普通にお断りしました。)帰り際に担当の職員さんにすごく謝られて、私もその職員さんも何も悪くないはずなのにものすごく心が苦しくなりました。

創作における不幸な生い立ちキャラならこの後もっと酷い出来事が起こりそうな感じですが、自分は全てにおいて中途半端で面白みのない人間なのでこれ以降は少しまともに生きることができた期間が続きます。(その期間も含めて全て書こうか迷いましたが、本当につまらなかったので以下に時系列に沿って箇条書きのように並べるのみに留めることにします。)


安定してた時期

親の都合のため下の妹が小学校卒業したタイミングで引越しが決まる

新居との距離的に今通っている就労サポート施設に通えなくなるため、新居のそばにある同じ施設に取り継いでもらうことで引越し先でもわりかしスムーズに就活を再開

前の施設にはなかった職種を何個か研修or体験(保育2ヶ月、飲食店2ヶ月、ベーカリー9ヶ月)

そろそろ定職に就きたいという話を職員さんを通して話し合い、ベーカリーの店長さんの知り合いの人の職場(食品流通管理関係の仕事)の紹介をもらう

職場にも恵まれてかなりホワイトな環境で労働を開始する

今思えば、この仕事を続ける選択ができていたら現状の私はまだ何かいい方向にいたかもしれません。(今更何を言っても遅いですが)
そんなこんなで食品流通管理の仕事に就いて1年が経った頃です。

人生で初めてと言ってもいい、彼女ができました。

インターネットで知り合った女の子でした。初々しくて、絵も上手くて、ノリのいい、とてもかわいい子でした。馴れ初めは作業通話中に告白を受けたことがきっかけでした。私は自分の声がすごく嫌いでコンプレックスだったのですが、その声を好きだと言ってもらえていたことで以前から(この人好きだなぁ)とうっすら感じていたというのもあってすぐにお返事をして、お付き合いを始めました。

中学卒業直前の約1ヶ月くらいの期間、自分から告白して当時好きだった女の子に一緒に帰ってもらっていたことがあるというだけでその期間を彼女がいたということにしているくらい女性経験がない自分です。嬉しかったというのは語るまでもないと思います。(正直この時期はある程度のお金も職も彼女もあってかなり調子に乗っていた時期だったと思います。今思い返しても気持ち悪いです。)

それからはLINEで取り留めもない会話をしたり、声が聞きたくて通話したり、写真を送ったり、観光に来たいと言っていたので東京を案内して一緒に旅行したり、その、いわゆる世間一般的なカップルの営みは一通りしたと思います。

そうして付き合い出して4ヶ月ほど経った頃でしょうか、彼女から『同棲したいから関西に来てほしい』という話を持ちかけられました。
お互いがお互い東と西に住んでいて、会う機会も簡単には取れないので同棲したいという気持ちはすごくわかりました。彼女の家庭もそこそこ複雑で、地元である関西を離れることが難しいことから、関西での同棲を提案したのだと思います。
私はというと、ようやく仕事が波に乗ってきていた時期でした。仕事にも慣れて直属ではありませんでしたが部下もいて、軽い管理職のようなものも任されてみないかみたいな話もされていたりして、私にしては順調と呼べる状態でした。

しかし、関西に行くとなると仕事を辞めなくてはいけないことは明白です。自分のような特に能力もない人間が自分が住んだことのない土地で新たに安定した仕事を見つけられるか、一人暮らしもしたことのない自分が相手を不快な気持ちにさせないまま過ごし続けられるか、ここで断ったりうだうだしていたら嫌われてしまうんじゃないかなど、色々なことが頭を巡りました。

おそらく、私の人生で本気で悩んで悩んで悩み抜くという行為をするのはこれが最初で最後になったと思います。結局私は仕事を辞めて家を出る選択をして同棲をするための準備を始めました。

まず、まだ話していなかったので親に彼女がいることと関西で同棲をしたい旨を伝えました。初めは女っけが一切ない私から「彼女」という単語が出たことに驚いていたようでしたが、最終的には応援するよと言ってくれました。しみじみと寂しくなるねぇと言われてちょっと心が揺らいだりもしました。
次に仕事を辞めるため、その時点ではいなかった後任になってくれる方を探して業務内容を引き継ぐ作業をしました。1から全部教えていては時間がかかってしまうため、データなどの入力の業務を教えながら確認しつつ作業して完璧にこなせるようになるまで、わからないところがあったら私に確認してもらうという形で引き継ぎ作業をしてもらいました。お世話になっていた職場だったので、関西で暮らすことになったということも正直に伝えました。
ただ私も入ってようやく1年が経過したところで業務の全て教えることはできなかったので、進捗や自分のやり方や進め方などを後任予定の方と共有しながら一緒に作業するのがメインでした。(いわば、『自分とほぼ同等に業務ができる人』になってもらった感じです。)

だいたい1ヶ月半くらい経ったでしょうか、後任予定の方もほとんど仕事を問題なくこなせるようになり、またその後もその人に業務を教えるという自分の担当も、同僚の方(厳密には1年先輩だった人)が引き継いでくれました。お世話になった方々からも東京に戻って来るときは顔見せてねと言われて、円満に退職しました。
あとは荷物を揃えたら引っ越せるよ!と彼女に伝えて服や寝具、食器などを親に手伝ってもらい買い揃えて段ボールに詰め、大きめの旅行カバンも買って住民票の移し方なども調べて、残りの平日を最後に家族と過ごす予定を考えていた時でした。

深夜に彼女から『一緒に暮らしても幸せにはなれないと思う、別れたい。』というLINEが届きました。


言われたときは衝撃よりも、「やっぱりね」という感情でした。以前からなんとなくそんな気がしていたからです。関西に行くことを決めてそれを彼女に伝えてから1ヶ月半も経っていましたし、最初のうちは「早くきて!」「寂しいから通話したい」など送ってくれていたLINEがほぼ来なくなっていましたから、愛想を尽かされたというのは想像に難くありませんでした。
そして、そもそも自分自身何にも魅力のない人間だから私を好きな人がいるという状況自体が稀なんだということも再確認しました。急に人生が上手く行き始めていたことで自惚れていただけでした。

未練がましくして気持ち悪がられるのが一番嫌だったので、「不甲斐ない彼氏でごめんね、○○と過ごせた半年間はすごく楽しかったよ、幸せになれる人を見つけてね。」みたいなメンヘラもどきの返答をして(相変わらずかなり気色悪い)、トーク履歴ごと友達から削除しました。そして普通に夜通し泣き晴らしたあと朝腫れた目で親に伝えて、この件は幕を閉じました。

仕事も彼女も一斉に失い、自分は『半年間付き合った程度で結婚まで想像していたくせに、自分勝手で相手の気持ちとかなんも考えていなかった職なし彼女なしのクソキモい童貞のオタク』だという事実だけが残りました。残ってしまいました。結局私はどこまで行っても負け組でした。予定調和でした。

おそらくこの辺から鬱の症状があらわれ始めたような気がします。


二度目の無職と鬱病の時期

彼女がいたことと定職があったこと、自分がまともでいられたこの2本の精神的支柱を一度に失ったことで、私は空っぽになってしまいました。
何をしても人生が楽しくないんです。楽しいのはその一瞬だけで、それが終わると孤独感に襲われて落差でいつも死にたくなります。
周りの人たちはどんどん成長して働いて社会に貢献してお金も稼いで、趣味で仲間の輪を広げていっていましたから、なおさら自分と比べてその差に苦しめられました。
早く働かなきゃいけないのに何やってるんだろう、いつまで実家で暮らしてるんだろう、なんで私はいつまで経っても成長できないんだろう、そんなことを考えていると人と関わっているうちにも無意識に自虐とか、嫌味なことを言ってしまいそうで次第に人とも距離を置くようになりました。私は、ある種諦観のような、悲観のような、どうしようもない気分で日々を生きていました。

そんな中、身内同士でいざこざが起きて自分のよく関わっていたコミュニティが崩壊の危機に晒されました。私は当事者2人と仲がいい(と勝手に感じていた)つもりだったので本気で悩みました。どちらかに着くというのも嫌いだったし、両方とも本気で話し合って解決してもらおうと思って色々思案を巡らせていた時です。

コミュニティ崩壊の一番最初の原因を作った、自分が信頼していた人(当事者2人とはまた別の人)から、空リプで煽られ後ろから刺されました。原因を作っておいて人が真面目に悩んでるところにちょっかいというか馬鹿にしたような煽りを受けて、流石の私もその時ばかりはキレました。正論をぶつけたところ、その人から関わっていた全てのアカウントをブロ解され、何事もなかったかのように関係を全て切られました。
謝罪が一切なかったこと、これに関しては本人の性格の問題なのでこの際不問としましょう。ただ、私はその人のことをその時まではそこそこ信頼していたというのもあって(私って真面目に悩んでるところに煽り散らかしてもいいし、それで怒られたら全無視して関係切っちゃえばいいような存在なんだ。)と思い、ますます自分の存在意義がわからなくなりました。
結局当事者の2人は私の奔走虚しく仲直りすることもなく、そのコミュニティからは片方が消え、私も行かなくなってしまいました。ただでさえ少ない居場所がさらに狭くなりました。

加えてこの頃にある程度活動していた二次創作アカウントで計3〜4人のアンチに絡まれたりもして、絵に対する自信みたいなものも一切無くなりました。そもそも私は自分の描く絵が良いものだとは全く思わないし好きでもなかったので、やっぱり描かない方がいいんだなという思いしかなくなってしまいました。
何人か気にしないでと言ってくれた人もいましたが、(お前の絵はみんなに好かれてるからそういうのとは無縁そうで羨ましいね)とか(お前も別に私の絵好きでもなんでもないだろ)とか、もう何を言われても憐れみと表面上のものにしか感じなくて、真っ直ぐ受け取れない捻くれたゴミ屑みたいな感情しか持てなくなっていました。
実際、身内の人が描いたイラストをRTしていたような人が自分の絵だけ全スルーしていたりもして、(私の絵って身内補正有りでも魅力ないんだなあ)と自分では大して良いと思っていないくせに他人が評価してくれないと不機嫌になるような、完全に関わらない方がいいタイプの人間まで落ちぶれました。

結局、私は失うだけ失って何も成長することができませんでした。多少努力した程度じゃ埋まらない差が周りとはありました。おそらく生まれた時から負け組としての人生を送る運命が決まっていたのだと思います。

自分が負け組のモブなんだと明確に気づいてしまった上で他人の功績を認められない人間ほど醜いものもないでしょう。

自分より恵まれているくせに「私には何もない」みたいなことを言っている人を見るたびに、本当に殺してやりたくなりました。
混ざればいいものを、なんらかの理由があって行けない場所で自分以外の人たちが楽しそうに遊んでいるのを遠巻きに眺めては妬んだり羨んだりしていました。
自分が新設した絵用のアカウントはいいねRTもフォローもしてくれないのに、この人が絵垢作ったら速攻でフォローしていいねRTするんだな、と他人の行動にすらケチをつけていました。

自分より仲間がいるくせに、自分より素敵な容姿のくせに、自分より恵まれた家庭環境のくせに、自分より特技だってあるくせにずーっとそのことに対しての怒りと嫉妬だけが自分の中に渦巻いていました。
友達が多い人、カリスマ性がある人、見た目や声が良い人、お金持ちの人、仕事で成功してる人、趣味で人を集められる人、自分にない物を持っている人は全員が敵でした。

こうなったらもう終わりです。もう人間として戻れないところまで落ちてしまいました。

自分がもうダメだという自覚だけはしっかりあったので、自殺を考えたのも一度や二度じゃありません。夜になるたびに人間の最底辺みたいな自分は早く死んだほうがいいんだという思いに毎日潰されそうになりながらどうにか生きていました。(薬があった時期は薬に頼っていました。)一睡もできなかった日もありました。

そうして、約2年ものあいだ、自殺未遂で施設に入れられたりメンタルクリニックに通院したり一次創作アカウントを始めてみたりバイトを決めて働いてみたりしながらぐちゃぐちゃの精神状態で過ごし続けましたが、根本的には何も変わることができませんでした。おそらく今後も完全に良くなることはないのだと思います。
直近の2年間で手に入ったと言えるものは「履歴書の無職歴、合わせて合計3年間分の空白」と「鬱病(双極性障害)(自己申告による部分も多いので厳密には確定しているわけではない)」だけでした。


総括

かいつまんでまとめると、私は『小学校の頃にイジメ、高校の頃に父親が借金からの夜逃げのちに離婚、という環境を経て性格が歪む。高校を卒業してすぐに就職支援施設に通い始め、長い時を経てようやく定職に就くが、その後できたばかりの彼女と同棲するため退職し、引っ越す直前に振られ拠り所が何もなくなり鬱病発症(発現?)。双極性障害と診断されるも今のところ回復の兆しなし。』といった感じでしょうか。絶望に振り切っているわけでもない、本当につまらない人生送っているなあと我ながら感心してしまうほどです。

私は注目を浴びたくて、嫉妬深くて、自虐的だけどみんなに認められたくて、実状のある愛されかたをしたくて、家庭環境や病気を言い訳にして自分がダメなのを正当化している、本当に下手な育ち方をしてしまった人間です。
けれど、普通の人として生きたいし、普通の人としてみんなに関わりたいし、接してほしい。絵も上手になりたいし、声や見た目がかっこいいのにも憧れているし、ゲームだってみんなと一緒に遊びたい、一緒にご飯に行ったりイベントに遊びに行ったりしたい。社会に出て普通の人のように働きたい。そういった普通の感情も持っている、精神が極端なこと以外は至って普通の人間です。
私の要領が悪いだけかもしれませんが、私の場合どうやっても自分の悪いところ全てを隠すことはできないし(そもそも今更隠したところでもう遅いですが)、そういった面を抑えるのも抑えるので体力を要してしまいます。なのでおそらく今後も、私という人間はネガティブな発言や愚痴を言い続けると思います。そこに関しては先に謝罪しておきます。本当にすみません。

何が言いたいのかというと結局のところ、予防線、そして自己正当化です。私はこういう人間だよと予めある程度理解してもらっておくことで、少しでも自分と関わる人から入ってくる情報が自分の苦手なものじゃなくなればいいなといった程度の思いでこの文章を書きました。正直、苦手なものを羅列していくと洒落にならない量になってしまうのと、ある特定の個人に対する誹謗中傷も含まれてしまいそうなのでここに詳しく書くということはしません。ぶっちゃけ他人にそんなに多くは求めないのでこいつには父親の話がNGそう、彼女の話がNGそう、くらいの緩い感じで大丈夫です。(私に興味がない人はそもそもこの文を読まないと思うのであんまり効果はないかも。)
どちらかというと、私の普段の後ろ向きな言動が何もないところから生まれている訳じゃないんだということを知っておいてもらいたかったというのが本音です。どうしようもない事実ですがファッションメンヘラではなく、本当にしっかりメンヘラです。これだけはあまり勘違いをされたくないのでしっかり言っておきます。

ここまでの文を読みそんな私だと知った上で、仲良くしてくれるという方がもしいたら感謝してもしきれないです。今後もご迷惑やご心配をおかけしてしまうことがあるかもしれませんが、(そういえばこいつはこういうやつだった)とのご理解がいただけたら私としてはこれ以上ないくらいとても生きやすいです。


終わりに

ほとんどが本筋から脱線した内容だったり主観のみで構成されていたりして、読むのが耐え難い駄文をダラダラと書き連ねてしまったことをここに謝罪いたします。

そして、ここまで目を通してくださってありがとうございました。少なくともこの文章を最後まで読んでくださるあなたのような人がいるから私は存在できています。

未来の自分がこの文章を読んで、こんな時期もあったなと笑えるような日を迎えられるように、とんでもなく牛歩な自分ですが本当に少しずつでも成長していければいいなと思います。
成長する見込みがあるかという質問に首を縦に振ることはできませんし、成長がいつになるかもわかりません。
それでも応援してくださる方がいるのなら、こんな自分ですができることから頑張ろうという思いだけは少なからず心に秘めています。

これからも、できたらでいいのでこんな私をよろしくお願いします。終わりです。

またね。

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