なんか最近、『攻殻機動隊sac』の「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ」という草薙素子の台詞を「批判するな、自分が変われ」の文脈で引用する人を多く見るけど、根本的に作品を観る能力ないのだとしか思われない。
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』
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藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』
@naoya_fujita
文芸評論 博士(学術)日本映画大学准教授。編著『東日本大震災後文学論』『地域アート』『ららほら』単著『新世紀ゾンビ論』『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』『娯楽としての炎上』『攻殻機動隊論』「わたしのなかにある深い矛盾、現在の状況からそのままやってくる深い矛盾を、体制側のなかで伝達していかねばなりません」(サルトル)
藤田直哉@『ゲームが教える世界の論点』『新海誠論』さんのポスト
スピーチライター、つまり、作家が、ここまで兵器に匹敵する力を持つとはね…… 相手の国の歴史や文化、価値観や感性を調査・研究し、巧みに言葉や話し方を選んで構成する、ド文系極まりない技術が、ガチ役に立つわけね……
何度も言っているけど、「AV女優」「セックスワーカー」は、みんな同じではなくて、「望んで、悦びとして、天職としてやっている人」「お金のためしぶしぶだが納得している人」「福祉につながるアイデアすらない、知的・精神的に深刻な問題がある人」らのグラデーションがあるわけで
美空ひばりの葬儀に参列した人の数が42000人、忌野清志郎が43000人、hideが50000人、アンディ・フグが11300人だそうなので、23000人の献花というのは、だいたいこの人たちのファンの数と近いぐらいの感じか、という肌感覚に
ラーメン評論家の文章はひどいもので、迷惑な行動をしたのだろうことは良くよく分かるが、「昭和軽薄体」的な文体それ自体が批難の対象になることには複雑な思いもする。80~90年代にはああいう文体は溢れまくってた気がするんだよな。文学でも、特に大衆誌にはいっぱいあったような。
宮崎駿と黒澤明の対談『何が映画か』、期待して読んだら、ひどいところと面白いところが多い本だった。「映画とは何か」とか、文明論や思想みたいな話はせず、衣装や美術などの細部の話が延々続き、これはこれで面白く、これほどのこだわりがいい映画につながるのかと嘆息する一方
韓国での「n番目の部屋」という残虐な性犯罪を責める資格はあるのか、日本のAVはどうなんだ、合法で商品として流通しているからなお悪いのではないかという批判を見て、「拷問AV」と呼ばれているものを少し調べて見てみた。見なければよかったと後悔した。こちらがトラウマ負うレベル。
返信先: さん
で、シリーズの中核となる「笑い男」は、その引用のあとに「そうするべきか?」と書き加えて、葛藤した後に、「黙っていることをやめ」て、素子に告発を委ねるわけでしょう。冒頭で「黙ってろ」と言っていた素子は、ここで変わるわけで、そのための前フリのセリフであって、作品のメッセージの逆でしょ
返信先: さん
あれは政治と企業が結びついた酷い不正・犯罪を知ってしまい、それを告発した「笑い男」が引用する「I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes(僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた)」と対になるセリフでしょう。
あんまり声高に言うことではないかもですが、ぼくが結婚したとき、ぼくは非正規(非常勤講師)で、年収100万円代、妻は正社員でぼくより遥かに年収があり、しかも年上でした。「弱者男性」が出るのは女性の上昇婚志向のせいだ!と怒っている方は、ぼくの妻をもっと賞賛するといいかと(笑)
返信先: さん
宮崎駿が、使われている衣装の時代が違う、と切り込んだら、黒澤があっさり「あれは鎌倉ですね」と瞬時に切り返して、宮崎が「分かってて嘘ついているんですね」と返す辺りは、達人の勝負を見ているような緊張感があったが
返信先: さん
経験してわかったけど、出産と育児はあまりに過酷で、下手すれば死人が出るので、稼いでいる女性にしてみたら、家事やらケアやらを担う男性でないと、リスク高すぎるしメリットないしで、伴侶に選んで家庭作ろうってことにならないんじゃないかな。
オタク文化の右傾化・体制化の契機は、2008年の麻生内閣ではないかな。オタク文化=日本が誇る文化だと首相が宣言し、包摂しようとした痕跡が発言にある。内政向けのクールジャパン戦略というか……。
返信先: さん
母親的な無限のケアと受容とか、そんなものは成人してから、誰からも受けることができない、幻のようなものでしかないんだって。それがこの世に存在しないということを受け入れることが、多分、大人になるってことなんだと思う。(逆に、それを下の世代に提供するようになる)
返信先: さん
しかし「天職」「悦び」についても、個人的にはよくわからなくなることもある。極めて過酷なSMのAVに出ることを喜びにしている女優が、幼少期から深刻な虐待を受けていたりして、「自由意志とは何だろう」と思ったりもする。
返信先: さん
ちょっとあまりにうますぎて舌を巻いたよ。ゼレンスキー大統領が書いているとはもちろん思わないが、スピーチライターはウクライナ人ですらなく、アメリカかどっかが支援して集団で作業してんじゃないかと想像してしまうクオリティ。そうじゃないとこれほど各国向けに的確なカスタマイズできるかな
返信先: さん
「天職です!」系の人たちには華々しく堂々と活躍してもらいつつ、判断力や思考力に深刻な問題があり陰惨な結果が明らかな一部の人が福祉に繋がる回路や網を用意しておくってことはできると思うし、した方がいいと思う。
返信先: さん
ぷちバズってるんで宣伝させていただくと、年内か来年に単著の『攻殻機動隊論』を出す予定です。よろしければお読みください……
返信先: さん
「上昇婚志向」を批判するのはいいんですが、それは「昭和の夫」が享受できていたものを放棄し、自分が何か別のものを提供する義務を負うことと対になるのが必然なわけですよ。その覚悟(変わることへの)があるかないかも問われているかと思います。
返信先: さん
ドナルド・キーンさんら、日本研究者たちも、もともと第二次世界大戦中に、軍事的な目的で日本研究してたんだったな、そういえば
返信先: さん
華やかで明るく健全な部分と、闇が深くて陰惨で悲惨な部分とグラデーションになっているので、同じ言葉だからと言って同じもののように考えないようにした方がいいと思う。
返信先: さん
だから、旧来の「男らしさ」や「家父長制」などのジェンダーロールから降りたほうが、幸福になれるし、あなたの目標を実現する近道だし、合理的な適応ですよ、っていう単純な話なんだと思うんですけどね
返信先: さん
だから、あまり稼いだり出世に興味がない男性は、恋愛市場や婚活市場での価値を高めて、マッチングしやすくするために、かつての専業主婦が提供していたものを提供できるスキルを身につける、という戦略や努力は、アリだし、必要だと思う
検索して見てみたけど、誹謗中傷に声をあげた女性研究者への攻撃は酷すぎるし、多すぎるね… 声を上げること自体は正当で、抑制的だったし、処分だって重すぎるものにはならなかった。にも関わらず、被害者にこれほどの攻撃が来るとは… やっぱり異常だよ、やってる人。
本日、50名の大学生の前で、「オリンピックの開会式観た人、手を上げて」と尋ねると、わずか3名。えっ、そんなに本当に何も興味がないんだ、と、オリンピック賛成派ではない僕かショックを受けてしまった。
返信先: さん
しかし、妻が仕事をバリバリして稼ぐということは、逆に夫は、家事や育児をそれなりにやらなければいけなくなるし、いわゆる「稼ぐ父が大黒柱」的な昭和の専業主婦世帯とは全然違う家庭になることが多いと思います。昭和の家父長が得ていたような尊敬やケアは当然受けられないかと
返信先: さん
これを「フィクション」だと擁護したり、「合法的な商品だからいい」と言うのは、自己欺瞞であり、ちょっと無理だろうよ。実際にそこで残虐な暴力や拷問が行われていることが疑い得ないものが、確かに存在していた。宮本節子 『AV出演を強要された彼女たち』を読むに、出演合意や契約も怪しいものだね
返信先: さん
対談後の宮崎駿インタビューでは、宮崎駿の本音が炸裂。その場では本人には言わなかったが、晩年の黒澤作品はめちゃくちゃだと思っていることをほのめかす、黒澤のフランスで個展した絵コンテの絵を下手だと思っていることをほのめかす、など、ここが結構よかった。
返信先: さん
騙しか無知に付け込むか広義の脅迫のようなもので契約に追い込んでいくメカニズムは、よく分かった。強要や拷問的AV撮影を経験した女優は、精神疾患になったり自死したりもしている。これは確かに社会問題化されるべきだし、司法の手が入るべきものだろうね。個人の人生、社会の損失が大きすぎる。
返信先: さん
「空気系」「日常系」の、砂糖菓子みたいなアニメが主流になっている現在の状況に生きている学生たちには、95年のこの世界観はありえないぐらい暗いみたいで、「なぜわざわざアニメでこんなのを観ていたんですか」「なんで流行したんですか」という質問が来る。なんでだろうねぇ……
これは割と深刻な問題かもしれない。「インターネットの「幸福」観では安価で効率の良い飲食の快楽が重視される一方で、「キャリア」や「家族」、あるいは「人間関係」に関する幸福は軽視されがちである。」
返信先: さん
合法的に流通している商品を見ているだけだし、女優は合意して自分の意志で働いているし、そもそもAVは全部フィクションだから、自分には倫理的な罪はない、という言い訳は効かないだろうな、これは。そのように責任を分散させるシステムが出来ている分だけ、韓国より悪質ということはあるかも。
返信先: さん
信じがたいほどの邪悪で、「男性」「男性性」に嫌悪を持つ人たちの気持ちもよく分かった。
返信先: さん
「無限の受容とケア」を無条件で提供してくれる存在は、母親だけで、それを求める心情というのは、幼児退行、胎内への回帰願望なんだと思う。それがかつて昔にあったと思ってしまうのは、個人史的な体験故であって、歴史的にそんな時期は実在していなかったと思う。
返信先: さん
アニメに解説や説明は要らないという人がいるけれども、10代や20代の多くは『エヴァンゲリオン』を観ても理解しないし、好んで観たりもしないよ。「意味不明」「気持ち悪い」で終わるのが大半。「この時代は、萌えの流行以前で、アニメに癒しを求める態度が一般的ではないよ」とかから説明しないと
芸術は必要だ、とか、不要不急のものじゃない、とか、それを楽しみに働いている人もいるから重要なのだ、みたいな言説には違和感がある。だから重要なわけではない。それ自体が目的として重要であり、敢えて挑発的に言えば、経済や政治すらそのためにあるようなもんでしょ。
返信先: さん
「男性は論理的で合理的」「問題解決型」だというのが本当ならば、不合理な信念に感情的にこだわるのではなく、状況を分析して最適な解決法を論理的に考え、問題解決を実行すればいいのに、と思ったりするのだが。別に、自分はそうしたわけではないけれども。
返信先: さん
『ヤクザと芸能』その他を読むと、スカウトは反社会的勢力と関係していることが多いらしい、と書いてある。本当に深刻な人権侵害、性暴力、性搾取、傷害のようなことは、確かに起こっている。これに関しては、問題化して怒りの声をあげてきたフェミニストたちが正しいと思う。
返信先: さん
しかしそれにしても、人類の命運を握っているパイロットであるシンジくんにみんな酷すぎないか。シンジくん潰れたらみんな死ぬんだからもっとチヤホヤしてケアするべきではないんだろうか。メンタルケアとか合理的配慮という考えが全然ない時代だったんだな(そこから常識が随分変わったんだな)と感慨
返信先: さん
「昭和」の、高度成長期や80年代の、平和と豊かさの時代に、その延長として思い描いていた未来が手に入らないことの辛さはよくわかるが(『新海誠論』にも書いたが)現実に存在しないものを追い求めてないものねだりしたってしょうがないだろ、とも思う。
ネポティズム(縁故主義)を、新自由主義でやったら、権力者に媚びて近づく詐欺的な集団が金と権力を得て肥るのを「自由競争」「弱肉強食」と言い張るようになるので、研究開発イノベーションのインセンティブ低下して国全体としては生産性下がるよなぁ……
山上容疑者のアカウントらしい書き込み、アンチフェミ、安倍政権擁護、ロシア擁護でもあるが、反政府・権力・NHK・安倍的な発言もしており、そう簡単に保守だリベラルだと分けられない感じがリアルだわ。
サンデルが「リベラル」扱いされているのを見て、世の人の使っているリベラル概念がよく分からなくなる。彼はコミュニタリアンであって、リベラリズムやリバタリアニズムとは対立する政治思想の人じゃなかったっけ。
維新は、思想に反対しているし、コロナ対策は失敗しているし、メディア対策などで黒いものを白と言い含める卑劣さは嫌いだけれど、演説などを見る限り、頑張っていて、活き活きしていて、選挙演説特有のダルさはないので、フレッシュに改革してくれそうと期待するのは分かる。
批評の衰退、SNSにおける大衆文化ファンの批評嫌いやアレルギーなどや、「批判なき政治」的な状況においては確かにそう感じるんだが、文芸誌や論壇誌、WEB媒体における「批評文」の数や書き手の多様性においては、すごく豊かなんじゃないかと思い、このギャップをどう理解していいか悩む
セーラームーンの絵を黒人にしたものが賞賛され、アジア人にしたのが反発を受けるのは、押井守が言っていた「日本人は日本人の顔が好きじゃない」と関係あると思うな。アニメは戦後日本の憧憬と自意識の鏡だけれど、アジア人顔はその歪みを直視させられてアイデンティティ不安になるんだよ。
「推しを応援し続けたい」というのが、推しのためではなく、客向けに捏造され演じている虚像を消費したいという、自分自身の能動的かつ主体的な欲望と快楽の問題であるということを認識できない人間はキツい
ジャニーズにしろジュニアアイドルにせよ、貧困や毒親や虐待などが背景にあったりもして、未成年の子供たちが必ずしも自分の意志ではなく、深刻なPTSDなどに一生苦しむかもしれない過酷な労働や性暴力に遭遇しなければならない状況をどうするか、という人権問題だと考えるべきだと思う。
返信先: さん
「90年代はオカルトが流行っていて……」「90年代は80年代の反動で自傷とか悪趣味が流行っていて……」「ノストラダムスの予言が信じられていて……」「バブルが終わって社会不安が蔓延していて……」「オタクの社会的認知も悪くて……」とか説明すればするほど哀れみの眼。悲しい。
ぼくも、直感的にそう思う。あれは、80年代のサブカルチャーや、それを引き継いだインターネットでの「遊び」の延長線上に見える。そこが今回の件での新しいことで(オウム真理教もそうだったかもで)、実は深いレベルで致命的なことなんじゃないかと思う。
引用
Расэндзин@9/3コミティアF09b
@RASENJIN
返信先: @RASENJINさん
あのノリを否定できないというのは、眉根を寄せて真面目な顔をしていればえらいのか、えらいことができるのかというとそんなことはないからです。ううむ、悪ノリ(完全に悪ノリだけでできる豪の者は実は少なく、言い訳としても本気もまじっている筈)で出来の悪いコメディで、ううむ。整理できないな。
これはめちゃくちゃある。自分が知っていて馴染みのある単語や作品名、キャラクターなどが出てくればそれだけで喜び、それについての「論」や「解釈」「時代背景」「文脈」などは一切頭が拒絶する学生がいる。サブカルチャーの授業で特に多い。でも、それじゃ世界広がらないし、大学に来た甲斐がない
引用
北村匡平|新刊『椎名林檎論──乱調の音楽』2刷
@Kyohhei99
学生のコメントシートを読むとある傾向がある。彼ら彼女らの知らないことを授業で話すのに比べて、知っていること/馴染みのあることを扱うととても評判がよい。まったく未知なることを知りたくはないのか?
RT 「推し活」をメディアや知識人も手放しに礼賛する傾向があったが、しかし、推す側も推される側も搾取などの深刻な問題もあるのは明らかなわけで、消費社会の文化商品を、単に脳が喜ぶから肯定したくなる、というのに無批判ではいかんのだと思う
ロスジェネ世代、就職が厳しく、非正規ばかりになり、自己責任と社会に叩かれたので、勝ち残った人間も過酷なシバキ主義になり、就職状況が良くなり配慮と包摂を重視する次世代から害悪扱いされそうで、本当に不遇でたまらないよな、と思う
引用
河東竹緒
@rivereastbamboo
20代のコと話していると「氷河期世代はデキる人が多いけど厳しい」とゆーお話をよく聞くので早くも現代社会における蠱毒の壺の生き残り化している感があって非常にマズイとゆーお気持ち
この世代が社会の中枢を担う時代はたぶんあんまりよい方向にいかなそうな予感はヒシヒシ、同世代だけど
返信先: さん
「昭和」的な時代のモラルのなさを想起させるから、あるいは、下品な大衆紙的な文化への嫌悪を想起させるから、嫌だ、という気持ちはよくよく分かるんだけど、それはそれでちょっと文体というかスタイルへの無理解な気もする。ちょっと前に流行った「スタイル」なんだから一掃しなくてもねぇ。
返信先: さん
今これを読んで衝撃を受けるということは、逆に、いつのまにか、そのようなセルフツッコミをする自意識過剰な文章が我々の目の届く場所からは絶滅していたってことでしょう。言葉の生態系っていうのは、急激だなぁ……と率直に思う。
返信先: さん
「努力したり一生懸命やらなくても賞賛される」とか「泣いたり喚いたりするだけでニーズが満たされる」とかも、赤ん坊や幼児期の特徴であって、それをやってくれるのは両親かそれに準じる人だけで、成人したら二度と訪れないものなのだ、ということも、深く断念するべきだと思う。その方が良くなるから
返信先: さん
男性が下駄を履かされている、特権があると言われてもちょっとピンときにくかったが、女性が女性であるだけで、意味も必要もなくベルセルクみたいに魑魅魍魎が足を引っ張り続けられているのを見ると、確かに下駄だわ。
先日、ある取材をしていて、客観的には「持てる側」「権力者」が、被害者側の自意識になるメカニズムが分かったよ。年を取ると、自分が命を賭けたり、愛した文化は常に失われ、若い世代には無視されていく。常に喪失、削られる側なんだよね。
返信先: さん
しかし、立憲民主党と共産党が敗北したというよりは、アイデンティティ・ジェンダー問題に焦点を当てた文化路線の戦略が、まだ思ったよりも功を奏さなかったってこともあるんだろうなと結果を見ていて思った。ツイッターを見ていたら勘違いするが、まだ全国的には訴求力のある争点ではないと
『新世紀エヴァンゲリオン』、また観たけれど、超よくできている奇跡的な作品。大人になってから見ると、「サービスサービス」がよく分かる。オタクの自意識の話でもあるけれど、そっちだけじゃなくて過剰なサービスとちゃぶ台返しの機微に共感するようになってくる。
返信先: さん
バウマンは、それを「レトロトピア」幻想と呼んだ。
新自由主義の社会は過酷で未来に希望が持てないので、民族や国家などが「母親のように」存在していた「胎内」への回帰願望が高まるのだと分析している。……それは断ち切らなければいけない。
返信先: さん
「弱く疎外される自分」=「オタク文化」=「経済的に衰退する日本」というアイデンティティの投影の構図が出来て、「ポリコレやフェミニズムなどの西洋のキラキラから弱い日本=オタク文化=自分を守る、という被害者意識と防衛意識になっているんじゃないかというのがぼくの仮説
返信先: さん
この奇妙な読後感は何に由来するのか、と考えると、セルフボケツッコミをする変な自意識の文章だからかなと思うんだけど、ネット初期にも「〇〇なんだってさ(ぉぃ」とか「(← 」みたいなセルフツッコミはたくさんあった。ライトノベルなどもゼロ年代はそういう文体か。
RTs 80年代のポストモダンブームは、日本においては「近代化できていない日本こそが世界の最先端だ」的な、西洋に対するコンプレックスと「日本スゴイ」的文脈で展開していたけど、当時から「ちゃんと近代化していない日本でそれやったら前近代になるじゃん」と批判されてて、その通りかなぁと
キャンセルカルチャーの行き過ぎという問題は確かにあると思うし、攻撃的な言動の全てに賛同はしないが、「オープンレター」「さえぼう」で検索してみて、行われている攻撃の量と執拗さが尋常ではなく、こういう環境で生きなきゃならないのは本当にしんどいだろうなと感じたね。
『ガンダム』は、「重力に縛られた人々」と、「重力から解放された人々」の闘争、革命と独立戦争の物語で、作り手も全共闘やってた人ですから、こういう物語のパターンに興味を持つ観客が多かったのだろうと推測されます。
引用
JAGD3328
@jagd3328
返信先: @naoya_fujitaさん
サブカルチャーが現代社会の反発だったのは1970年代のヒッピー文化までではないですか。80年のガンダムブームあたりで楽しんでいた層は、別に既存社会への反抗は既になかったと思いますよ。社会の上層は、若い人をニュータイプとか呼んでましたけどね。
それで、バブル期にサブカル入りを果たしました
ぼくはなんとなく分かる(自分の実感というか、そういう意見を持つ人たちを)。オタクと呼ばれている人たちの行動・思考・振る舞いを見て、「自分の子供や、人々にはああなってほしくない」と思う人たちは結構いて、たとえばゲームやアニメや萌え絵に耽溺することでああなるのでは、怖いという感じかと
引用
p_shirokuma(熊代亨)
@twit_shirokuma
「きもい奴らのきもいコンテンツが幅をきかせやがって、滅べばいいのに」みたいな目でアニメやゲームを見ている人々が一定数存在する(特に年上に)ってのはいつも肌で感じます。まして、サブカルチャー領域で自分のパイや信者を喰われたみたいに感じてる人は尚更でしょう… anond.hatelabo.jp/20211003125552
カルトや過激派の手口に触れる機会が少なくないので、パターンを知っているが「あなたは悪くない」「悪いのはあいつらだ」と気持ちよくさせて、過激で非適応的な信念をわざと吹き込み、社会で酷い目に遭って孤立するようにさせ、自分たちしか分かる人はいないと思わせて囲い込んでカタにハメる
返信先: さん
そんなに簡単に「モード」(流行)の変化に応じて、ある時代や階層やメディアで使われていたスタイルを抹殺しなくてもいいんじゃないか、と思ったりもするのだが。古いものも絶滅させず、少しは動態保存しておいた方が、流行がまた変わった後の文化の豊饒さに寄与すると思うが。
これが伝わらないか…
哲学者の千葉雅也氏、サイゼリヤのメニューが番号で管理されていることに対して、その非人間性(?)を問題視するツイートをするも、表現があいまいで主張の詳細が不明のため、ツッコミや「それの何が悪いんですか?」といったレスポンスを多数受ける
返信先: さん
常日頃からこんな感じだったら、確かに抑圧感や恐怖感あるだろうし、表現の自由も名目だけだろうし、これを食らわない男性は下駄を履いて特権があると言われても仕方がないだろうね。
返信先: さん
全てが低劣で、ダメで、人間はみんな「本当は」「本音では」ひどいはずだ、と思い込みたいという嘲笑的な自己肯定の空気に同調するべきではない。この世界はそうではない。本当に立派な人間はたくさん実在する。それと出遭いにくい設計になっているネットで人間や社会を理解してはいけない。
返信先: さん
元々、オタク文化やサブカルチャーは、日本の伝統文化や価値観を破壊するものと見做されていて、ファンもアウトサイダー意識持っていたので、そんなに簡単に体制=日本と自己同一化せず、むしろ反抗し挑戦する側に感情移入していたような時期がそれ以前だったかなと感じます
あいちトリエンナーレ、朝から晩まで津田さんが会場を見回って、スタッフさんにも気付かっていて、立ち話をしたときも展示のエリアな作品やボランティアさんを褒めたり紹介してくださったりして、かなり前に、表に出て身を晒して、責任を引き受けている印象だった。
ぼくはそうは思わないな。『ドラえもん』は基本的に、戦後日本の科学技術立国化と高度成長の時期における、期待と不安の産物であって、ダメ少年がテクノロジーに頼って色々なことをして痛い目に遭うという、文明批評的なブラックコメディが本質だと思う。
引用
『NY午前0時 美術館は眠らない』配信開始!/岩渕潤子
@tawarayasotatsu
これは本当にそう思います。『ドラえもん』というのは、男の子を甘やかす日本固有の、それも昭和的価値観を懐古趣味で礼賛する、極めて後ろ向きなことの塊のようなものだと思う。AUバージョンで、しずかちゃんがのびたとは縁を切って、世界的な科学者になってノーベル賞を取るのとか見たいなぁ。 twitter.com/9jtCdbGf3lih8F…
返信先: さん
反社会的勢力が関わっており、さまざまな障害などを持った人が来やすいビジネスで、深刻な性搾取が行われたり、酷いケースだと精神疾患が悪化したり死んだりするという状況の改善の優先度と、商売上の不都合と、軽重をちゃんと比較して検討されるべきことだと思う
カオスラウンジ、いい展示もあったし、この時期に叩いて攻撃するようなことをするのも心苦しいんだけれど、最初の頃の「カオスラウンジ宣言」の中に、問題は内在していたと思う。10年ぐらい前にもそれを指摘したけど、もう一回繰り返すよ。
陰謀論やインセルやリベラル叩きなどをする人たちを扱ったドキュメンタリーや色々を見てきて、究極の問題は、能力や資本主義や恋愛などの正当な競争による「敗者」の人生の屈辱感、負け犬感、生の意味の感じられなさのようなものにあるという気がしている。
これはダメだと思う。すべてがおかしいわけではないが、カズオ・イシグロ氏と御田寺氏は決定的に違うと思う。
カズオ・イシグロの警告が理解できない、リベラルの限界 gendai.ismedia.jp/articles/-/814 #現代ビジネス
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